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スティーブンソン

アンドリュー・ラングとアーネスト・サトウの出会い

 R.L.スティーヴンソンのコラム「挿絵の寄り道」が1883年刊のThe Magazine of Art(vol.6)に掲載されていますが、内容は忠臣蔵の紹介です。F.V.ディキンズ訳の『仮名手本忠臣蔵』(1880)と、斎藤脩一郎・グリー共訳「伊呂波文庫」抄訳『忠義の浪人』(1880)のフランス語訳を紹介し、A.B.ミットフォードの「四十七士」(1871)に言及しています。スティーヴンソンの記事が1883年に出版されていることが、ラングと日本との関連でとても興味深い出来事とつながっていることを発見しましたので、この出来事から紹介します。

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ラングとThe Magazine of Art

The Magazine of Artという雑誌は1878年創刊で1904年まで続きましたが、1881〜1886年に詩人のウィリアム・アーネスト・ヘンリー(William Ernest Henley: 1849〜1903)が編集長として担当した時期に変貌を遂げ、中産階級の美的センスに多大な影響を与えたと評されています。それは美術分野だけでなく、詩、散文、批評、考古学、民俗学なども含め、定期的な執筆者にはヘンリーの友人であったロバート・ルイス・スティーブンソンもいます。ラングも頻繁に寄稿しています。

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