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英米に伝えられた攘夷の日本(6-7-4-9)

パナイ号・レディーバード号事件の調査に東京から来た中佐と上海の陸軍武官の証言の違い、前言の撤回などの混乱状態が『ニューヨーク・タイムズ』で報道されます。

出典:国立公文書館アジア歴史資料センター(注1)

『ニューヨーク・タイムズ』のパナイ号爆撃報道9日目:1937年12月21日(注2)

 昨夜、上海の日本陸軍武官、原田熊吉(1888-1947)少将が報告書の中で、12月12日にパナイ号が日本の空爆で沈没する前に「日本陸軍部隊に3発の大砲を撃った」(原文強調)と非難した後、今日その非難の1部を不承不承撤回した。しかし、彼は日本陸軍のランチがパナイ号の兵士たちが沈没する船から逃げる前にパナイ号を機銃掃射したということは頑なに否定した。

昨夜の彼の声明は、パナイ号の生存者たちが合衆国海軍査問委員会で証言した証拠のほとんどを断固として反対した。12月12日に蕪湖で英国砲艦レディーバード号が砲撃された件で、明らかに原田少将は認めることは不利だし、矛盾を避けようとしてか、彼は今日東京から電令を受け取ったと発表し、英国戦艦の事件については日本政府がロンドンと直接交渉しているので、この件について話すのは拒否せよとのことだと言った。

 しかし、原田少将は12月12日に中国船が南京を出て上流に向かったという報告が蕪湖の日本軍司令部に届き、蕪湖の日本陸軍司令部は攻撃せよと指令したと言った。すると、蕪湖地域を指揮している橋本欣五郎大佐は「あらゆる中国船を攻撃し、破壊せよ」と命令したと原田少将は言った。この時、レディーバード号のハリー・ダグラス・バーロー少佐が橋本大佐から直接聞いた話として、橋本大佐が川のすべての船を攻撃せよと指令を出したと言ったことが指摘された。これに対して原田少将はバーロー少佐が橋本大佐の話を誤解した、橋本大佐は「すべての敵船を攻撃せよ」と言ったに違いないと回答した。しかし、これは橋本大佐の続く行動:海岸砲台をレディーバード号に至近距離で照準を当てていたことを説明できない。

「橋本について回避」

 この件の当事者、橋本大佐について身元確認を尋ねられると、原田少将は渋々、名前は欣五郎だと言った。この橋本は1936年2月の東京の反乱に関係した橋本かと尋ねられると、原田少将はイエスもノーも言うことを拒否し、この種の件について勝手に話せないと言った。原田少将の側にいた西義章(1898-1943)中佐が紹介された。パナイ号・レディーバード号暴挙を調査するために東京から飛んできたという。彼は昨夜遅く南京から上海に飛行機で戻ってきたが、「パナイ号が実際に日本陸軍部隊に3発の大砲を撃ったかは疑わしい」という新たな証拠を得たと言われている。原田少将は個人的にはこの点で非常に疑わしいと思い始めていて、西少佐が同意してくれたと言った。質問が鋭く畳み掛けられると、西少佐は突然立ち上がって、刀を取り、帽子を掴むと、東京行きの飛行艇に乗らなければならないので失礼すると言った。

 西少佐は調査結果を説明する前に、彼の話は非公式であり、純粋に個人的意見だと断った。パナイ号が日本部隊に砲弾を撃ったという告発について、その部隊の指揮官の報告では「3発上空で聞こえ、砲弾が飛んで行くような音だったが、続いて爆発の音がしなかったというので、パナイ号からの砲弾についての指揮官の印象は正確ではないと自分は思う」と西少佐は言った。

「原田は西を否定」

 西少佐は去る前に、パナイ号が機銃掃射されたという非難は事実ではない、なぜなら、陸軍部隊のランチには重機関銃はなかったからだと主張した。しかし、西少佐が行ってしまってから、原田少将は鋭い質問をされると、ランチの日本兵たちは軽機関銃を持っていたと認めた。

