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英米に伝えられた攘夷の日本(6-7-4-6)

南京虐殺を伝える記事と、日本軍によるアメリカ砲艦パナイ号とイギリス砲艦レディーバード号攻撃の米英の反応、日本製品ボイコット運動などが報道されます。

『ニューヨーク・タイムズ』のパナイ号事件報道5日目:1937年12月17日(注1)

日本軍は南京陥落に満足していない;平和の確立のために戦闘を続ける

 南京への勝利の入市の2,3時間前に松井石根司令長官は声明を発表した。偉大な勝利は合衆国と英国の船に影響を与えた「最も不運な出来事」で曇らされたと述べ、「私は心の底からこの件を憂いている」と付け加えた。

 松井大将は、南京入城が示している陸軍・海軍・航空部隊の成功に日本軍はまだ満足していないと主張した。「東洋に永続的な平和を確立するための現在の遠征」(原文強調)の断固とした努力を続けるのが彼の目的だと繰り返した。南京陥落は北中国前線の戦争に疲れた中国部隊の士気にすでに深刻な影響を与えている。西山東省の8,000人の部隊は降伏し、山東と南河北の他の部隊、総数9,000人は投降した。

 南京の日本軍本部は昨日、南京の城壁内で15,000人以上を捕虜としたと発表。この他25,000人がまだ市内におり、制服を捨てて、武器を隠し、市民の服を着ていると信じられている。

米国の公式報告書はパナイ号攻撃は意図的と断定

 日曜日[12月12日]にパナイ号とスタンダード石油会社の3隻のボートが攻撃されて殺された4人に対して、1国が他国に払う最高の敬意の1つである正式弔砲を発表した。4人が殺され、パナイ号が旗を掲げながら沈没した南京上流の揚子江の現場で、水兵の一団が犠牲者への敬意を表する弔砲を発射するよう命令を受けた。

 『日日新聞』の社説はよい解決に関して世論は楽観的だと述べ、次のように続けた。「戦争は遊びではない。予期せぬ事故が頻繁に起こる。パナイ号事件がその例だ。合衆国が深刻に懸念するのは当然だが、大国の寛容さで日本の謝罪と今後の保証をする誠意を認めると信じたい」と述べた。

 海軍本部の声明では、上海の水兵たちが合衆国海軍に提供する基金として$1,500集めたという。内閣は1938-39年度の海軍予算として$200,000,000を認めたので、[1938年]1月に議会に提出される。

米英艦砲撃は日本海軍が米英に恥をかかせる目的か、血に飢えた興奮状態が理由か

 ハル国務長官が合衆国砲艦パナイ号とスタンダード石油会社の3隻の船への日本軍の攻撃に関する公式報告書を受け取った。これは非公式の目撃証言を裏付け、機銃掃射と当日の視界の明瞭度その他の状況から、この事件は日本軍による意図的行為であることを示した。ハル長官は今日記者会見で声明を出した。この報告書はまだ不完全で、さらなる公式の情報と、アメリカ政府の抗議に対する日本政府からの回答を待ってから、この状況についてどういう対応を取るか決めると言った。

 この公式報告書は上海のアジア艦隊の司令長官であるハリー・E. ヤーネル中将がまとめたもので、報告書はすぐに東京のグルー大使に送られた。日本の攻撃が意図的だということが疑いないとここワシントンで認められている一方、これが現地の将校の1人の行為なのか、日本政府を代表する最高司令部の命令によるものなのかは不明である。この点については、アメリカ政府の抗議に回答する日本の文書で明らかにされると期待される。

 攻撃の理由については、中国人の前で、合衆国と英国に恥をかかせて、中国が合衆国や英国に援助を求めても無駄だから降伏するよう説得するために、日本陸軍の司令官たちが独自にやったことだというものだ。別の理由は、空爆を見た後、日本海軍の将校たちが血に飢えて高度な興奮状態になったというものだ。

 ルーズベルト大統領の裕仁天皇宛の訴えに回答があるかどうかは不確かである。日本大使の斎藤博は訴えは天皇に届くだろうと今日言った。

 アメリカ労働組合長が今日、アメリカの労働者に日本製品のボイコットを訴えた。この国から日本軍への資金の流れを止める運動に参加するよう訴えた。労働者たちに日本製品を買わないよう、各都市の労働組合にボイコット委員会を設立して、商店に日本製品を売らないよう訴えてほしいと言う。

