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ミットフォード訳「鳩翁道話」

『昔の日本の物語』巻II所収「日本の説教」の2節目の題は「説教I(鳩翁道話 第1巻)」となっています。鳩翁道話についてのミットフォードの解説は本サイト「ミットフォード訳の日蓮宗法話」で紹介した日蓮宗法話の最後にありますので、訳して紹介します。

 『昔の日本の物語』巻II(1871 (注1))所収「日本の説教」(pp.125-189)の2節目の題は「説教I(鳩翁道話 第1巻)」となっています。鳩翁道話についてのミットフォードの解説は本サイト「ミットフォード訳の日蓮宗法話」で紹介した日蓮宗法話の最後にありますので、以下に訳します。

 日本では多くの説教本が出版されており、それらすべてに利点や風変わりな面白さがある。しかし、私が目にしたものの中で、『鳩翁道話』ほど私の好みにかなうものはない。以下の三つの説教がその第1巻の内容である。これらの説教は心学派の僧によって書かれた。この派は仏教と儒教と神道の優れた教えを総合せよと公言している。人間の心は生まれつき善だという立場を守り、我々が生まれた時に埋め込まれている良心の命令に従うだけでよいと教える。そうすれば、正しい道に進めるのだという。テキストは中国の古典から採られていて、我々イギリスの説教師が聖書から説教を採るのと同じようなものだ。その中のジョークや物語は我々の潔癖な言語には翻訳不可能な場合があるが、会衆の人々を指して応用されたりして、講話を活気づかせている。徳の話で聴衆を退屈させないための、日本の説教師の原則なのである。

の解説で”Shingaku sect”(心学派)とあるのは、石田梅岩(1685-1744)を祖とする石門心学を指すのでしょう。梅岩が1729年から講義を始め、門弟たちとの問答『都鄙問答』(1739)が出版されました。その後、梅岩の教えを継承し広めた手島墸庵とあん(1718-1786)、その弟子・中沢道二どうに(1725-1803)、そして柴田鳩翁(1783-1839)と続きます。中沢道二が心学の最盛期を作り、「道話聞書」(1794)によって「道話」という語が広まりました(注2)。石門心学の中で最も名高いのが「鳩翁道話三巻」(1834)、「続鳩翁道話三巻」(1835)、「続々鳩翁道話三巻」(1838)だとされています(注3)。1936年の解説「鳩翁道話の構造及び性格」によると、いずれも広く読まれ、「明治以後の活版本も、十餘種に達し、又その一部は、早くも英文に翻譯せられて外國にも紹介せられてゐる」というので、ミットフォードの訳を指すのかもしれません。

 ミットフォードが手島墸庵や中沢道二の道話を読んだ上で、「鳩翁道話」が一番いいと評価したのか、彼の日本語教師の評価かはわかりませんが、この時代の英国公使館の通訳や書記官の日本語教科書としても使われたこと、実際に鳩翁道話が行われていたこと、ミットフォードが高く評価して、英訳という労をとり、出版して1870年代の英語圏に広まっていたことは、とても興味深いです。しかも、これらの道話が日本語の標準語制定に寄与していたらしいという論も、現在の私たちにつながっている点で二重に興味深いものがあります。標準語を「明治四十年代初めに出来上がった話し言葉で、文字化すればいわゆる言文一致となるもの」と定義して、その源流はどこにあるかを探った森岡健二は、鳩翁道話などの心学道話の聞書に注目しました(注2)。「時代・地域・身分・職業・年齢・性を超えた所にあり、できる限り、個人的性格を排除した中立的(ニュートラル)な言語表現」が標準語・共通語であるとして、その口語サンプルを心学道話の聞書に求めたそうです。「鳩翁道話」は「ござります」を主にし、他の道話は「じゃ体」という違いを除いては、どれも、話者が京阪地方出身者にもかかわらず、「方言的特色が希薄で、位相性もなく、しかも文語的あるいは文章的要素を加味している点、道話の口語は、中立性の高い口語」だと評価しています。つまり、口語標準語の形成に寄与したという結論です。

『鳩翁道話』の原本

鳩翁道話一之上

鳩翁道話一之上

鳩翁道話一之上2,3

鳩翁道話一之上2,3

鳩翁道話一之上4,5

鳩翁道話一之上4,5

 これは国立国会図書館デジタルコレクション所収の明治37年版冨山房刊『鳩翁道話 前編』です。題名の次にある「男 武修聞」は、柴田鳩翁の養子である武修の聞書によるという意味です。森岡健二は「他の道話の書に比べると、全体も統一し、文体も洗練されているのであるが、このことはかえって武修による校訂と推敲の手が加わっていることを示すのではないかという見方もある」と述べています。

