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英米に伝えられた攘夷の日本(2-4)

1854年10月14日に長崎で「日英約定」が調印された後、宴が催され、その様子を『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』は克明に伝えています。驚くべきことは、日本の役人達が『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』を持っていて、耳で聞いていたイリギスのニュースをこの新聞の銅版画で確かめたいと、イギリスの士官たちに尋ねたことです。

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英米に伝えられた攘夷の日本(2-3)

『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』には日英約定署名(1854年10月14日)までのの交渉の様子が書かれていますが、これはイギリス側の準備不足やコミュニケーションの問題が逆にいい結果を生み出したと指摘されています。

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英米に伝えられた攘夷の日本(2-2)

 下田で3回目の日露交渉が始まる3カ月半前にイギリス艦隊が長崎に来航します。『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』でどう伝えられているでしょうか。クリミア戦争との関連からも見ていきます。

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英米に伝えられた攘夷の日本(2-1)

1853年の最初のペリー来航の記事の後に『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』に掲載されたのは、クリミア戦争でロシアに宣戦布告したイギリスは、日本に進出しているロシアを追い出さなければいけない、第2回目のペリー来航でアメリカが達成したことをイギリスも追わなければいけないという論調の記事(1854年9月)です。

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英米に伝えられた攘夷の日本(1-5)

ペリーは幕府側に、中国で反乱があり、南京が占拠されたと言いかけて、幕府の役人から「反乱の話をしない方がよろしい」と諌められたのですが、太平天国の乱は同時代人のイギリス人からどう受け止められていたのでしょうか。

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英米に伝えられた攘夷の日本(1-4)追記

2016〜2017年の日米関係が「黒船トランプ?:日本はNOと言えるか」とアメリカのメディアに評されています。

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英米に伝えられた攘夷の日本(1-4)

第一次ペリー日本遠征の主任通訳だったウィリアムズの日誌には、ペリーと日本側の会談の様子が正直に、そして共感をもって記されていますが、ペリーの公式報告書には書かれていないことがあります。

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英米に伝えられた攘夷の日本(1-3)

ペリーの第一次日本遠征の対応をした浦賀与力がアメリカ側に対して、大統領の親書を運ぶために、なぜ4隻も軍艦で来たのかと質問したというアメリカ側の通訳の記録は、ペリーの報告書から抜けています。

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英米に伝えられた攘夷の日本(1-2)

1848-49年にアメリカ漂流民に対して、日本の看守がアメリカの仕返しなんか怖くないと言った理由は、アメリカが日本に対して威嚇的対応しか効果がないと方針を変えたきっかけになりました。

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英米に伝えられた攘夷の日本(1-1)

R.L.スティーヴンソンの忠臣蔵論(1883)と吉田松陰論(1880)を理解するにあたって、幕末の日本について英米の一般読者に何がどう伝えられていたのかを知る必要があると思いました。『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』に掲載されている記事と関連書を概観します。(イラスト:ペリーの日本遠征記より)

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ミットフォード訳「鳩翁道話」

『昔の日本の物語』巻II所収「日本の説教」の2節目の題は「説教I(鳩翁道話 第1巻)」となっています。鳩翁道話についてのミットフォードの解説は本サイト「ミットフォード訳の日蓮宗法話」で紹介した日蓮宗法話の最後にありますので、訳して紹介します。

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ミットフォード訳の日蓮宗法話

ミットフォードは『昔の日本の話』(1871)に「日本の説教」と題した長い章を設けて、彼が実際に聞いた日蓮宗法話の様子を克明に描いています。挿絵も付いているので、1860年代後半の日本の庶民の様子が伝わってきます。

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