 原田少将も西少佐も、陸軍部隊がパナイ号に乗船する前に爆撃されたスタンダード石油のタンカー2隻の身元は知っていたし、アメリカ人の負傷者を救助したから、パナイ号がアメリカの砲艦だと完全にわかっていたため、パナイ号に乗船する前にパナイ号を機銃掃射する動機は全くないという主張を強調した。

 昨晩の原田少将の報告は矛盾と食い違いに満ちていたので、橋本大佐をかばうためだとみなされる。筆者が最も確かな筋から聞いたところでは、日本陸軍のランチ[複数]は12月12日日曜の午後1時に蕪湖を出て、これらの船はアメリカのすべての証言によるとパナイ号を機銃掃射した。したがって、筆者は昨夜の記者会見で原田少将に尋ねた:この不慮の出来事は橋本大佐が認めた揚子江上のすべての船を砲撃せよという命令のもとに行われなかったのか。すると、会見にいた日本陸軍・海軍・大使館の代表者、9人の日本人全員が仰天した様子を見せた。原田少将はこの質問には現時点では対応できないと答えた。

 同じ確かな筋によると、パナイ号事件全体の責任は海軍ではなく、日本陸軍にあるという。この事情は以下の通りだ。

 問題の飛行機は上海所属でも海軍の空母所属でもなく、無錫(Wushing)近くの太湖(Lake Tai)を使っており、川を北に逃げる中国軍を邪魔する作戦を陸軍と共にするよう命令されていた。12月12日朝、彼ら[飛行士]は陸軍から蕪湖と南京の間の揚子江上の船全てを爆撃せよと命令を受けた。海軍の飛行士たちは大胆にこの命令に抗議したが、命令が厳しく繰り返されたので、従った。この事実は原田中将の調査では完全に無視された。飛行士たちに命令した陸軍将校の名前ははっきりとは確定しなかった。しかし、英国砲艦レディーバード号を4回砲撃した後、蕪湖で砲台の照準を船にあてろという命令を下したと橋本大佐がレディーバード号の司令官に認めたやり方と同じだ。

「陸軍に代わって謝罪」

 もう一つの奇妙な展開は、昨日の午後3時ちょっと前に原田中将が合衆国海兵隊のジョン・C.ボーモント(John C. Beaumont)准将を訪ね、パナイ号事件における日本陸軍の参加について深い遺憾と謝罪を表明したことだ。ボーモント准将との会話の中で、原田中将は日本のランチがパナイ号を機銃掃射したことを否定しなかったが、彼の謝罪と遺憾の意は暗黙のうちに罪を認めたことになる。他の公式ヴァージョンは陸軍は無罪だとみなしている。この種の矛盾について、上海の全外国官界の印象と感じ方では次のような見方が深まっている:日本政府は戦場の陸軍に対して、はっきりとした権限を確立する課題があり、明らかに[日本軍が]思い通りにするようになっている(訳者強調)。[中略:この後、非常に長く日米の主張を紹介]

 パナイ号が日本陸軍部隊に砲撃したという告発に関して、『ニューヨーク・タイムズ』のジェームズ・ソン(James Soong)が撮影した沈没してゆく合衆国砲艦の写真がパナイ号の2台の3インチ銃の位置をはっきり示している。海軍の人間なら誰でも一目でこの銃が発射されていないことがわかる。

 外務省報道官が今夜、アメリカとイギリスの日本宛文書への回答はまだ数日遅れると伝えた。その理由の一部は、事件当日の南京と蕪湖の間の揚子江に関する混乱が続いていることだという。アメリカの文書に回答するにあたり生じる困難は次第に明らかになるパナイ号爆撃の驚くべき特徴だけでなく、合衆国が要求している今後の[同様の事件を起こさない]保証の全面的な性質による。もし、戦争が続くと、日本政府は日本軍の行動を通してアメリカの権益[人命、資産、貿易など]に損害を与えないという全面的保証を与えることができないと考えられているようだ。

 もし戦闘の継続によって中国軍の武器供給を切断するために日本軍が広東を攻撃することになれば、予期せぬ状況の中で新たな事件が起こらないと想定することはできないと指摘されている。残りのアメリカの要求、謝罪と補償はすでに認められた。

