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「もっともっと暗い日々」(3)

国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の職員がハマスによる攻撃に関与したとイスラエルが主張したら、証拠がないのに欧米諸国がUNRWAに対する資金を停止し、ジェノサイドを加速するに等しい制裁に日本までが参加しました。戦争犯罪の共犯者になる可能性があると指摘されています。 1838 続きを読む

「もっともっと暗い日々」(2)

イスラエルのガザ攻撃についての続きです。1807 続きを読む

「もっともっと暗い日々」(1)

2024年の幕開けは日本では元旦の16時10分にマグニチュード7.6の「令和6年能登半島地震」が起こり、中東のパレスチナ・ガザ地区では2023年10月7日から続いているイスラエルによる爆撃が新年早朝に行われました。かたや自然災害、かたや人間による無辜の民の殺戮です。1776 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(8-2-6-2-3)

神戸事件(1868年2月)当時、24歳だったアーネスト・サトウと30歳のミットフォードが欧米の「傍若無人の行動」を主導した立役者だったことを見ます。 1761 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(8-2-6-2-2)

神戸事件(1868年2月)が起こった背景には、欧米列強が1868年1月1日に強硬に神戸開港・大阪開市をし、その直後の鳥羽伏見の戦いで攘夷の維新政府軍が勝利したことがあります。 1756 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(8-2-6-2-1)

万延元年遣米使節が集団ハラキリをするかもしれないという記事が1860年の『ニューヨーク・タイムズ』に掲載され、その約160年後に再びNYTで「集団切腹」という語が報道されました。一方、1868年2月にNYTが「欧米列強による聖なる国への侵略」と伝えた神戸事件、その1ヶ月後に欧米列強が維新政府に「集団処刑」を求めた堺事件が起こります。 1737 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(8-2-6-1)

万延元年遣米使節団が滞米中に伊井大老暗殺のニュースが報道され(1860年6月)、新聞紙上で使節団に伝えるべきかの議論が起こります。 1728 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(8-2-5)

咸臨丸のサンフランシスコ到着を伝える『ニューヨーク・タイムズ』(1860年4月17日)には中国人を奴隷として欧米の植民地に送る「クーリー貿易」も伝えられ、日本からの使節団を迎える時にアメリカの恥だという趣旨の社説が掲載されます。 1715 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(8-2-4)

万延元年遣米使節の訪米中(1860年)に奴隷貿易の問題が頻繁に報道され、奴隷制反対の大議論が米国議会で行われていました。使節の中には帰路に寄港したアフリカ西海岸で鎖に繋がれた奴隷を見たことを日記に記した人々もいます。 1703 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(8-2-3)

「万延元年遣米使節」(1860)のためにニューヨーク市議会は大規模なパレードと歓迎式典を企画しましたが、その経費や運用について批判が起こり、ニューヨーク市を告訴した市民もいました。日本使節団は帰国前に警護した警察へ多額の寄付をしました。 1692 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(8-2-2)

「万延元年遣米使節」(1860)がワシントンで謁見したブキャナン大統領の無礼な発言と、21世紀のアメリカの対アジア政策の共通点を検証します。 1676 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(8-2-1)

日本は金銀の交換で40%〜60%の利鞘が稼げる国という報道と同日の『イラストレイテッド ・ロンドン・ニュース』に「万延元年遣米使節」訪米(1860)の銅版画が掲載されます。 1654 続きを読む
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