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2020年3月

英米に伝えられた攘夷の日本(6-7-3-7)

国務省の広報ラジオ放送「我々の日本占領政策」(1945年10月7日)の内容にドゥーマンが異議申し立てをしたこと、アメリカ上院「太平洋問題調査会に関する公聴会」(1951)でのドゥーマンの証言の最後の部分を紹介します。「国務省ブルティン 我々の日本占領政策」(1945年10月7日)の最後の部分です。(注1)適宜、原文にはない小見出しをつけます。回答者の役職は6-7-3-5をご覧ください。

アメリカは日本社会党を全面的に支持し、国家神道を廃止する

インタビュアー:最近の興味深い出来事は、日本でリベラルで急進的な感情が戻ってきたことです。前労働・社会政治グループが一緒になって1政党、社会党になったそうですが、この件で我が国はどんなスタンスを取るのですか?ヒルドリング:それが本当なら、日本における全ての民主的傾向を支持する我々の政策に沿って、社会党にあらゆる支持を与えます。そして全ての民主的グループを軍国主義狂信者から守ります(訳者強調)。(中略)インタビュアー:もう1つ鍵となる重要な問題ですが、神道についてどうするんですか。特に「国家神道」と呼ばれる国家主義の宗教となっている一派です。ヴィンセント:神道は日本人個人の宗教である限りは介入すべきものではありません。しかし国家が管理する宗教としての神道は廃止されなければなりません。国家神道を支持するために国民に課税されることも、学校に神道が入る場もありません。(中略)インタビュアー:日本の学校制度の一掃はどうなんですか?相当めんどうな仕事ですよね。ヴィンセント:しかし、日本人は学校の一掃に協力しています。極度な国家主義教育を受けた教師は全員排除されます。小学校は出来るだけ早く再開されます。デニソン:学校制度が本当の変化が始まる場所です。若い世代に民主主義を理解させる教育をしなければなりません。年上の世代も同じです。インタビュアー:それは随分長い時間がかかりますね。デニソン:どのくらいかかるかというのは、我々がいかに速く指令を実施できるかにかかっています。我々があらゆるチャンネル—教科書・新聞・ラジオなど—を通して日本国民に届いたら、あなたが考えるほどの時間はかからないかもしれません。インタビュアー:その楽天的観測のベースは何ですか、デニソン大佐?デニソン:日本の外で多くの日本人を観察する機会がありました。ハワイの日系アメリカ人とか。彼らは子どもが7歳になると、祖父母と暮らすために1年間日本に送ります。日本の生活とハワイの生活の違いがとてもはっきりして、大多数は完全に合衆国に忠誠的な人間としてハワイに戻ってきます。戦争中に彼らの忠誠心は証明されました。インタビュアー:その忠誠心を説明するものは何ですか?デニソン:単にアメリカの生活スタイルの方が好き(原文強調)ということです。7歳では、アイスクリーム・映画・漫画などですが、年上になると、もっと重要なことについて学び理解し、評価できるようになります。日本の人々も我が国の生活スタイルが好きになると信じています。彼らが本当の市民的自由の味(訳者強調)を覚えたら、二度と昔のやり方に戻りたいとは思わないでしょう。

日本人は服従・従順を吹き込まれているから、本当の民主主義は育たない

ヒルドリング:私も同意します。実際、人々を民主主義に向ける再訓練に関しては、日本はドイツほど問題がないということもかなりあり得ると思います。ナチは非常によく訓練され、洗脳されていたので、その殻を打ち砕くのは大変です。日本人は服従・従順という1つの基本的思想を吹き込まれていますから、扱うのは簡単です。(p.742)ヴィンセント:大佐、それはむしろ難しくしているかもしれませんよ。それをどう見るか次第です。日本で本当の機能する民主主義がなければならないとしたら、服従という特性は進取の気性にとって変わらなければなりません(訳者強調)。インタビュアー:ヴィンセントさん、占領下の日本人の態度についてお話し願えませんか。ヴィンセント:新聞が多くを語っています。私が今ここで言えることは、日本人は諦めて敗北を受け入れているが、どんな対応を受けるのか心配しているということです。占領軍に協力する気持ちはあるという証拠がたくさんあります。しかし、長い間軍隊の支配に耐えてきたので、健全な民主的リーダーシップの出現には時間と励ましが必要です。 私たちは「東洋を急かす」ようなことも、マッカーサー将軍を急かすこともしてはいけません。社会・経済・政治体制の改革は穏やかなプロセスで行わなければならないし、賢く始めて、慎重に育んでいかなければいけません。(p.743)
 アメリカ上院「太平洋問題調査会に関する公聴会」(1951)におけるドゥーマンの証言の中で、国務省の広報ラジオ放送「我々の日本占領政策」でヴィンセントが表明した占領政策にドゥーマンが異議申し立てをした箇所から抄訳します。重複する部分がありますが、流れ上、ドゥーマンが読み上げたその箇所を含めます。

