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英米に伝えられた攘夷の日本(5-2-5)

『浮世形六枚屏風』(1821)の後半を『イラストレイテッド ・ロンドン・ニュース』(1857)がどう要約しているか見ます。

『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』掲載の浮世形六枚屏風のストーリー

R.T.(原文)

 座敷もすんで床の内、小松は背中おし向けて、物も云わねばつぎほ無く、佐吉は煙草くゆらせながら、「昔の事を野暮らしく云ひ出して、ふさがせると心に思ふが知らねども、大和巡りをした時に、南円堂でそなたの爪おと毎日々々聞きとれて、折もあらばと思ふ内、何処へかとんと行方は知れず、身を売ったとの人の噂、目と鼻の間程な此の島之内に居るとは知らず、たいてい捜した事では無い、然し今目ぐり遇うたはつきぬえにしと、おれ一人が合点するのも阿房なれど、これから折節来よう程に、いやであらうと付き合うて遊ばせてたもやいの」とざらりと小判で十両ばかり、紙にひねって差出し、「皆の者によい様に、花に取らせて余りがあらば、浴衣でも買うて来や」と云えど小松は見向きもせず、煙管おさえてひたいにあて、うつぶく顔をさしのぞき、「宵からの雷で、気色が悪くば薬もある、なぜ物を云やらぬぞ」と取る手をすげなくふり払い、「気合も悪うは御座んせぬが、ほんの遊び、高が芸子は売物買物、まことが有ると思うて居るは、阿房と悟った人さんには、どう云うてよい物やら、此の小松は知りやんせぬ」とすっかり云えば尚すり寄り、「おれがさっき船宿で云った事を二階で聞き其の様にひぞりやるのか、はて相方を定めぬも、其方の行方を尋ぬるから、こっちは矢張みさをといふ娘と思うて居るわいの」「そんならば五文三文袖乞に、相応な手の内は下さんせず、金さへ出せば自由になると、見下げられたが腹が立つ、嫌ぢや有らうが付き合うての、折節は来ようのとは御深切なお心ざし、折節ぐらゐの事なれば、御座んせぬがはるかにまし、そんなお前の水臭い、心と知らず今日も今日、愛染様へお百度して、これちゃっと見て下さんせ」と、ひらりとしたる書付を出せば、佐吉が手に取り上げ、「亥の年の男のありか知れ候やうに、願ひまゐらせ候、三十六番末吉どうしておれが年までも」「心で夫と定めた人、知らいで何と致しませう」「そんならわが身も真実に」「イエイエ口先ばかりで喜ばせ、末の通らぬ事ならば、いっその事に顔をも見せて下さんすな、愛染様も聞こえませぬ、何の是れが末の吉、あゝいふ主の心では、あきらるゝのは知れてある」とみくじの書付引裂けば、又も鳴り出す雷の、ぐわらぐわらぐわらとひゞく音、あれよと云うて我知らず、佐吉にひたと身を寄せて、又も見合わす顔と顔、「もし真実なら何とする」「わたしが体は主のまま」「命を呉れと云うても引かぬな」「あい」と小声に答うるぞ、深きえにしの始めなる。

前の世よりも結び置く、縁にあらん此の後は、互に離れぬなかとなり、名に負いたる三ツ紋の、月にも通い、雪にも通い、花をふらしつ其の年は、夢見る内にくれはてて、又立帰るみどりの春、小松と云えど余の客は、せきてゆるさぬ初子の日、手と手引合うあいあい駕籠、今日は生魂(いく玉げ)今日は天満、其処よ此処よと浮かれあるき、

I.L.N.(『イラストレイテッド ・ロンドン・ニュース』掲載の要約)

 Komatsuは部屋の寝床に座って、一言も言わずに背をそむけていた。Sakitsiは遠くに立って、パイプをくゆらしているのも忘れて言った。「二言三言で昔のことを思い出せと私がお前に期待しているか知らないが、私がYamatoのNanyin寺周辺を毎日ぶらついていた頃、お前のリュートの音色に耳を傾けていた。楽しんでいる最中にお前は突然消えてしまった。どこに行ったのか誰もわからなかった。お前が身売りをしたという噂が広まったが、お前を探し回るのを止めなかったし、お前がここUtsumosimaに、しかも私のすぐ近所にいることも知らなかった。今日、お前を見つけ、お前の私への思いが今でも続いているのか全くわからない。もしそうなら、お願いだから言っておくれ」

彼は10両差し出した。「これをFanayoさんに渡して、残りがあれば、軽いドレスを買っておくれ」

そう言うと、Komatsuは彼のパイプを見ずに下ろさせ、顔をそむけながら、屈辱的に頭を下げた。Sakitsiはさらに「真夜中の雷と雲で暗くなっているのは、いい合図だ。答えてくれないか?」と言った。

彼女は答えた。「友情で自分の幸福が傷つくような場合は友情を続けないと決心しています。浮気なリュート吹きの女たちは売買の商品です。でも、私についての噂が本当だと信じられ、バカがそれを納得したという、その噂はKomatsuには知られていません」。彼女がはっきりとした、しかし、哀しげな声でそう言うと、彼は遮って言った。
「あのヴェランダでお前が『船乗り居酒屋』(Sailors’ Tavern)にいると聞いたんだ。こんな野蛮なことを私が言えるか? 本当に、どんな付き合いも止めて、お前の隠れている所を探す間、お前がずっと乙女のMisawoだと信じていた」
「そうなら、なぜ2,3コーヒー・ビットだけでも贈ってくれないの? 普通の献金額でしょ?あなたがお金を使い果たした途端に、彼らは去ってしまう。もし、あなたが私と話したとき、もし、あなたが私を侮辱せず、あのような言葉で私を軽蔑しなかったとしたら、あなたの目的はこれなんです。これがあなたの本心なんです。あなたが私に示そうとした条件がこれなら、何の思いもなかったほうがはるかに良かった。あなたがこんな下劣な心の人だとは思ってもいなかったので、今日も、今までも100回もOizen寺に行っていたのです。これを御覧なさい」

その紙切れには「彼女を愛している人がいるか」という彼女の祈願へのお告げが書いてあった。お告げには彼の名前が書かれ、二人の婚約で終わると優雅に結ばれていた。そして、次の回想が続く。

夫婦の絆が運命で決められている時、その絆は二度とゆるむことはなく、存在の一部になる。Sakitsiの名前を表す3本の糸は行ったり来たりし、二人の思いを強くする。今年は二人が喜びの幻想に包まれる。青々した春の訪れはKomatsuである。しかし、天罰が彼を取り巻き、彼は免れられない。日毎に鳥の声に誘われて、二人は手に手をとって出かけた。

R.T.

 [佐吉が]湯水と遣う金銀に、あかのぬけたる当世男と、世間の取沙汰家の噂、母妙讃は聞き兼ねて、つらく当たるも佐吉が為と、奥の一間に押込めて、我が身のそばを放さねば、恋し恋しと百ばかり、書いた小松がぬらし文、竹斎が手段にて目に付けがしの花活に押込んで差置けば、何心無く佐吉は手に取り、それを見るより心にうれしく、あたり見回しようようと、半分ばかりよむ所へ、立ち出づる母妙讃、「灸すゑようと思うたれど、おれにはどうも読み兼ねる、日がよいか見てたも」と差出す暦の中段も、開くをもしや見られたかと、あやぶむ、をさむ、懐中へ文は隠せど気はどきどき、「今日は天一天上ぬけお部屋へ御座ってちっとの間、こゝを間日になされぬと、こっちの工面が十方くれ、身になる金なら四五百両、手にとるきゃつめが女房になる、それでたひらに、此の家が納まらうのに、それ聞いて下さらねば、血いみでもひょんな心になりませう」と何を云うやらたわいなし。母はあきれて、「これ佐吉始めの内はこっちから、いかに勧めた遊びぢやとて、あの様に出あるいて悪い噂をせられては、第一家のしめしがきかぬ。まァ一年程も辛抱して、何処ぞ人の気の付かぬ遠い所で、月の内に二度や三度の遊びをば、おれは少しも止めはせぬ。さ、さ、其の様に浮々せずと、帳合でもしたがよい。小さい子に甘い物を食はせ過して、虫持ちにするのを見ては笑ひながら、何ぼ病気の保養ぢやとて、遊ばせ過してお山と云ふ、むしもちにして苦労する、あゝ親馬鹿とはよう云うた」と、吐息ついたる

