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英米に伝えられた攘夷の日本(6-7-4-16-5-2)

1895(明治28)年7月の『ニューヨーク・タイムズ』で日本のコレラ検疫対策が称賛されました。125年後の日本で注目された後藤新平の一大検疫事業です。一方、2020年の日本の新型コロナウイルス対策については、安倍政権の科学無視の対応をNYタイムズは批判しました。

彦島[下関]弟子待検疫所、田之首火葬場(注1)

「日本の衛生の進歩」(Sanitary Progress in Japan)

 1895年7月20日のNYタイムズに掲載された記事 「日本の衛生の進歩」は、6月1日に開始された23万人の日清戦争帰還兵の検疫事業について端的には述べていませんが、時期的には重なっているので、最初にこの記事を抄訳し、その後、日本がこの検疫事業をいかに行ったかをその報告書『臨時陸軍検疫部報告摘要』をもとに見ていきます。

 最近の記事でブラジルとアルゼンチン当局がアジア・コレラ(Asiatic cholera)の初期流行の抑え込みに成功したことを紹介した。(中略)これは過去12年ほどの南米における衛生行政の大きな進歩を示している。しかし、最近の日本の経験は、この分野での更に驚くべき進歩を示している。

 日本は長年、中国から来るコレラ感染に晒されてきた。この島国は何度もこの感染のエピデミックに苦しんできた。1877年にようやく検疫所が設置され、衛生法ができたが、この仕事は当時のヨーロッパ人居留者の医師によって提案された。1877年から1890年の間に幾度かコレラの流行があったが、衛生行政は貧弱で効果がなかった。1890年から今年の春まで、日本はコレラに見舞われなかった。澎湖諸島(Pescadores Islands,台湾海峡にある諸島)と満州にいた軍隊の間でコレラが発生し、検疫規則があるにもかかわらず—現在は非常にいい—日本兵の帰還で港から内陸部にまで広まった。

 戦争中に帰港地で最良の検疫規則をうまく実施するのは難しい。しかし、本州の39県のうち24以上の県でこの病気がすでに広がっている時に、この病気の抑え込みができたことは、日本の衛生行政がいかに素晴らしいかをはっきり示している。復員兵や軍隊と関連のある人々によってコレラが地方の100程度の村々に広がっていた時に、衛生当局は抑え込みを開始し、非常に厳しく、非常にうまく遂行したので、コレラが持ち込まれた軍港以外では、1,2の症例か多くても6例しか発生しなかった段階で、全ての感染地域で瞬く間に抑え込まれた。

 汚染された港ではコレラは完全に抑え込まれたわけではないし、中国から日本兵の帰還が続く限り完全に抑え込まれることはないだろうが、軍港でのコレラは制限され、非常にうまく対処された。[1895年]6月中旬までの日本におけるコレラ症例は、本州の大部分にすでに広がっており、多数の地域が汚染されていたにもかかわらず、全部で1,400例以下だったので、2,3の港を除いてはコレラは抑え込まれたと我々は理解した。

 日本にいる有能な観察者によると、日本政府が衛生行政を設立し、完成させるにあたって、また、最近のコレラ・エピデミックをコントロールし抑え込む仕事をするにあたって、他国の専門家からの助言や援助を受けなかったという。しかし、日本政府には数年前から衛生局の役人として日本生まれの著名な衛生と細菌学の専門家を複数抱えている事実を見逃してはならない。これらの人々の先頭にいるのは北里博士だ。彼はベルリンのコッホのもとで研究し、ベーリング(Emil von Behring:1854-1917)がジフテリア抗毒素の発見に結びついた実験をしている時にベーリングの同僚だった。実は北里博士はこの発見の名誉の一部を授けられるべき人物である。彼はドイツを離れる前に、動物の免疫と、現在、血清療法と呼ばれているものの使用に関する有益で貴重な調査を行った。母国の保健局の役人になった後、彼は「疫病」と呼ばれる古代の病気の特徴的なバシラス属[真正細菌]を中国で発見した。

 日本はこの数年間、文明国の最も有用な特徴と発見と慣行を必死にこの島国に持ち込み、実現しようとしてきた。この事業の中に近代衛生が含まれていた。政府の代表が海外に送られ、教育に最適な人々から学んだ。これらの日本人はヨーロッパの知識を獲得して日本に戻ってその知識を使い、また他の日本人にその知識を授けた。世界はその知識が戦争でどう使われたか知っている。そして今後はそれがどう平和的技術に使われるか世界は見ていく。以下のいずれがより素晴らしいかを言うのは簡単ではない。この非常に興味深い国の人々によって欧米文明の多くの有用な特徴が即座に採用されることか、日本が採用した進歩のために海外に目を向わせた新たな衝動とその源か(注2)

1895年の検疫・隔離事業

 上の記事で称賛されている明治日本の衛生行政は、125年後の新型コロナ・ウィルス対策において令和の日本政府が学ぶべきお手本です。ところが、安倍・菅政権は真逆の対応をし、1年間で7,501人(2021年2月20日現在、(注3))の死者を出しています。約23万人の検疫・隔離をどう達成すべきかという問題に対応した内務省衛生局長・後藤新平(1857-1929)の大事業については、2020-21年のコロナ・ウィルス感染対策に右往左往する安倍・菅政権下の日本で注目を浴びました。この事業の詳細が1896(明治29)年に陸軍省から『臨時陸軍検疫部報告摘要』(注1)として公刊されました。これを読むと、細心の心配りがされた計画、実施内容であったことが伝わってきます。

 その「緒言」で後藤は臨時陸軍検疫部設置の必要性、経緯、内容などについて10ページにわたって概略しています。戦争に疫病はつきもので、日清戦争後に帰還兵23万人が持ち込むコレラその他の感染症を水際対策で防がなければ、国中にコレラが広がり、「凱旋はたちまち悲鳴と化し哀慟となり」、多数の命が失われ「生産を害し戦闘以外更に一層大なる国力の疲弊を来せる」という心配を野戦衛生長官・石黒[忠悳ただのり:1845-1941]軍医総監に伝えました(p.1)。

 同時に、彼が設立した「臨時陸軍検疫部」の精神が「仁慈に出でたるものなるに拘らず」(p.2)、1日も早く故郷に凱旋したい23万人を検査・消毒・隔離することがいかに難しいかも予想されていました。そこで周到な工程表を作成し、実施に当たって①検疫官の職権は独立強固であること、②検疫場の設備は伝染病学の学理に従うこと、③検疫作業は「分科判明、序次整然」(p.2)であることの3要件を徹底します。検疫作業を滞りなく進めるために、検疫の主旨と順序を説明した消毒場の案内図を数十万枚印刷配布して周知した結果、23万人が「整然乱れず我職員をして敏活の運動を為さしめたる」ものだった、「感嘆の至に堪えざるなり」(p.9)と述べています。この「臨時陸軍検疫所消毒場案内」は兵卒にも読めるように全漢字に和語の読み方のルビがふられています。そして、人夫たちにわかるようにコレラの感染の仕方、防ぎ方を解説した文書を配布しています。最後に、検疫した船舶数687艘、人員23万2346人、消毒した被服携帯品93万2779点と記されています。この後の詳細で、23万2346人のうち、検疫所を通過して凱旋した人数が16万9000人余、その帰途にコレラを発症したのはわずか37人だったと記載されています(p.66)。

 この内容を要約して紹介します。付記するページ数は『臨時陸軍検疫部報告摘要』の該当ページです。なお、カタカナ書はひらがなに、できるだけ現代日本語に変えて引用します。

検疫事業の決断

検疫所の選定(p.12)

土木工事・建築工事(pp.66-9)

消毒装置の設計・製作(pp.14-6)

検疫従事者の教育・訓練・実習(pp.25-6)

検疫業務(pp.12-3)

事例1:白山丸の似島検疫所入港(pp.34-41)

事例2:旅順丸の似島検疫所入港(pp.41-3)

検疫作業順序(pp.27-66)