 ミットフォードの翻訳を日本語訳する作業で経験したのは、「鳩翁道話」原本を読むのは難しく、180年あるいは150年も前の「昔」という感じが強いのに、ミットフォードの英訳では「今」を強く感じ、とてもわかりやすいのです。それは、日本語原本の文章・表記法が古いのに、1870年代の英語は現代英語と変わりないからでしょう。同じ感じ方は『仮名手本忠臣蔵』原文とディキンソンの英訳を読み比べた時にも経験しました。ミットフォードが聞いた説教は幕末の日本語ですし、彼が読んだ「鳩翁道話」のテキストは1835(天保6)年に出版されたのですが、ミットフォードの英訳で読むと、現代人が話している/書いているような印象です。そこで、この感じ方を表すために、現代語訳にします。また、英語国民対象に書かれている点を留意して、”farmer”には「百姓」という語ではなく、「農夫」という語にするなど、江戸時代の日本を連想しながら読むと違和感を覚えるかもしれませんが、1870年代のイギリス人読者の視点で読むと想像すると、原本との違いが見えてくるかもしれません。

ミットフォード訳「説教I(鳩翁道話 第1巻)」

 孟子(原註)がこう言っています。「仁は人の心である。義は人の道である。この道を踏み外し、道に迷うのはなんと悲しむべきことか。この心を投げ捨て、心をどこに探せるのかを知らないというのはなんと悲しむべきことか!」

 これは孟子の告子(注釈者)の第1章の文章です。

 私たちが仁と呼ぶものは、多くの教師の注釈の題材でした。しかし、これらの注釈は理解が難しく、女子どもの耳に非常に入りにくかったのです。そこで私はたとえや物語を使って、この仁を取り上げようと思います。

 昔々、京都に今大路という高名な医者が住んでおりました。この人のもう片方の名前は忘れましたが、とても有名な男でした。昔、鞍馬口という所の男がコレラに効く薬を調合して、その薬の宣伝をしたいと思い、今大路に宣伝文句を書いてもらいました。今大路は宣伝文句でその薬がコレラに効くと言う代わりに、コレラという言葉を簡単にするために、間違った字を使いました。男は自分が雇った今大路のところに来て、非難して、どうしてそんなことをしたのか問い詰めると、今大路は笑いながら言いました。

 「鞍馬口は都への入り口にあたり、通行する人は貧しい農夫や山の木こりだけです。もし長々と『コレラ』と書いたら、彼らはわかりませんから、簡単に書いたのです。そうすれば、誰にも通じます。真理というものは人々が理解しなければ、その価値は無くなります。薬の効能が損なわれない限り、コレラという言葉をどんな字で書くかなど意味がありますか?」

 なんと素晴らしいことじゃないですか? 同じように、聖人の教えが女子どもに理解されなければ、単なるちんぷんかんぷんの話です。さて、私の説教は学問のある人のために書かれているのではありません。毎日の仕事に追われて勉強の時間がない農夫や商人に向けて、私は聖人の教えを知ってもらいたいと思っています。私の先生の考え方を実行するために、たとえ話や面白い話を持ち出して、言わんとする意味をできるだけ簡単にしているのです。このように、神道や仏教やその他の宗派の教えを混ぜることによって、物事の真義に近いものに到達できるのです。私が時々軽口話を紹介しても、決して笑ってはいけません。軽さが目的ではなく、私はただ物事を単純かつ易しい方法で説明したいのです。

 さて、この仁というものは実は完璧なのです。そしてこの完璧こそ孟子が人の心と言ったものなのです。この完璧な心で、人は親に仕えて孝行を達成し、主人に仕えて忠誠を達成し、同じ精神で妻や兄弟や友人に接すれば、人生の中の五つの関係の原則は困難なく調和するのです。完璧を実践するについて、親は親の義務があり、子は子の特別な義務があり、夫は夫の特別な義務、妻は妻の特別な義務があります。これらの特別な義務が間違いなく実行された時に、真の仁に到達するのです。そして、それが人の真の心なのです。

 この扇を例にとりましょう。これを見る人は誰でも扇だとわかります。これが扇だと知っているから、これで鼻をかむなどとは考えないでしょう。扇の特別な使い方は儀式に行く時のためです。または涼しい風を起こすために開くものです。それ以外の使い方はありません。同じように、この書見台は棚の代わりに使うことはできません。枕の代わりにするなんてできません。ご覧のように、書見台は書見台だけの特別な機能がありますから、そのように使わなければなりません。つまり、皆さんの親御さんを親としてみて、孝行心を持って接することが、子どもの特別な義務なのです。それが真の仁なのです。それが人の心なのです。私がこのようにお話しすると、皆さんは、他の人のことで、自分のことではないと思うかもしれませんが、あなた方すべての人の心は生まれつき真の仁だというのは本当です。私は店員が棚から品物を下ろすように、皆さんの心の良い点、悪い点を指摘しているだけなのです。でも、私の言うことを皆さんが自分で始めなければ、自分のことじゃなくて、他人のことだと考え続けたら、私の努力は全部無駄になります。

 よく聞きなさい! 親に無礼な答え方をして、親を泣かせる者よ、主人に苦労と悲しみを起こす者よ、夫を激怒させる者よ、妻を悲しませる者よ、弟を憎む者よ、兄を軽蔑して接する者よ、悲しみを世界中に撒き散らす者よ、扇で鼻をかみ、書見台を枕にする以外、何をしているのか? そんな人はここにはいないと思いますが、こういう人はたくさんいるのです。例えば、インドの裏通りなどに。どうか私が言ったことを心に留めてください。

 よく考えてみてください。もし人が生まれつき悪い性格だとしたら、何と恐ろしいことでしょう! 幸い、皆さんも私も完璧な心を持って生まれましたから、この心をたとえ千金、いや万金でも手放そうなどと思いません。ありがたいことではありませんか?

 この完璧な心を私の教えでは「人の本心」と呼びます。仁も人の本心だというのは本当です。しかし、この二つにはわずかながら違いがあります。ただ、その違いについて説明すると長くなるので、人の本心が完璧なものだとみなすだけで十分です。そうすれば、間違うことはありません。

原註:孟子は中国の哲学者Meng Tseの日本語式発音。ヨーロッパ人はMenciusと呼ぶ。

 原文と比較して、ミットフォードの翻訳が違う点は「霍乱」(日射病)という病名を「コレラ」に変えているのと、扇で「尻をぬぐふ人もいない」という表現を省略している点です。前者について、ミットフォードの英訳は”misspelt the word cholera so as to make it simpler”となっています。英語圏の人にはcholeraという綴りが間違えやすいので、「簡単にするために(意図的に)間違った綴りにした」というのは、よくわかりますし、ミットフォードの訳が巧みだと感心します。ちなみに、1817(文化14)年に長崎に持ち込まれたコレラが1822(文政5)年には大阪で広まり、300〜400人の死者を出したこと、1858(安政5)年に再び長崎に上陸したコレラが江戸まで広がり、江戸では50日間で4万人の死者を出したことを(注4)、ミットフォードは聞いて知っていた可能性は高いと思います。

 扇の喩え話は、解説の中でミットフォードが言っていたことに該当する例だと思います。「ジョークや物語は我々の潔癖な言語には翻訳不可能」(Jokes, stories which are sometimes untranslatable into our more fastidious tongue”)という”more fastidious tongue”が、日本語より厳密な英語とも読めますし、潔癖とも読めます。後者の意味で、「尻をぬぐふ」を省略したということかなと思いました。

 この後の話でミットフォードが変えたり、省略した点を見ると、文化の違いを考慮していることがわかります。たとえば、鳩翁が中澤道二から聞いた話を紹介しているくだりで、ある豪家に逗留したおり、その家の14,5歳の娘が様々な花嫁修業をしていると聞いて、道二があんまを習わせよ、結婚後に舅姑が病気になった時に役立つからと勧めたという話で、「肩こしをなでさすり」という箇所は「シャンプー」に変えています。別のたとえ話では、夜寝る時に用心して雨戸や戸締りをどんなにしても、雨戸や戸は「大きなおならをしても、ひびき破れる位」の薄さではないかという箇所も、”may be blown down with a breath”(一息で吹き倒される)としています。

1 A.B. Mitford, “Japanese Sermons” (pp.125-135), Tales of Old Japan, Vol.II, Macmillan and Co., London, 1871, pp.135-189.
 https://archive.org/details/talesoldjapan00mitfgoog
2 森岡健二「口語史における心学道話の位置」『国語学』第123集、1980-12-30
http://db3.ninjal.ac.jp/SJL/getpdf.php?number=1230210340
3 乙竹岩造「鳩翁道話の構造及び性格」『教育学研究』Vol.5 (1936-1937), No.1, pp.1-24
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kyoiku1932/5/1/5_1_1/_article/-char/ja/
4 長崎大学薬学部・長崎薬学史プロジェクト「江戸末期の疫病」『長崎薬学史の研究』
http://www.ph.nagasaki-u.ac.jp/history/research/cp1/chapter1-1.html