日本軍が完全に消耗する時は必ず来る

 「現状がどう変わろうとも、我々は降伏せず前進しなければならない」と蒋介石総統が指揮本部から中国国民に向けてマニフェストを放送した。戦闘の最初から全ての前線で中国軍の死傷者は30万人を超え、失われた市民の生命と資産は数えきれないと言った。そして「私が生きている限り、能力の限りを尽くして、あくまでも抵抗を続け、国のために最後の勝利を勝ち取る。中国の未来の成功と長期的抵抗の基盤は南京や大都市にではなく、中国全土の村々にあり、国民の決意にある。日本の軍事力が完全に消耗する時が必ず来る。そして我々に完全な勝利がもたらされる」と付け加えた。

 外務省スポークスマンと海軍大臣米内光政大将は今日、合衆国砲艦パナイ号が日本軍のボートから機銃掃射されたことをきっぱりと否定し、付近にはいかなる日本の船もいなかったと主張した。

日本は西洋の忍耐を試している

アーサー・ウィラート卿(Sir Arthur Willert: 1882-1973)、ロンドン発、12月16日

 ロンドンの外交中枢が硬化する様々な理由がある。世論が益々不安になっている。労働党と保守党が英国のヨーロッパと極東に関する政策を不成功の臆病(unsuccessful timidity)と呼んでいるからだ。議会における政府支持者たちは彼らの選挙区民から、独裁と日本が英国の権利を無視することをいつまで許し続け、日本が英国の尊厳を蹂躙したい時はいつでもできることを許しておくのかと聞かれ始めている。

「恐怖が外交を定めている」
 史上初めて英国外交が恐怖に支配されているという印象が強まっている。これは危険で屈辱的な状況だ。フランス外交がヨーロッパの独裁者たちに、英国とアメリカ外交がアジアの独裁者仲間から脅され続けている事実は益々広く憤りを起こしている。同時に日本の中国計画に関する懸念が悪化している。この事件を調査すればするほど、現地の人間の偶発的な無責任行為の結果だとは考えられなくなっている。これらの事件は軍国主義者たちが東京で権力を握っている結果、あるいはそれを示すと信じられている。

 この軍国主義者たちは二つの目的を持っていると見られている。彼らは最初に合衆国と英国の忍耐と力を試したかった;2番目に中国に対して、日本は西洋の国々を好きなようにあしらうことができると示したので、中国が西洋から援助を求めようとする必要はなく、侵入者に妥協する方が良い。最初の段階は成功に終わった。南京は占領され、蒋介石総統は内陸に追われた。北中国は広い地域が征服され、上海の外国人居留地は、東洋の混乱の海に囲まれて不満と恐怖に襲われている外国人ビジネスマンの無力な島と化している。日本の戦闘の2番目の包囲は北で彼らが獲得したものの統合強化と南への新たな攻撃が予想されている。この攻撃の主目的は、もし軍国主義者たちが思い通りにできれば、広東と香港を南京と上海でしたようにし、中国の沿岸部の戦略地点を占領して、外国貿易をできるだけ締め出し、外国から蒋介石総統に送られる供給を止めることである。

「英国にとって不愉快な予想」
 これは英国にとって愉快な見通しではない。広東と海岸線の攻撃は数多くの厄介な事件を起こし、英国にとって香港への脅威は上海への脅威よりずっと深刻だ。これがブリュッセル会議以降英国の態度が目立って硬化した主な理由である。もし日本がこのやり方を改善しなければ、変化がどんな形を取るかわからない。特に現在英国政府の外交の責任者たちは今までのところ、拳を使うよりは拳を握る方が上手な者たちだからだ。(中略)

 英国の文書とルーズベルト大統領の天皇宛の抗議文に対する日本からの究極の返答を待っている。実際の返答が多かれ少なかれ満足いく文言だというのは当然だろうが、彼ら[日本政府]の言葉はその後続く行為と同じだろうか?

『ニューヨーク・タイムズ』のパナイ号事件報道6日目:1937年12月18日(注2)

日本軍は中国人住民と南京の外国人の尊敬と信頼を得るせっかくの機会を逃した

 大規模な残虐行為と破壊行為を通して、日本軍は中国人住民と南京の外国人の尊敬と信頼を得るせっかくの機会を逃した。中国当局の崩壊と中国軍の解体は南京の多くの市民が日本軍の入市によって秩序と組織が入ってくると期待し受け入れやすくしていた。日本が城壁の内側の支配を引き継いだ時、恐ろしい爆撃の停止と中国部隊の深刻な無秩序がなくなるという見通しに大きな安堵感が中国人市民の間に広がっていた。

 日本の支配は少なくとも戦争状態が過ぎるまでは厳しいかもしれないと感じられていた。日本占領の2日間がこの見通し全部を変えた。大規模な略奪、女性に対する暴行、市民の殺害、中国人を自分たちの家から立ち退かせ、捕虜の集団処刑、そして健常男性の徴用は南京を恐怖の都市に変えた。

