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2019年4月

ジョン・チャイナマンへの教訓

“A Lesson to John Chinaman”(ジョン・チャイナマンへの教訓), Punch, 9 May 1857.Scanned image and text by Philip V. Allingham, The Victorian Web. 該当記事へ 続きを読む

Cobdenism

「コブデニズム」、Punch , 14 March 1857.Scanned image and text by Philip V. Allingham該当記事へ 続きを読む

君の友達のために今、何が言えるかい、リチャード!

「君の友達のために今、何が言えるかい、リチャード!」Scanned image by Philip V. Allingham; text by George P. Landow, Punch, 2 May 1857. What Can You Say For Your Friends Now, Richard?” (Punch, 2 May 1857), The Victorian Web, 12 April 2004.http://www.victorianweb.org/periodicals/punch/34.html該当記事へ 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(6-3-3)

“A Lesson to John Chinaman”(ジョン・チャイナマンへの教訓), Punch, 9 May 1857.Scanned image and text by Philip V. Allingham, The Victorian Web. (注1)

パーマーストン首相の反論

の『パンチ』の戯画で、Chinamanがぶら下げているプラカードの文言は”The Destroyer of Women and Children”(女子どもの破壊者)と記され、教師としていじめているのはパーマーストン首相です。カントン攻撃によってカントン市民を殺戮したのはイギリスなのに、その罪を中国人役人に着せて、中国をいじめるパーマーストン首相を風刺しているとも読めます。一方で、中国人役人が同国人に対して残酷だと主張するパーマーストン政権と、政権を支持するメディアがその論を報道していたので、『パンチ』の戯画もこの論を取り上げたのでしょうか。いずれにしろ、議会での議論を知らない読者には、女子どもを殺戮したのは中国人役人で、その中国に文明を教える首相と読めて、カントン攻撃を正当化するメディアの側面が見えます。 パーマーストンは初の首相就任が70過ぎという点で、史上初の首相とされ、メディアに人気があった点でもユニークだとされています。メディアは彼の「男らしい」外交手腕を好み、特に中国に対する高圧的な態度を好んだと評価されています(注2)。 下院の中国問題議論の4日目、最終日(1857年3月3日、(注3))に、グラッドストンの後にパーマーストン首相が立ち上がり、グラッドストンと同じぐらいの長演説をしますが、彼の議論から戯画の意味が読み取れます。 パーマーストンは最初から動議を提出したコブデンの人格攻撃を長々とします。開口一番、「the Honourable Gentleman[コブデン]はアリストテレス時代前の中国の論理学についてお話しになったが、もし彼が中国の論理学かアリストテレス時代の論理学を勉強したなら、彼が提出した動議文を書くようなことはなかっただろう」(注3)と皮肉たっぷりに始めます。次に、コブデンが香港提督ジョン・ボーリングは友人だが彼の行為は糾弾されるべきだと言ったことを取り上げ、友人の過ちを大目に見るのが友情だと、延々とコブデンの人格攻撃を続け、次はカントンの葉長官の人格攻撃です。パーマーストンの発言中で彼と彼を支持する人々の特徴が見られる箇所を抄訳します。
    この葉というのはどんな人物か? 国家を汚した最も残酷な野蛮人の一人である。人間性の品位を貶め、堕落させるあらゆる犯罪を犯した。これら二人の男[ジョン・ボーリングと葉]のコンテストにおいて、英国の代表にでなく、この野蛮人がえこひいきされたのは、あまりに異常だ。 私はウェスト・ライディング地区選出議員[コブデン]のスピーチの趣旨と調子を大きな痛みをもって聞いたことを告白しなければならない。なぜなら、スピーチ全体に反英感情が充満していたからだ。自分の国と国民とを結びつける絆全てを拒絶する言葉が下院議員の口から出るとは予想もしていなかった。イギリスの全てが間違いだ、イギリスに攻撃的なもの全ては正しい[と言った]。彼はイギリス商人は傲慢・横柄・粗暴・利己的・貪欲・金稼ぎの男たちの集団で、自分たちの勝手な目的のために、居住地で絶えずこの国を紛争に巻き込むと言った。彼はイギリス政府が弱者をいじめ、強者には腰抜けだと言った。 この船は実際のところ、どの点から見ても、イギリス船として保護される資格があると証明されたと思う。[中国が犯した]悪事に対する謝罪だけでなく、二度としないという保証を要求する権利がある。この船が海上にいたか、川にいたかという情けない区別をこの下院で議論するなど予想もしなかった。