ドゥーマンが異議申し立てした占領政策内容

M:つまり、ヴィンセントの立ち位置は絶えず、7000万から8000万人の日本人が生計を立てるのは、できるだけ日本の4島の都市部で見つけられるものに限るというものですね?D:その通りです。言い換えれば、農業と漁業と日本人が支えられる程度の小規模産業に強調点が置かれています。(中略) M:ドゥーマンさん、この[ラジオ放送の]トランスクリプションの中で特に強調したい箇所があったら教えてください。(p.735)(中略)D:個々のヒルドリング大将が話している箇所です。[ドゥーマンが読み上げる](p.743)(中略)D:これがヴィンセント氏の考え方を示す点です。つまり、日本は主に本州とその他の島にある資源だけで生きるべきだ、農業と漁業と消費者製品の開発に努力を集中させるべきだと言うのです。先ほど申し上げたように、日本はペンシルベニアの1/4に相当する土地で、そこから生み出すもので8500万人に生計を立てろ、しかも鉄・鉄鋼・石炭・綿・羊毛、その他の一次原料や天然資源がない国です。(pp.743-4) M:ドゥーマンさん、現時点でその結論を裏付けるその他の資料がありますか?議事録に残したいという。D:マッカーサー将軍が9月1日だったと思いますが、声明を出した...。 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(6-7-3-6)

アメリカ国務省の広報ラジオ放送「我々の日本占領政策」(1945年10月7日)の主要部分を紹介します。(注1) 「国務省ブルティン 我々の日本占領政策」(1945年10月7日)の続きです。適宜、原文にはない小見出しをつけます。回答者の役職は6-7-3-5をご覧ください。

ドイツ占領と日本占領の違い

インタビュアー:ところで、ヒルドリング大将、あなたはドイツと日本両方の占領政策に関わっているそうですね。両国の主要な違いは何ですか?ヒルドリング:大きな違いはありません。単純に言えば、二度と世界の平和を壊さないようにすることです。違いは主に、この目的を達成するための支配のメカニズムです。日本ではまだ政府が存在しているので、利用しています。ドイツでは中央政府がないので、我々の支配は地域に対するものです。インタビュアー:あなたの見解では、日本に政府があることに利点がありますか?ヒルドリング:日本政府を利用することによる利点は莫大です。もし、我々が利用できる日本政府がないとしたら、7000万人の国の統治に必要な複雑な機構全体を直接管理しなければなりません。日本人は言語も習慣も態度も我々とは違います。[軍国主義の]一掃(cleaning up)とその道具として日本政府を使うことによって、我々の時間とマンパワーとリソースの節約になります。言い換えれば、我々は日本人に自分の家の掃除をするよう要求し、その方法を提供しているのです。

公職追放

インタビュアー:しかし、日本政府を利用することで我々が日本政府を支持していると批判する人もいます。そうであれば、日本の戦争に責任のある人たちを公職追放する我が国の政策の妨げになりませんか?ヒルドリング:それは全くありません。我々が政府や産業界のどのグループも個人も支持することになりません。もし我々の政策が政府や産業界から誰かを排除することであれば、その人は排除されます。この点で日本政府の希望は重要ではありません。排除は毎日マッカーサー将軍によって行われています。(中略)インタビュアー:ヴィンセントさん、日本の政治家はどうですか? 戦犯だと思える人がいるように思いますが。ヴィンセント:東久邇内閣は先週辞職しました。今日の報道によると、幣原が首相になったというので、非常に心強いです。この内閣がどうなるか予想するのはまだ早すぎますが、前の内閣よりよくなると信じられる理由がたくさんあります。もしマッカーサー将軍によって公職にふさわしくないと思われたら、その人は辞めさせられます。インタビュアー:東久邇内閣の閣僚で戦争犯罪で裁かれる人はいますか?ヴィンセント:ここで個人名をあげることはできませんが、しかるべき機関によって戦争犯罪者として起訴された人は皆逮捕され、裁判にかけられます。閣僚という地位は何の保証にもなりません。(p739)(中略)インタビュアー:デニソン大佐、名前は除いて、財閥の人たちも対象とされますか? 大企業は軍国主義者に協力して、戦争で利益を得た人たちも有罪と考慮されますか?デニソン:ドイツに適用したのと同じ基本的政策に従います。ドイツでも起業家が戦犯としてあげられたことを覚えているでしょう?インタビュアー:ヒルドリング大将、日本の戦争遂行力に大きく貢献した大企業家についてはどうするのですか?ヒルドリング:我々の政策では、ファシスト・主戦論者(Jingos)・軍国主義者たちはみな排除されます。公職だけでなく、産業界も教育界もです。我々の国家政策は日本の戦争遂行力を破壊することです。これが意味するのは、大企業連合は解体されなければならない(原文強調)ということです。これ以外に達成方法はありません。インタビュアー:ヴィンセントさん、大企業についてどうですか?ヴィンセント:2点あります。戦争犯罪者と考えられる財閥のメンバーに対する訴訟を必ず起こすつもりです。それと、最も有名な三井・三菱・住友のような日本経済に威力を持っていた家族型大企業を解体するつもりです。インタビュアー:金融財閥も?ヴィンセント:そうです。もうお聞きになっていると思いますが、マッカーサー将軍は金融財閥の権力を解体し、彼らの略奪品を剥奪する方法を講じ始めました。(中略)ヒルドリング:日本はあらゆる形の武器・弾薬・兵器、艦艇と飛行機の製造、開発、維持を禁じられます。この問題の大きな部分は、近代戦争経済の鍵だった日本の産業の削減と消滅を含んでいます。これらの産業は鉄・鉄鋼・化学・工作機械・電気機器・自動車機器の製造です。ヴィンセント:もちろん、これは日本経済の主要な方向転換を意味します。日本経済は何年も全面戦争に必要なものに向けてきました。我々の厳重な監督のもとに、日本は労働力と天然資源を平和な生活という目的に向け直さなければなりません。インタビュアー:それは多くの失業者を生み出しませんか?何か失業に対処することがなされているのですか? 例えば、数百万の復員兵に対して。ヴィンセント:我々の政策は、日本の経済問題の解決は日本に責任があるというものです。日本は農業・漁業・[国内]消費製品の生産に集中すべきです。各都市で復興のための建設作業がたくさんあります。このような自己救済の努力に我々は介入するつもりはありません。我々は励ましは与えます。(p.740)