「日本軍を満足させなければならない」

 これらの躊躇は外務省がワシントンを満足させる意思がないことを反映しているのではなく、陸軍と海軍に受け入れやすくする方法を編み出す困難さを反映している。日本軍はパナイ号が沈没し、英国艦船4隻が攻撃された不運な日の出来事を説明するのに、大きな困難を経験している。陸軍と海軍の中国司令部からいまだに報告書が届いている。これらの報告書には一致させなければならない矛盾が頻出している。

 東京の当局はレディーバード号砲撃の責任者だった橋本欣五郎大佐からの声明をまだ受け取っていない。彼は蕪湖を出て、審問は彼に届いていない。パナイ号事件に関する膨大な報告書が今日ようやく上海から外務省に届いた。

 東京で今主張されているのは、海軍の飛行士がパナイ号と同じ場所で日本陸軍のランチの兵士たちが懸命に日の丸を振ったのにランチを爆撃したことだ。パナイ号に乗船した[日本]兵が沈没するパナイ号の乗組員に発砲したことは、日本の審問ではまだ確定していない。

「詳細は国民に秘密にされている」

 この事件の不吉な側面は日本国民には完全に隠されている。「衝撃的な事実」(原文強調)と呼ばれることは、陸軍のランチが友人である海軍の飛行士に爆撃されたことが暴かれないことだ。日本国民が知っていることは、ただアメリカの砲艦が沈没し、英国船4隻が戦闘の最中に誤って砲撃されたことだけだ。三竝貞三[Keizo Mitsunamiと名が間違ったローマ字化]少将の召喚はまだ隠されており、6人の飛行士が軍法会議にかけられたという上海からの噂は確認できていない。

 この事件の説明が発された命令が川で動いているものすべてを攻撃せよというものだったか、飛行士と兵士たちが戦闘で興奮していたので、中立国と敵との区別ができなかったのか、あるいは、視界が悪くて彼らが判断できず闇雲に攻撃したのかという疑問に、東京に届いた情報は今のところ答えていない。

「広東[攻撃]の計画」

 [前略:日本軍が次に広東攻撃に向かうという予想について]

 宣戦布告の問題がパナイ号事件で再燃した。宣戦布告した戦争状態だったら、日本陸軍と海軍の作戦は国際法のもとで行われていたはずであり、それは地域の外国戦艦すべてを支配するものであったはずだと指摘されている。

 消息筋は今夜、明日予定されていた裕仁天皇臨席のもとでパナイ号危機を話し合う大本営会議は開かれないと言った。情報通の人によると、この会議を開かない決定は、中国を徹底的に敗北させるか罰するまで戦争を遂行するという帝国の政策に変化がないからだ。

 外務省は今夜パナイ号事件に関する記者会見を説明なしに取りやめた。外務省報道官は、日本の水上艇がパナイ号を砲撃したことを以前否定したが、それを翻し、日本軍部隊は自衛のために発砲したこと、戦闘地域におけるパナイ号の動きに関する注意が足りなかったことを日本の回答は主張すると言った。

「否定は撤回された」

 外務省報道官は今日以下のように言った。「私が[パナイ号が水上艇に砲撃されたという](原文注)報告を否定したのは、そういう情報を得て信じたからです。つい先ほど得た情報に基づき、声明を変えなければなりません。日本のボートがパナイ号の近くにいたのは事実です。今はっきりさせなければならない重要点は、どちら[パナイ号か日本のボートか]が最初に発砲したのかです。日本のボートに乗っていた陸軍士官はパナイ号が最初に発砲したと信じています」。

 「どちらが先に発砲したか」という自分の質問もかかわらず、報道官は日本のボートがアメリカの船を機銃掃射したかどうか明確に言うのを断った。

1 「『パナイ』号事件に関し12月17日附米国大使館『エード、メモアール』に対する回答文写送付の件」国立公文書館アジア歴史資料センター・アーカイブ
https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/listPhoto?NO=15&DB_ID=G0000101EXTERNAL&ID=%24_ID&LANG=default&image_num=15&IS_STYLE=default&TYPE=dl&DL_TYPE=pdf&REFCODE=C01001658400&CN=1
2 The New York Times, December 21, 1937.
https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1937/12/21/issue.html