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英米に伝えられた攘夷の日本(6-7-4-2)

日本軍が1937年に揚子江上のアメリカ砲艦パナイ号を撃沈し、商船複数隻とイギリス軍艦レディーバード号を砲爆した「事件」がいかに大きな衝撃を米英にもたらしたかを『ニューヨーク・タイムズ』の記事から紹介します。

 日本軍の南京占領とこれらの「事件」が並列で報道されているので、日本軍による揚子江上の米英軍艦や商船の爆撃が日本軍の南京攻撃の一環だったことが読み取れます。並べられている順番に見出しを訳し、重要と思われる内容は抄訳します。

『ニューヨーク・タイムズ』のパナイ号事件報道1日目:1937年12月13日

第1面(注1)

小見出し:「中国人は勇敢さを示した」

  • 中国軍の兵卒たちはまたもや、普通ならどんな兵士でも挫けるような恐ろしい罰や状況に耐えて固守する驚くべき能力を発揮した。ほとんどが無給で食事も支給されず、負傷しても治療も何もないにもかかわらず、門の周辺で日本軍にひどい代償を払わせた。
  • 1900年[北清事変]のように、死体の山が7,000を超えるまで天津城壁を守った。1928年にも山東省済南で日本の進出に抵抗した中国兵は同じように勇敢に戦った[済南事件]。
  • [南京では] 一時間おきに空爆があったが、中国人は自殺的戦いを続けた。

小見出し:「英国砲艦も砲撃される」「他の船は救助に急行」

第13面

第14面

小見出し:「大使館員は[南京から]避難中

小見出し:「ニュースがワシントンで報告される」「アチソン[書記官]からのメッセージ」「日本は外国船に警告」「他の砲艦2隻も砲撃された」

上海の日本陸軍本部は大きな不安を見せ、日本人記者や通信社がこの攻撃について東京に電報を打つことを禁じた(訳者強調)。

第15面

小見出し:「日本側の死傷者多数」「負傷した日本の記者死亡」

  • 金曜日[12月10日]に日本軍が南京の南門の狭い場所に突入しようとして中国軍の必死の抵抗にあい、6000人の死傷者が出たと、中国が主張した。日本の将校たちはこの場所では100ヤードしか進めなかったと認めた。
  • 中日戦争は今日、日本の新聞記者の6番目の犠牲者を出した。10月22日に上海戦で負傷した上海同盟通信のKenjiro Ashizawaが死んだ。東京朝日新聞の特派員、Shoshun Ohoは今日、南京近くで彼の自動車が地雷を踏み、重傷を負った。これ以前に2人の日本人特派員が殺されている。

第26面

『ニューヨーク・タイムズ』のパナイ号事件報道2日目:1937年12月14日

第1面(注2)

小見出し:「日本の自慢が引用される」「船は中国船だと思った」「91人死亡か行方不明」

*「日本の自慢が引用される」

 日本が揚子江上の中国砲艦全てを沈めてやったと自慢していたので、外国砲艦を攻撃する作戦は弁解の余地がないというのが合衆国海軍の態度だと理解されている。昨日の昼にアメリカ旗艦オーガスタ号上では最高の緊張状態だった。ヤーネル(Harry E. Yarnell: 1875-1959)大将が長谷川清(1883-1970)中将の公式訪問を待っていた。記者が後に日本側から非公式に聞いたところによると、長谷川中将はヤーネル大将に、パナイ号を砲撃したのは日本の飛行機だと率直に認め、彼は「完全な個人的責任を負う」と言ったそうだ。

 この言葉は多分地位を辞す意志がある、またはハラキリさえ意味するのかもしれない。外国軍とここの海軍で長い間気づいていたこと:日本陸軍と海軍の若い将校たちが完全に手におえなくなり、規律に逆らっていることだ。これが調査によって事実だと証明されたら長谷川中将が責任をとるということだろう。海軍少将本田忠雄(1888-1946)は今日インタビューの中で、パナイ号爆撃の後、飛行士たちに注意を払うよう命令したと認めた。

 過去に外国船や建物を空爆した責任飛行士は罰せられると約束されたにもかかわらず、その処罰の種類や当事者の名前や処罰されたかについてさえ、中立政府[米英]は知らない。

*「船は中国船だと思った」

 昨日の昼に発表された長谷川中将の本部による声明は以下のように言った。「中国兵が南京から蒸気船で逃げるという情報を得て、日本海軍の航空隊が12月11日(土曜)夜、船を追跡し爆撃した。3隻のスタンダード石油会社の船を中国船と間違えて、爆撃した。この作戦中に最も残念な事件が起こり、これらの船のそばにいたアメリカ砲艦が沈没した。これは心から遺憾に思う事件である。長谷川中将は全責任を負うために、直ちにあらゆる適切な措置をとる」。

*「91人死亡か行方不明」

 パナイ号乗船中のアメリカ人商店主とイタリア人ジャーナリストが殺された。

小見出し:「日本との貿易を攻撃」

小見出し:「ハル[国務長官]への指示」「下院で討論沸騰」

第16面

小見出し:「ロンドンと見解の交換」「広田の謝罪を報告」

 この状況は1898年、ハバナ港のアメリカ戦艦メイン号の沈没を思い出させる。しかし、重要な違いは日本がすぐに全面的責任を認めたのに対しスペインは拒否したこと、アメリカ世論は今激怒していないのに対し、1898年は激怒していたことである。

 グルー大使は広田(弘毅:1878-1948)氏の謝罪を報告し広田外務大臣が大使館に来て、日本海軍当局がパナイ号事件の全責任を負うと述べた。[在アメリカ日本大使館]日本海軍と陸軍の武官が今日午後[アメリカ]海軍省と陸軍省を訪問し、遺憾の意と謝罪を表明した。

小見出し:「ハルと斎藤の話し合い」[18面にハル長官の部屋の前で待っている斎藤博(1886-1939)駐米大使の写真掲載]、「日曜[12日]夜のメッセージ」「グルーからのメッセージ」

第17面

第18面

小見出し:「本当に『遺憾』とボーラ」「[米中]条約違反を主張」「[アメリカ]砲艦の撤退を望む」「ヒステリーを避ける」

小見出し:「侵略を続けると示唆」「Kianyin砦で多くの戦利品」「南京市炎上と報道」「避難民[英米ミッショナリー]が香港到着」