I.L.N.

 しかし、愛する人との出歩きも、その費用も彼[佐吉]の財政を逼迫させ、彼の養母であり信仰心の強いMiosanは彼の恥ずかしい行為のニュースに耐えられず、彼を家に閉じ込め、目を離さなかった。Sakitsiは友人のTsikusaiが花瓶の中に隠してくれたKomatsuの「優しい手紙」を読んで慰められるばかりの身になっていた。ある日、養母のMiosanが彼の混乱を察知して、暦を口実にやってきて説教を読んで聞かせていた。

R.T.

(吐息ついたる)其の処へ、小庭に取りし路地口の戸を押開けて、一人の女、「ちと御免なされませ。わたくしは天王寺巫子町の黒格子辻と申すあづさ巫子、笹叩が遊ばしたいとお人の参った、米問屋佐吉様とはうち方で御座りますか」と云いければ、不審そうに母妙讃、「あいの、佐吉とはこちなれど、巫子殿を呼びにやった」と云いかくるを佐吉が引取り、「成程御合点が参らぬ筈、貴方様へはお隠し申し、私が人をやりやした。あいつが例の癖が起って、あまへ居ると仰りませうが、又此の頃は気分も悪く、食も進まぬぶらぶら病、遊んであるけば病気もなほり、内に居ると気色の悪いは祟りもので有らうかと、笹叩きをして見るつもり。巫子殿はサアサアこちへ。貴方は側にお居でなされ、あいをうつとか申しまして、佛様への御挨拶遊ばして下さりませ」と聞いて母は頭をふり、「イヤもうわたしや生まれ付いて涙もろく旦那様の墓参りしてさへも、供に連れた女子が見る前も気の毒な、ましてや巫子にのり移りどうのかうのと仰るを、どうして聞いて居られうぞ、あゝそれは悪い物好き、呼びにやらぬ前なれば、止め様もあらうけれど、巫子殿の御座ったを、断り云うては帰されまい、わがみ一人よう聞いて、入る事許り話してたも、わしは声の聞えぬところで、お念佛を申して居よう」とそこそこ立って奥ふかき佛間へこそは入りにけれ。後見送って佐吉はすり寄り、「お花よう来てたもったの」「はい、おれが内へ来るならば口寄せになって来い、さうせねば遭はれぬと竹斎様へのお言伝、

I.L.N.

ちょうどこの時、呪い師に扮装したWofanaが現れ、Sakitsiの心と[悪]癖を治すために「笹の葉を燃やす」という。Sakitsiが母親に対して仮病を使っていたのである。母親は退室した。

R.T.

[お花の言葉]急にお話し申さねばならぬ様になった災難、それ故かうした姿になり、にっこらしう云ふ内に、びっしょり汗になりました」「おゝさうであらうとも、あの様におれがそばに番してお出でなされては、一寸した話も出来ぬ、ところでこちのおふくろは、雷巫子に胡瓜の香々、此の三色が大お嫌ひ、それからの思ひ付きで巫子ぢゃと云うたら案の條、お部屋へ逃げて御看経、ここでは泣いても笑っても、もう聞える事では無い、まァ聞かうで、何の事ぢゃか訳が知れぬ」と問われてお花は目に涙、「今までは貴方にさへ、お隠し申した程なれば、ましてや他人の聞く前では、小松さん小松さんとよそよそしくは云ふものの、実はわたしが姉の子にて、云はずと知れし現在、伯母、姪、姉婿は鎌倉にて某殿(なにがしどの)のお鷹あづかり、御秘蔵の其の鷹をそらした越度(おちど)で御暇、それよりはずっと前にわたしが花世と云った時、内でつかうた侍と、いたづらしてはるばると、大和国までにげ上り、夫婦と成ったが戸平どの、内證では姉さんと、折ふし文の取りかはし、其の内に御浪々なされた事を聞いての悲しさ、姉さんも途方にくれ、ほんの親はなきよりと、はかないわたしを便(たよ)りにして其方で行儀しつけた上、御奉公をさせてくれと、あの小松がみさをとて、十四の春に大和まで、人を付けて上されたれど、戸平殿が駕籠かいて、やうやう親子が憂き命、繋ぐ程なる身貧な住居、かてて加へて姑御が目かいの見えぬ長の病気、彼の子も見るに絶え兼ねて、わたしが娘の小由(こよし)をつれ、南円堂にて浅ましい袖乞して呉れました」ト泣き出せば佐吉は驚き、「そんならみさをと一所に袖乞に出でた、ちひさな娘は此の頃義太夫三味線の稽古をする、あのおよしか、さう云へば其の時もたしか小よしと云うたと思うた、ちっとの間に大きう成って、おれはとんと見忘れた、それはよいが其のひょんな事と云ふのが早う聞きたい」

I.L.N.

そして、WofanaはKomatsuの物語をKomatsuの恋人に語った。また、昔自分がTofeiとYamatoに駆け落ちした話もした。上手な語り方だった。Komatsuの父親が上司から預かっていたハヤブサの世話を怠ったために地位を失ったのだった。

R.T.

[お花]「さァ昔からの始終(いくたて)を云はねば様子が知れませぬ、それからみさをが袖乞も、はかばかしう貰ひも無しと思うたやら、わたしら夫婦に相談もせず、留守の内此の島之内の徳若屋と云ふ置屋へ、百両に身を売った書置と其の金が、小よしが雛の犬張子の中から出て内は騒動、なんぼ母の病気ぢゃとて、女房の姪なり主人なり、其のお方に勤めをさせては男が立たぬと、戸平殿が半気狂になられたを、わたしがやうやう云ひなだめ、まァ夫婦が連立って徳若屋へ来て見れば、彼方で却って面目ながり、伯母様ゆるして下さりませ、国の父さん母さんが、御浪人で無いならば、貢がねばならぬ筈、其の悲しさにわけも云はず、わたしが身を沈めました、伯母は親の片破(かたわれ)なり、お前ばかりの事ぢゃ無い、国に御座る母様にも孝行かと思ひますと、声を上げて泣いた顔、今に忘れは致しませぬ。其の真実にかんじ入り、戸平殿も得心し、金に明して療治したれば、姑御の目もなほり、残った金で今の住居梅田橋へ引越して、山から川の船宿商売、どうなりかうなり暮すのも、元はと云へばあの子の御陰、常々御覧なされた通り、犬張子を大事にするも、小松が恩を忘れぬ為、姑御は昔かたぎおれは故郷を放れぬと、大和に御座るが気にかゝれど、無理に難波へ呼び申し、今まではお屋敷の御奉公と云うて置いた、あの子の勤めを知らせては、却ってお気がもめようと、隔たりて居る程なれば、国へは尚更秘しかくし、所に今度小松が父さん、わたしの為の姉婿が殿様へ召返され、昔の武士に立帰り、云号(いいなづけ)とやらが有れば、みさをは此方で縁付ける、奉公先の暇を取って、鎌倉へ連れ帰れと、五ツの年まであの子の側に付いて居た、乳母の子、雪室柳助と云ふ男、今はわたしも見違へる立派な武士が迎へに上り安治川に宿取って、みさを様のお勤めなさるお屋敷へ案内して、遭はせてくれと日毎の催促、恥を捨てて今の身を、云ふのは手間暇入らねども、さうして彼方で金調へ見受されては、戸平殿がいよいよ国へ顔向けならず、小松はわたしに取りすがり、国へ帰って久しぶりな、父さんや母さんのお顔を見たうは有るけれど、佐吉さんと縁切って、外へ嫁入をする事なら、わしや死にますと泣いて居る、此方で見受したいには、金才覚のあては無し、たとひ金がとゝのふとても、武士同士の云号(いいなづけ)は反古にはならぬと矢張騒動、大和に居った時分には、わたしは貴方を知らねども、お世話に成ったとあの子が話し、今でも変らず目をかけて下さりますれば、憚りながら婿の様に存じまして、身代の店下し、今宵は幸ひおなじみの歌川屋へ、うらの客で小松は出て居りますれば、まァあれに遭うての上、相談なされて下さりませ」トおろおろ声にて語りける。

I.L.N.

現在、Komatsuの父は元の繁栄に戻されたので、娘をKamakuraに連れ帰るようにKomatsuの異母兄、Jukimaro Riusukeをよこした。彼女はそこでの婚姻契約があるのだ。この使節の目的はSaizoから彼女の自由を買い戻し、彼女が嫌がっても、家に連れて帰ることだった。

R.T.

 佐吉は聞いて気もそゞろ、「さう云ふ事では捨てはおかれぬ、えゝまゝよ、母者人に又明日叱らるゝ分の事、そんなら行かうがまァ待てよ、歌川屋に四五十両さがりが有れば上げ居るまい、イヤいイヤそれもどうかならう、まァまァそなたは先へ帰りや」「もう日も暮れますれば、ちっともお早く」「おゝ合点ぢゃ」とお花を戻し、箪笥のきがへ引出し、帯引きしむる一間より、母妙讃は立ち出でて、「巫子殿は何と云はれた話して聞かしや」ト問はれてぎっくり、「はい、それは」「是れ何も其の様にうろたへる事は無い、おれや聞かいでも知って居る、大方そなたの煩ひは、小松と云ふたゝり者、色と酒との二股竹、間のまくらの睦言に、昔は其の身も弓取の、大切の体を忘れ果て、今町人の身の上には、唐の鏡で大切な金銀をまき散らし、両人が浮名は小柴垣、ゆひたてられては庭宝のしめしがきかぬと、此の母が扇の陰や日向となり、意見をしても兎に角に、丸い漬桶に角な蓋、あひ兼ぬるとて聞きはせず、ちっとの内の部屋住みも、茨で目をつく思ひして、意気地とやらを立て烏帽子、揺れば落つる木の葉の露、わが身に掛る災難が、ひょっと出来た其の時は、車は海へ舟は山、逆事(さかさまごと)でも見ようかと、それがどうも気に掛る、百万年も生口(いきぐち)のまめで身代大切にしや」と云いつつそっと袂より投げ出したる百両包み、佐吉は夢見し如くにて、おし頂けば顔そむけ、「巫子へ初穂の百一升、今夜は免(ゆる)してやる程に、明日の朝は店の者の目のさめぬ内帰らうぞ、もう是れぎりぢゃ、後ねだりしても母は知りませぬ」と接穂も雨露の恵みにて、同じ色香に咲く花の小梅を仇に散らさじと、親木の恩ぞ深かりける。

I.L.N.

 Wofanaが去るとすぐに、年老いた信心家がSakitsiの元に戻って来て、偽の呪い師等々についての彼の二枚舌を再び厳しく説教した。しかし、百両を与えて、彼の愛人を屈辱的な奴隷状態から救うよう言った。