 この後、延々とアロー号事件について、中国側がどうやって海賊が乗船していると判断したかを、どこからの情報か示さずに述べます。例えば、川を航行していたアロー号と並走していた中国当局の船から、赤いターバンの男と前歯の欠けた男を見つけ、彼らが海賊だとしてアロー号に乗船した;しかし、どうやって並走している船から見えたのか;乗船してみたら、老人しかおらず、海賊の父親だと思われたので、尋問のために逮捕した;もし海賊が見つからなかったら、中国当局はこの老人を斬首しただろう等々。パーマーストンのスピーチはまだ続きます。
    この紛争が起こって葉が最初に行ったのは、イギリス人の首に賞金を出すと公表したことだ。次に彼はこの憎むべき人種を根絶する秘密の方法を用いたと主張する声明を発表した。香港からの最新の情報で、この秘密の方法がいかに実行されたかわかる。シスル号[the Thistle: 郵便蒸気船] 内の残虐な殺人[カントンから香港に航行中、1856年12月30日に、乗客として忍び込んでいた中国兵が11人のヨーロッパ人を殺害した事件]と、香港のヨーロッパ人コミュニティの食事に毒を盛り込んだこと[1857年1月15日]だ。それなのに、本当に驚いたことに、オックスフォード大学選出議員[グラッドストン]は(中略)これらの残虐行為を擁護した。(”No! no!”と議場から叫ぶ声が挿入されていますが、グラッドストンが「違う!」と言ったのでしょうか)いや、そうだ。これは弱者が強者に対抗する自然で必要な手段だと彼は言った。だから、もしある国家が野戦で敵と戦うには弱すぎたら、この人の見解によれば、人類を貶めるような最も下劣で残虐な犯罪に正当性が十分あるということだ。(”No! no!”)(中略)この人の言葉とこの問題の対応の仕方は、彼がこのような恐ろしい犯罪のある種の言い訳をでっち上げていることを示していると言わざるを得ないのは悲しいことだ。(”No! no!”)彼は中国の弱さは野蛮国家でさえ、中国よりもはるかに文明度が低い国でさえ、カフラリア人[現在の南アフリカ共和国の東縁部で、当時イギリス領]とインド人でさえ恐ろしさで縮み上がるような防衛方法に頼ることが正当化できると言っているのだ。(”No! no!”) さて、我々が中国と戦争していると議論されたが、我々は中国と戦争状態ではないと主張したい。最新の出来事までは、この争いは純粋に地域的なものだった。残念ながらカントンの最高地位にある男の野蛮性が引き起こしたことだ。 中国に関する我が国の政策は将来どうあるべきかと聞かれた。これはもちろん、現在の中国との関係がどうなるか次第である。我々の第一の義務は、我々が防衛すると信じて中国に行った英国人が中国各地で蓄積した膨大な資産を守ることだ。 我々は中国を英国の王国にする気はない。イギリスが外国の他の地でしたことから、英中間で自由貿易が確立したら、中国の独立が侵害されると推論する資格は中国には全くない。(中略)我が国の商人がビジネスを立ち上げた国々を、我々が侵略したいという思いを示したことがあるか? 中国と他国との間にもっと大きな貿易関係ができれば、それは中国の人々にとっても大きな利益があることは明らかだ。 南京条約の結果、中国の港が開港した時、イギリスの生産者と商人は3億5000万人、世界全体の1/3に相当する人口に対する貿易ができるという期待が果てしなく膨らんだと言われている。 現在のところ、中国と我が国の貿易では、購入品の支払いのほんの一部が品物で、残りはアヘンと銀で払わなければならない。(中略)もし中国と友好な関係になれば、英国・フランス・アメリカ政府は貿易のためにさらなる開放を手に入れることに成功し、我々3国にとって利益は膨大なものになるだろう。中国自身にも計り知れない利点があるだろう。 昨夜、バッキンガムシャー選出議員(ディズレーリ)は短いがはっきりと、この投票は女王陛下の政府に対する不信任だと考えると言った。この議論のほとんどの点がその結論を示している。なぜなら、在中国の我々の役人たちの行為が残酷で軽率だから、我々は彼らを即刻譴責すべきなのに、そうせず、反対に彼らを支持し、彼らの行為を承認し、彼らが自分たちの能力と責任の限りベストを尽くしたと信じた我々に対するものが今夜の投票だと、オックスフォード大学選出議員[グラッドストン]が言った。 我々がしたいことは何か? 中国に使者を送って、葉が正しかったと言うことか? この議会の緻密な法律家たちが発見したことは、様々な法律上の専門知識に照らして、アロー号は英国法によるとイギリス船ではないと葉に言うことか? 従って、彼がしたことは正しかったと言うのか? そして、イギリス国旗を掲げていると彼がみなす船に対して同じことをしてもいいと言うのか? その結果はどうなるだろうか? 本議会に申し上げる。もしこの動議が賛成されたら、香港とカントンにおける我が国の貿易は、まるで海賊がカントンを乗っ取ったような、不安定なものになる。(中略)それだけではない。葉は勝利の歌を掲げて言うだろう。「臆病なイギリス人は私を恐れている。この野蛮人を全部追い払った。イギリスは偉大な国で、強大な陸軍と海軍を持っていると彼らは言ったが、イギリス人は私を恐れている。我、葉長官は今後彼らに対して何でもできる。私はカントン市の柵を中国人の首ではなく、イギリス人の首で飾ることもできる。私は何でも好きなようにできる。彼らの資産は望む者たちに略奪させよう」。このようなことがカントンだけで済むとお思いか? 我々はカントンだけでなく、他の港にも広大な利権がある。例えば、上海はほぼヨーロッパの町である。
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英米に伝えられた攘夷の日本(6-3-2)

イギリス議会下院で政府が承認したアロー号事件対応とカントン攻撃に対する賛成、反対の議論が続き、グラッドストンが戦争反対の動議に賛成票を投じてほしいと熱弁をふるいます。院の4日間にわたる議論はA4の印刷ページ数にすると、合計186ページに及びます。上院の動議提出者のダービー卿のスピーチ(6-2-1参照)は3時間だったと報道されていますので(注1)、他の戦争反対論の議員も同様だったと推測できます。議論の4日目、最終日には後に首相になるグラッドストン(William Ewart Gladstone: 1809-1898)がそれまでの議員たちの議論を引用しながら、自分の主張を展開しているので、きちんと聞いていることがわかります。動議に反論する議員の論に特徴的なのは、コブデンが批判したような「野蛮、半野蛮」という差別表現を使い、中国に対して武力で教えるのは正当だという趣旨の偏見に満ちたものが多いことです。 グラッドストンの議論の中で感銘を受けた箇所を抄訳します。グラッドストンはリバプールの裕福な商人の息子として生まれ、この議論の中でも自分は商人の出自だがと断って、議会で商人クラスを代弁するようなことはすべきではないと批判しています。政治の世界に入ったのは1832年で、1843年に保守党政権に入閣しますが、次第にリベラルに変わっていき、1859年に自由党に入党して、1867年に党首となり、翌年、首相となります。グラッドストンは4度首相となり、ヴィクトリア朝時代の中心的政治家とされています(注2)

グラッドストンの議論(注3)

    我々に対する中国の[守るべき]条約義務について話してきたが、中国に対する我々の[守るべき]条約義務について忘れてはならない。我々はどんな目的で香港を獲得したのか? この点に関する条項を諸君は見たことがあるか? 諸君が[香港を]手に入れた目的は次のように書かれている。「中国皇帝陛下は大英帝国女王に香港島を割譲する。英国国民が必要な時に船を修理する港があるべきで、この島は必要であり、望ましいことは明らかであるからだ」(グラッドストンが引用した条文:”His Majesty the Emperor of China cedes to the Queen of Great Britain the island of Hong Kong, it being obviously necessary and desirable that British subjects should have some port whereat they might careen and refit their ships when required”)。これが香港割譲の目的だった。もし我々がこの条約の精神に従って行動しなければならないとしたら、条約はこの目的のために適用されるのである。(中略)しかし、諸君の中国に対する条約義務はこれだけではない。もう一つある。追加条約の第12条だ。「公正で正常な関税とその他の税が制定された今、これまでイギリスと中国商人の間で行われてきた密輸システム、その多くの場合、中国税関の役人が黙認したり、共謀していたシステムが完全に止むであろう。この件に関して、全英国人商人に対して絶対的な布告がすでに英国全権大使によって発せられた。全権大使は領事たちにも、彼の監督下で貿易に従事する全英国人の行動を厳しく監視し、注意深く調査するよう指示した」(”A fair and regular tariff of duties and other dues having now been established, it is to be hoped that the system of smuggling which has heretofore been carried on between
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英米に伝えられた攘夷の日本(6-3-1)

君の友達のために今、何が言えるかい、リチャード! キャプション:「君の友達のために今、何が言えるかい、リチャード!」Scanned image by Philip V. Allingham; text by George P. Landow, Punch, 2 May 1857. (注1)

カントン砲撃についてのイギリス議会での論争:下院

 アロー号事件とカントン砲撃について、イギリス議会下院(庶民院)で、リチャード・コブデン(Richard Cobden: 1804-1865)が反戦の動議を提出しますが、上の『パンチ』の戯画はコブデン議員を揶揄しています。このようにメディアは戦争賛成の世論を形成していきます(注2)。下院での議論は1857年2月26日に始まり、2月27日・3月2日・3月3日と続いて、激しい議論が展開されます。まず動議を提出したコブデン議員の論点を紹介します。コブデンは貧しい生まれで、サラサ染め工場を始めて、お金を貯めると、29歳から35歳までフランス・ドイツ・スイス・米国・中近東を旅して、政治家になります(注3)

コブデン議員の論点

:上院の議論と重なる内容は除外し、特徴的な論点を抄訳します(注4)
    今我々は中国と戦争状態にあり、資産の甚大な破壊と荒廃が起こった。私が尋ねたいのは誰がこの戦争の作者か、そしてなぜこの戦争が始まったかという点である。中国のために尋ねるのではなく、我々自身の名誉を守るために尋ねる。この問題を弱小国ではなく、強国と交渉していると仮定して検討していただきたい。この国には政策を2つの方法で追求する傾向があることを私は屈辱的に思っている。一つは強者に対する方法、もう一つは弱者に対する方法である。これはイギリス人が生まれ持っている性格ではない。時には多少傲慢で高圧的で喧嘩を売るような傾向もあったが、弱者をいじめ、強者に対しては腰抜という性格は一度も持ったことがない。この問題について、中国とではなく、アメリカと交渉すると仮定して検討しよう。我々は中国と条約を結んでおり、この国との国際関係で、我々は完全に対等な立場である。
    最近提出された書簡に関して申したいことがある。このブルー・ブック[議会に提出される資料の呼称、(注5)]がなぜダービー伯爵がこの問題について話したその日の朝に議員のテーブルの前に置かれたのか、なぜ元首の名前で、「中国における侮辱に関する書簡」という揶揄する題名で提出されたのか? 私の経験からは、このブルー・ブックはあの朝、まさに我々を惑わす目的で置かれたのだと言いたくなる。多くの議員は単純な騙されやすい田舎紳士だから、ブルー・ブックに対して私のように貪欲ではない。彼らはこう言うだろう。「やめてくれ! 中国で我々が被った侮辱について、225ページも書いてある本だ。いい加減、クラレンドン卿がイギリスの権益を守るために仲介するべき時だ。この問題で必要なら戦争に行くのは全く正しい」。私はこの本を全部読んだが、1842年から1856年までの書簡の要領を得ない抜粋だ。暴動や村の紛争など。イギリス人が射撃のために居留地の外に出て、村人に野次られたとか。別のイギリス人が射撃に出かけて、男の子を撃ってしまい、その子が失明したとか。領事がその子に土地を買うための金200ドル与えたとか。これらに「中国における侮辱」という題名がつけられたのである。
    リバプールの「東インドと中国協会」の商人たちが中国から何を求めているか、我が国の外務大臣に述べている。「イギリス政府は中国沿岸、航行可能な川の全港を外国貿易のためにいつでも開港し、その港に領事を配置し、我が国の戦艦がこれらの海岸と川を自由に航行する権利を主張すべきだ」。もっと身近なたとえで、お示ししよう。このような文書がモスクワから来て、中国ではなくトルコに対してだと想像してみてほしい。そうすると、こう読める。「ロシア政府はトルコ海岸、航行可能な川のあらゆる港を、いつでも外国貿易のために開港する権利、これらの港に領事を配置する権利、ロシア戦艦がトルコの全ての港と川に自由にアクセスし、航行する権利を主張すべきだ」。もしこのようなのがロシアから届いたら、リバプールで大暴動が起こるであろうことは想像できるはずだ。この紳士たち[リバプールの商人たち]の敵としてではなく、友人として言わなければならないことは、このような言い方は非難されるべきだ。なぜなら、商人階級に同情的な者を非常に不利な立場に置くからで、陸軍と海軍階級に関しても同様である。
    あえて言うなら、世界に貿易がこれほど自由な大帝国はない。我々が中国で今享受しているのと同じ低関税の港を、1港でいいからフランス・オーストリア・ロシアに持てたらと願うばかりである。地球上で中国ほど貿易設備が優れている国はない。
    リバプールの商人たちは何を望んでいるのか? 他に12港、暴力を使って開港させたら、貿易が増加すると思っているのか。先の戦争で実証済みだ。諸君、覚えているように、1842年の夏、この国には暗雲が垂れ込めていた。中国との条約の報告がこの国に届いた時、とてつもない期待が膨れあがった。ランカシャーの人が帽子を投げて「3億人の帝国で、北の港が自由に使えるようになり、中国人全員が我が社の綿ナイトキャップを買ったら、我が社の全工場は稼働が続けられる」と言った。我が国の輸出はどうなったか? 1842年以降、中国への輸出は全く伸びていないのである。
    輸入の方は伸びている。この輸入の大半はアヘンで支払われてきた。我が国のインドに対する輸入も伸びたと言われている。確かに、我が国の商人はインドにロングクロス[白綿布]を輸出し、それをアヘンと交換して、そのアヘンが中国に行き、代償として銀がインドや英国に行く。1842年の戦争が我が国の中国貿易を伸ばしたから、新たな戦争も同じような結果をもたらすと信じるなど、惑わされてはならない。現在、中国で行なっている戦争行為は我が国の貿易を増すどころか、減少させると私は予想している。
    諸君[パーマーストン政権]はフランスとアメリカが一緒になって、アロー号事件をもとに共通の[戦争]原因を作り上げることに参加すると思っているのか? アメリカ政府は今までに取られた方針を認めないと信じる。アメリカはこのような暴力的行動に参加しないと信じる。アロー号事件のような悪、卑劣、汚い事件に諸君の味方となって参加する人がいると思うのか? 
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