  1. 展望掛:入港の船を報告し、当直の検疫官たる事務官(尉官医官各一名)当番卒を率いて本船に臨み、明告書の要件を尋問す(p.30)。
    展望所職員数:似島検疫所8人、彦島桜島検疫所8人
  2. 検疫官:尋問後、船内を巡検し、患者、死者がいる時は汽笛を乱鳴させて運搬科に信号し、患者運搬船で避病院、あるいは屍室に運搬させる。又患者の携帯品、死者の遺物で消毒を要するものがある時は、輸送指揮官もしくは船長立ち合いの上、これを調査し目録を作らせて消毒に送る。
    検疫消毒した船舶:似島検疫所441艘(有病船舶156艘)、彦島204艘(有病船舶82艘)、桜島42艘(有病船舶20艘)
    検疫消毒した人員:似島検疫所13万7,614人、彦島7万6,656人、桜島1万80,76人
    船内伝染病患者:似島検疫所633人、彦島288人、桜島75人
  3. 運搬科:検査科より陸揚すべき人員荷物患者及停留人員等の報告を受けたら、すぐに艀船を本船に遣して陸揚す。患者がいる時、検疫官臨検の際、本船の汽笛信号を鳴らす。この汽笛を聞いたら、別に患者船で避病院に送る。
     似島で船より揚陸した人員85,786人;梱包25,541個;手荷物98,899個;郵便物307;船員6,525人。船より避病院に送った患者636人;停留舎より避病院に送った患者518人;消毒場より避病院に送った患者55人。運搬科職員:似島177人、桜島・彦島117人
  4. 沐浴科:陸揚げした人員は、消毒沐浴を行う。点検所、物品預所、待合室、斬髪所、手拭交付所、浴場、休息室、着衣室、浴衣配布掛の八部。
    点検所:消毒すべき人員が来たら、下士以下70人を一組とし、点検所内に整列させ、人員を点検し、消毒所の心得等を説明して一人ずつ入場させる。
    沐浴科点検室職員:似島9人、彦島桜島7人;物品預所:似島10人、彦島桜島8人;待合室:似島24人、彦島桜島17人;浴衣配布係:似島22人、彦島桜島15人;手拭配布係:似島5人、彦島桜島5人;浴槽監視係:似島10人、彦島桜島8人;休息室:似島12人、彦島桜島8人;着衣室:似島8人、彦島桜島6人;物品渡所:似島10人、彦島桜島8人
  5. 物品・被服に名札として付けるべき「指輪番号合鑑」を渡し、何丸乗込将校何名下士卒何名軍夫何名等に類別し、沐浴科事務所に報告し、事務所は人員伝票を作成し、各所に伝達する。物品及被服に付すべき指輪番号合鑑は将校用金色、下士以下銀色、停留人は銅色とする。
  6. 点検の際に発病者がある時は、医官の診断を受けさせ手続きをする。
  7. 散髪を望む者は浴室から鈴を鳴らす。
  8. 手拭交付所は待合室より浴場に通過の際各人に一筋宛て交付する。
  9. 沐浴場は上長官浴室(1人浴)、士官浴室(4人混浴)、下士卒浴室(70人混浴)の区別に従い入浴させる。着衣は各人各個に合鑑を附させ、これを蒸汽消毒科に送り、入浴時間20分間とし沐浴終われば既消毒側に移らせて、ここで浴衣を交付し、直ちに休息室に行かせる。
  10. 休息室では被服の消毒を完了する間、10〜30分休憩させ、茶菓煙草を提供し、新聞雑誌類を閲覧させる。
  11. 着衣室は合鑑と同じ番号をを付した棚を設け、ここに熱汽消毒科より送って来た既消毒被服を配置し、鈴を鳴らして、休息室に知らせる。消毒済みの人は待合室より着衣室に来て、浴衣を脱ぎ、自己の被服を着装し、物品渡所に行く。浴衣は一回使用毎に蒸汽消毒に附して洗濯する。
  12. 物品渡所は消毒を終って来た一回分の全員を整列させ、携帯品貴重品を所持の指輪番号に照合して渡し、預り帳簿に渡済の捺印をし、指輪番号合鑑を纏めて点検所に還付する。その後、運搬科に通報し、宇品に行く者は通信部出張員に、停留すべき者は停留舎に送る。
    似島検疫所で沐浴消毒を施行した人員:将校3020人、下士卒5万1038人、軍夫他5万8688人、計11万2746人。

熱汽消毒科(この他、薬物消毒科、船舶消毒科がある: p.50)

検疫作業順序一覧

 上の図、「検疫作業順序一覧」は感染者と健康者が接触しないように、綿密な動線を示しており、兵士全員に配布されました。この図の右下の凡例には「未消毒健康者、未消毒健康者の衣服携帯品、既消毒健康者、健康者の衣服携帯品の消毒済、消毒を要せざる携帯品、患者、患者の携帯品、患者携帯品の消毒済、死者、死者の遺物、死者遺物の消毒済、未消毒の部分を示す、舩艙と搭載せる未消毒品、同上の既消毒品」が異なる点線で示されています。安倍政権がこれを学んでいれば、2020年2月の乗客乗員3,700人のクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号検疫作業のお粗末さを海外から批判もされず、国内の感染拡大を防御できただろうにと思います。クルーズ船では動線も作らず、感染者と非感染者を接触させた上(注5)、下船させた数百人に公共交通機関を使わせたと、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)に警鐘を鳴らされ(注6)、更に検疫に当たった厚生労働省・内閣職員が感染し(注7)、NYタイムズに、クルーズ船内で感染拡大した理由には、日本に疫病予防を専門にした政府機関が欠如し、感染症専門家でない役人が対応したことがあると批判されました(注8)