敵国に食料供給はしない

インタビュアー:戦争用重工業から投げ出された工員たちはどうしたらいいのですか?ヴィンセント:日本が維持を許可されている軽工業に仕事を見つけるしかないですね。日本の産業経済のこの改造の目的は日本がもっともっと国内マーケット用に生産するように、経済を内向きにさせることです。インタビュアー: 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(6-7-3-5)

ユージン・ドゥーマンが証人喚問された上院の「太平洋問題調査会に関する公聴会」(1951)で、証拠として提出された国務省の広報ラジオ放送「我々の日本占領政策」(1945年10月7日)全文が掲載されていますので、紹介します。

ドゥーマンの証言

 上院の公聴会におけるドゥーマンの証言の続きです。Dはドゥーマン、Mは委員会の弁護人モリスの略です。 M: ドゥーマンさん、あなたは1951年7月11日の非公開委員会で証言し、最初にジョン・カーター・ヴィンセント氏とあなたとの間に見解の相違があると以下のように言いました。
 日本のように人口過多で植民地なしに支えられない国は、大陸で入手できる天然資源を日本にも利用できるようにしないと共産化するという非常に深刻な危険性があるというのがその頃の私の考えでした。一方、7000万〜8000万の日本人の生活には、日本の4島の都市部で見つけられるものに制限すべきだというのがヴィンセントの考えでした。(中略)
訳者コメント:ドゥーマンが「植民地なしに支えられない国」と植民地肯定の発言をしているのに驚きます。戦後日本でも日米開戦しない方が合理的だったと評価されました。ドゥーマンのこの発言がなされた1951(昭和26)年に当時の首相・吉田茂(1878-1967)が過去の日本外交を検証するよう外務省政務局政務課長の齋藤鎮男(1914-1998)に指示したと、『経済学者たちの日米開戦』(2018,(注1), p.158)がその結論を引用しています。
齋藤が同僚とまとめた外務省の文書「日本外交の過誤」(昭和二六年四月一〇日)の最後では対英米開戦の判断について次のような指摘がされている。かりに、あの際日本が隠忍自重して、戦争に入っていなかったと仮定したら、どうだろうか。戦争を前提とするからこそ、石油も足りない、屑鉄も足りない、ジリ貧だということになる。戦争さえしなければ、生きて行くに不足はなかったはずである。

ラジオ放送された日本占領政策

ドゥーマンの証言の続きです。D:これらの見解は国務省後援のラジオ放送で発表されました。1945年10月6日の夜、ワシントンD.C.で放送されたと思います。 M:あなたはその放送を聞いたのですか、それともそのトランスクリプション(転記/筆記録)を読んだのですか?D:新聞でそのトランスクリプションを読みました。 議長:誰がその放送を作ったのですか?D:このプログラムに参加したのは数人いて、SWINK(State-War-Navy Coordinating Committee国務省・陸海軍調整委員会)の民事部メンバーだったヒルドリング大将(General Hildring)と現在、大統領付海軍武官のデイヴィッドソン大佐です。 M:ドