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英米に伝えられた攘夷の日本(6-7-3-2)

1951年のアメリカ上院「太平洋問題調査会に関する公聴会」でのユージン・ドゥーマンの証言から、グルーとドゥーマンが国務省から追放された経緯が明らかになります。
(写真:1945年8月14日、日本のポツダム宣言受諾を発表するトルーマン)

 アメリカ上院の「太平洋問題調査会に関する連邦議会上院司法委員会国内治安小委員会公聴会」に証人喚問され、1951年9月14日に証言したユージン・ドゥーマン(D)と委員会の弁護人モリス(M)や上院議員とのやりとり、6-7-3-1に続く部分を抄訳します(注1)。適宜、原文にない小見出しをつけています。


D:これらの事件が実際に起こっている間に、『ネイション』の1945年2月3日号に「危険な専門家」という題名の記事、パシフィカス(Pacificus, 太平洋問題調査会の略称?)のメンバーの記事ですが、発表されました。お許しいただけるなら、読み上げたいのですが。「危険な専門家」と言われる人の中に私のことがありますので。

ドゥーマン氏は天皇崇拝の軍国的な形以外は、天皇制を維持すべきだと信じているだけでなく、日本で我々が頼りにできるのは、ビジネス・リーダーたち、皇族の人びと、そして官僚たちだけだと思っている。

 この記事が出版される2,3日前に極東地域委員会が開かれ、教育問題を話し合っていました。私が指摘したのはビッグ・ビジネス・リーダーたち、貴族階級のメンバー、高レベルの専門家たちの大多数はイェール・ハーヴァード・ケンブリッジ・オックスフォード、その他イギリスと合衆国の大学で教育を受けたということです。我々の路線で再教育することに価値があるとしたら、これらの人々が我々の教育機関の恩恵を受けたのですから、進める要素として最適だということで、そうでなければ再教育には何の価値もないということです。両方はあり得ません。

 このようなことを言ったのですが、この記事はそれを捻じ曲げています。しかし、重要なことはこの内容が2,3日後に『ネイション』に発表されたことです。このような場合には排除法を取るのですが、委員会の常任委員で毎回出席し、完全に信頼できる人以外にフリードマンが常に要素としていました。

 そこで、フリードマンのところに行って、このような記事の情報源は彼だと非難しました。彼は否定し、この情報を権限のない人に提供したことはないと言いました。(p.714)彼は当時の上司、ヴィンセント氏に話しただけだと言いました。(中略)

敗戦後の日本に関するラティモアの予想

M:ドゥーマンさん、オーウェン・ラティモアがその頃に日本に関してどんな立ち位置だったか、話せる範囲で話してください。1945年のことです。

D:(中略)最もよく知られ、引用されているのは『アジアの解決』(Solution in Asia)という本で、1945年2月頃に出版されたと思います。その春と初夏にかけて、日本の降伏まで広く読まれました。

 彼のスタンスは、日本人は戦争に負けたら君主制に反対して反乱を起こす;国務省の中には、日本の上流階級の人から得たこと以外日本について何も知らない、いわゆる反動的なファシスト要素の人々がいて、この要素が日本人の意思に反して天皇を維持するために合衆国の影響力と威信を使うつもりだというものです。

 もう1点彼が主張したのは、戦争指導者は東條大将やその他の主要軍人ではなく、産業界の指導者たちだということです。陸海軍は大実業家の単なる傀儡だということです。ですから、彼は日本人が反乱を起こし、天皇制を廃止することを認め、これらの実業家たちを戦犯として排除し、二度と影響力を持つ地位にならなければいいのだというのです。

 3番目の点は、日本の制度、経済制度を完全に解体し、高度に発達した競争経済制度を確立するということです。(中略)

 最近、メディアがラティモア氏を引用して、彼の主張は一貫して日本人が君主制を廃止したいと思う場合は、干渉しないと強調するものだと言ったというのです。これは一面的です。『アジアの解決』の中で、こんなことを言ってます。字句通りには引用できませんが、だいたいこんな内容です。「政治的予言をあえてすれば、日本人は自ら反乱を起こして君主制を廃止する」。

 同時にこの頃、降伏の前ですが、グルー氏と私のような人々が天皇に権力を持たせたままにしようとしていると示唆し、それは、アメリカの影響力と地位を行使して、日本人が自らの意思を実行しようとすることを妨げようと私たちが提案したという含みです。(p.715)

 1つ言っておきたいことは、天皇に関するこれらの議論が左翼メディアによって続けられたことは全くの気違い沙汰です。もし日本人が天皇を追い払いたいと思ったら、我々が彼を維持するためにできることは何もないのは明らかです。一方、もし日本人が天皇を維持したいと思ったら、我々が君主制を廃止するのは愚かなことです。(p.716)

(中略:ヴィンセントも同じ考え方だったかという質問に、彼がこの件で意見表明するのを聞いたことがないと答えます)

追放されたグルーとドゥーマン

イーストランド議員:グルー氏が辞職した時、国務省内でヴィンセント氏はどんな地位でしたか?

D:グルー氏は8月14日頃に引退というか、辞表を出したと思います。私は2,3日知りませんでしたが、彼が引退した日、辞表を提出した日ですが、ディーン・アチソン氏(Dean Acheson: 1893-1971)が国務省次官に任命されたという通知がありました。ディーン・アチソン氏は以前に弁護士業に戻ると言って、国務省の次官補の職を辞めたのです。こうしてアチソン氏は1945年8月25日頃に国務省に戻ってきました。その翌日に、彼は極東小委員会の議長はヴィンセント氏に変えると宣言したのです。(p.717)

アチソン-ヴィンセントのポスト降伏初期政策

イーストランド議員:ジョン・カーター・ヴィンセントが日本について提案したことと、共産主義の東欧に対する政策に違いがあるか知りたいのですが。

D:共産主義者が東欧で何をしたのか話す資格はありませんが、日本で何が行われたかはお話できます。(中略)

イーストランド議員:ヴィンセント氏が日本に対して行おうとした政策と、ロシアが衛星国に対して指令した政策と同じだというのがあなたの判断じゃありませんか?

D:えーと、正確を期したいと思うのですが…。

イーストランド議員:あなたの判断はどうなんですか?

D:私の判断は同じです。(中略)1945年9月22日にホワイトハウスが「日本に対する合衆国のポスト降伏初期政策」(The United States Initial Post-Surrender Policy for Japan)を発表しました。この文書は私たちの極東小委員会が7,8ヶ月かけて作成したものですが、いくつか重要な変更があります。(中略)

M:記録を正確にしてよろしいですか。必要ないかもしれませんが、ドゥーマン氏が証言しているのは、これがアメリカ政策の発布ということで、ドゥーマン氏が国務省に公式に所属している間に取り組んだ文書だということです。そして、このプログラムが最終的に発布された時に変更があったと気づいたことです。それがドゥーマン氏とグルー氏が採用したプログラムを引き継いだ人々によってされたということです。

D:その通りです。

イーストランド議員:それはアチソン-ヴィンセント・プログラムだということですか?

D:そうです。

イーストランド議員:彼らはこのプログラムで何をしようとしているのですか?

D:第一にしたことは、1946年ですが、$1,000以上のすべての財産に60%から90%の資本税を課したことです。

イーストランド議員:ロシアは同じことを東欧の国々でしたのですか?

D:私が質問にお答えするのをためらったのは、この点です。ロシアがそうしたのかどうか知りません。多分同じ方法かその他の方法で目標は達成されたと思いますが、よくわかりません。(中略)これが意味することを想像できると思います。一撃で資本家階級が一掃されるということです。この言い訳として、インフレを防ぐことが必要だとされています。(中略)

イーストランド議員:その他に提案されたのはどんなことですか?

D:(中略)次に、1人の土地所有者が5エーカー以上保有している土地はすべて収用されることです。

イーストランド議員:それは共産主義の制度ではないですか?

D:ポーランドでは200エーカーという制限をつけていたと思います。でも、日本では8500万人が土地から生計を立てており…。

イーストランド議員:わかりますが、彼ら[アチソン-ヴィンセント]は共産主義システムに従っているということですね?

D:そうです。(pp.717-8)
(中略)

イーストランド議員:その提案はマッカーサー元帥に気に入られたのですか?

D:お答えとして、マッカーサー元帥の日本国民への宣言に対するアチソン氏の声明を引用させてください。占領の一周年記念だったと思いますが、日本占領が200,000人の兵士数に削減される時を楽しみにしているとマッカーサー元帥が述べています。これは国務省内で激怒され、アチソン氏が声明を出して、マッカーサー元帥や占領軍はワシントンの行政部の命令を実行するだけの存在だと述べたのです。マッカーサー元帥は政策作成者じゃないと。つまり、政策はワシントンで作成されるという含みです。(p.719)(中略)

アチソンのドゥーマン攻撃

D: 1945年の春、国務・陸海軍調整委員会の本会議がありました。その日の議長は陸軍省次官補のジョン・マックロイ氏(John McCloy: 1895-1989)でした。委員会全体でヨーロッパ問題について話し合っていましたが、私には関係ないので、私はヨーロッパ問題の話し合いが終わった時に入室しました。

 そして、出席者の中にディーン・アチソン氏がいるのに気づきました。ヨーロッパ問題について相談するために呼ばれたのだと思いますが、私が話すことになっていた日本の政治制度については彼は全く関係ない人でした。それなのに、彼は着席したままでした。彼はその時国務省の次官補で議会関係担当でした。彼は公式には全く関係ない人でした。

 私が委員会で報告をすると、その終わりにマックロイ氏がアチソン氏に向かって「ディーン、君は極東問題の偉大な権威者だ。今聞いたことをどう思う?」と言いました。その返答:

 極東専門家は二束三文の値打ちしかないということがわかったよ。君が求めているどんな見解も支持する専門家は見つかるよ。それに、僕自身は今聞いたことに賛成しない。僕の見解に賛成する専門家の指導を受けたほうがいいと思うね。

 その時以降、彼はラティモア博士の『アジアの解決』から字句通り引用していました。(中略)日本人が反乱を起こして、君主制を廃止するというラティモア博士が予想している箇所です。そして、もし君主制が存在し続けるとしたら、それは国務省内にファシストのグループがいて、彼らが合衆国の威光を利用しているからだと言っています。

スミス議員:彼は事実上資産の没収を表明しているこの政策を承認したのですか?

D:もちろんです。彼は国務省次官補でしたから。(中略)(p.723)

スミス議員:バーンズ(James F. Byrnes: 1882-1972)国務長官も知っていたんですか?

D:いいえ、その気配はありませんでした。
(中略)

M:アチソン氏が日本に関する見解を表明するのを聞いた時、それがオーウェン・ラティモアが『アジアの解決』で著した見解と一致すると証言しますか?

D:その通りです。

M:専門家が二束三文の価値しかないという彼の見解は、その頃のオーウェン・ラティモアの見解と一致していましたか?

D:はい、専門家のあるタイプについての彼の意見はそうです。彼は自分の意見に同意しない専門家については批判的でした。実際、『アジアの解決』の中で彼はこう言っています。私のような日本に長いこと滞在した人は上流階級としか接しないから、何が起こっているのか全く知らないと。(中略)

D:[『アジアの解決』から読み上げる]。

ワシントンは、日本人が神秘的で狂信的で、普通の知性を使っては理解できないという専門家で溢れている。同じ専門家はまた、なぜ日本人はいつもこうするとか、絶対にこうしないとか偉そうに説明する噂話を引用する中毒症にかかっている。

これが、ラティモア博士が自分の見解に賛成しない人々を愚弄する例です。(p.724)
(中略)

D:ラティモア博士の天皇に関する見解も紹介しましょうか?

M:お願いします。

D:189ページから引用します[ドーマン氏が読み上げる]。

 もし日本人自身が天皇なしにすると決めたら、結構なことだ。そうでなければ、軍国主義がここまで壊滅的に敗北したのだから、我々勝者は天皇を利用する必要はないと示す必要がある。彼[天皇]と日本の皇位継承の規則で皇位継承の資格のある男性全員を、できれば中国に抑留すべきだが、国連委員会の監督下で連合責任が強調されている。天皇の財産と、財閥、重要軍人の家族の財産は農地改革プログラムに譲渡すべきだ。これは天皇の制裁なしに、国連の指示で行われるべきだ。やがて、天皇の死後、また新たな行政と財務産業管理が確立したら、皇室の残りのメンバーはどこでも好きな所に行けるようにする。その頃には、新たな既得権益が君主制の再興を防ぐことができるようになるだろう。(p.725)
(中略)

M:国務省の極東部の公式印刷物で、ラティモア氏の見解と一致するものを知っていますか?

D:はい、もうはっきり申し上げたと思うんですが、日本用のポスト降伏初期政策はヴィンセント氏に責任があります。

M:どうしてそう思うんですか?

D:この文書を作成した委員会の議長だったからです。(p.726)
(中略)

訳者コメント:
アチソンがドゥーマンの発表後に、「極東専門家は二束三文の値打ちしかない」とドゥーマンに聞こえるように言ったという箇所のアチソン発言の原文は、”I have discovered that far eastern experts are a penny a dozen”で、「掃いて捨てるほどいる」という意味もあります。日本の政治・社会・文化の専門家として知られていたドゥーマンを排除しようとする目的だったのでしょうが、本人の面前でアチソンがこのような表現をすること自体に人間として最低のマナーも持たない人物だと感じました。6-7-1で見たように、ドゥーマンは幕府の文書を英訳するほどの日本語力と理解力を持っていた専門家ですが、そんな人がアメリカに「掃いて捨てるほどいる」と言ったのです。

1 ”Hearings before the Subcommittee to Investigate the Administration of the Internal Security Act and Other Internal Security Laws of the Committee on the Judiciary United States Senate, Eighty-Second Congress, First Session on the Institute of Pacific Relations, Part 3”, United States, 1951. Hathi Trust Digital Library
https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=uc1.a0002243236&view=1up&seq=5