焼却科:

業務は汚物焼却、物品焼却、屍体焼却(pp.55-56)

似島臨時陸軍検疫所避病院:

職員総数495人(斬髪師2人、人夫50人、洗濯手5人を含め:pp.22, 249)

桜島及彦島臨時陸軍検疫所避病院:

職員総数322人(斬髪師2人、人夫50人、洗濯手5人を含め:p.22, 249)

停留舎(pp.244-5)

職員以下の伝染病感染者(pp.250-251)

伝染病研究の機会

検疫事業の終了

衛生行政は戦争をするため?

 NYタイムズの記事の最後の文「以下のいずれがより素晴らしいかを言うのは簡単ではない。この非常に興味深い国の人々によって欧米文明の多くの有用な特徴が即座に採用されることか、日本が採用した進歩のために海外に目を向わせた新たな衝動とその源か」が何を指しているのか、非常に分かりにくいです。前段で、日本の素晴らしい衛生行政は欧米文明から学んだ結果ではないかと問いかけ、日本は欧米から学んだ科学技術を更なる戦争に使いたいという衝動にかられ、その源は欧米に倣って植民地主義を目指し、文明国の仲間入りをすることにあることが素晴らしいと言うべきかと示唆しているのかもしれません。また、日本の検疫事業で見せたような人命救助のために欧米文明を使うことと、その背後にある戦争のための衛生行政とは区別できないと示唆しているようにも読めます。

 後藤は「緒言」で「検疫消毒の実施なからんが更に勇悍なる幾百千の士卒を失い又忠良なる幾千万の民衆を殞(いん:死なせ)し、戦後再び兵力を殺き国力を傷く此戦捷有望の帝国をして疫癘(えきれい:疫病)の蹂躙に任了し」(p.4)と述べていますから、今後も戦争を続けるためには兵力国力を維持するための検疫事業だということです。また、日清戦争について「我征清膺懲(ようちょう)の義挙」(p.5)と、正義の戦争だとしています。「膺懲」というのは「こらしめる」という意味で、42年後の日中戦争開始時に日本が使った言葉ですが、日清戦争ですでに使われていたことで、日清戦争から日中戦争へと日本の侵略戦争正当化の流れが結びついていることを示しているようです。

 一方、日清戦争の10年前、1885(明治18)年に呉市広で「膺懲碑」が建てられたそうです。その前年に起こった台風による高潮被害に対して、「開墾で村を大きくした自分たちにおごりがあった」と認め、この碑の「膺懲」は「災害を天からの『戒め』と捉え、反省と行動を促す」意味だそうです(注10)。日清戦争では、侵略戦争を正当化する日本人の奢りそのものを示す言葉に変化してしまいました。

1 『臨時陸軍検疫部報告摘要』陸軍省、明治29.7(1896)、国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/837291
2 The New York Times, July 20, 1895, p.4. https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1895/07/20/issue.html
3 「新型コロナウイルスに関連した患者等の発生について(2月20日各自治体公表資料集計分)」厚生労働省、令和3年2月21日
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_16875.html
4 松本健一『明治天皇という人』、毎日新聞社、2010.
5 「社説:クルーズ船感染 得た経験対策に生かせ」『京都新聞』2020年3月10日
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/182342
6 Robin Harding, Alice Woodhouse, “US warns against releasing Diamond Princess passengers in Japan”, Financial Times, 19 Feb. 2020.
https://www.ft.com/content/91446bd6-52b8-11ea-8841-482eed0038b1
7 「クルーズ船で業務 厚労省職員 多くがウィルス検査せず職場復帰」NHK, 2020年2月22日
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200222/k10012296751000.html

「厚労省と内閣官房の職員が新たに感染 クルーズ船で業務」『朝日新聞DIGITAL』2020年2月20日
https://digital.asahi.com/articles/ASN2N5322N2NULBJ00Q.html

8 飯塚真紀子「新型コロナ、安倍政権の『ヤバすぎる危機管理』を世界はこう報じた」『現代ビジネス』2020.02.25 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70601
9 大谷正『兵士と軍夫の日清戦争』有志舎、2006.
10 道面雅量「広の膺懲碑」『中国新聞』2021年1月26日
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=103247