日本軍による大規模な残虐行為

「多くの市民が殺害された」

 市民の殺害は広く行われた。水曜日[15日]に市内を広く歩いた外国人は、どの通りでも市民の死体を見た。犠牲者の中には老人、女性、子どもがいた。警官と消防士が攻撃の特別な対象者だった。多くの犠牲者は銃剣で殺され、その傷のいくつかは残忍で残酷だった。恐怖で走り出した者はその場で殺され、夕暮れ以降外にいる者は皆パトロール隊に殺された。多くの殺害は外国人が見ていた。

 日本軍の略奪はほぼ市中全体にわたっていた。ほとんど全部の建物に日本兵が入り、度々上官の目の前で行い、何でも欲しいものを奪った。日本兵は中国人を略奪に徴用することも度々だった。食料が最初の略奪物だった。次に貴重品と役立ちそうな物だった。特に恥ずべき行為は、避難所の避難民を日本兵が集団捜索して金品も、時には身ぐるみ奪った。

 アメリカ・ミッション大学病院は現金と時計を奪われた。看護婦の寄宿舎からもその他の物が奪われた。アメリカ・ジンリン大学も日本兵に侵入され、食料と貴重品を奪われた。病院とジンリン大学はアメリカ国旗を掲げて、ドアにはアメリカ大使館によるアメリカ所有を示す宣言が中国語で書かれていた。

「合衆国大使の家も略奪」

 合衆国大使の家までも侵入された。この侵入を大使館使用人が興奮して知らせた時、パラマウント・ニュースのカメラマン、アーサー・メンケンと筆者は大使の台所で5人の日本兵と対峙し、出て行くよう要求した。彼らは不満そうにコソコソ出て行った。彼らの略奪品は懐中電灯だけだった。多くの中国人男性が外国人に報告したのは、妻や娘の拉致と強姦だった。これらの中国人は助けてくれと訴えたが、外国人は無力だった。

 捕虜の集団処刑がさらに日本人が南京にもたらした恐怖に付け加えられた。武器を捨てて投降した中国兵たちを殺した後、日本人たちは元中国兵と疑われる市民服を着た男たちを求めて市中をくまなく探した。避難地区の建物で400人の男たちが捕らえられた。彼らは50人ずつに分けて縛られ、ライフルや機関銃の日本人に挟まれて処刑地まで行進させられた。

 上海に向かう船に乗る直前に、筆者は堤防で200人の男たちが処刑されるのを見た。殺害は10分だった。彼らは壁に並ばせられ射殺された。ピストルを持った数人の日本人が崩れ折れた死体の周囲を平気な様子で歩き回り、動いている体に銃弾を撃ち込んだ。この身の毛のよだつ仕事をしながら、陸軍の男たちは堤防近くに錨を下ろしていた軍艦から海軍の男たちに見るよう招いた。多数の陸軍の見物者はこの光景を非常に楽しんでいたようだ。

 日本軍部隊の最初の縦隊が南門からチョンシャン通りを通って市の広場に向かって行進した時、市民の小集団が声援を送った。包囲が終わった安心感と、日本軍が平和と秩序を戻してくれるという期待があまりに大きかったからだ。今、南京では日本人に対する声援はない。

 市と住民を奪うことによって、日本人は中国人の抑圧された憎しみをさらに深くし、それは何年も反日という形でくすぶるだろう。それを東京は中国から根絶するために戦うと公言している(訳者強調)。

パナイ号への機銃掃射について日本国民は知らされない

 東京の政府の全部門はパナイ号への機銃掃射に関するワシントンからの公式情報について沈黙を守った。国民は機銃掃射について知らされなかった。新聞は報道しなかった。その代わりに、アメリカではパナイ号についての怒りは収まったと主張する報道をした。

パナイ号事件の映像の証拠

  先週日曜日の日本の飛行機による合衆国砲艦パナイ号の撃沈と、日本陸軍の大型艇がパナイ号が沈没する最中に機銃掃射している光景を示す完全な映画記録がまもなくルーズベルト大統領と海軍省長官のクロード・A.スワンソンに送られる。

 この記録映画は砲艦の沈没は事故であり、空爆が数回直接命中した後に、日本は船を機関銃で攻撃しなかったという日本の主張を反証するものだと言われている。この記録映画は攻撃時にパナイ号に乗船していたアメリカのニュース映画のカメラマンによって、ここ[上海]の合衆国海軍司令官ハリー・E. ヤーネル少将にすでに提出されている。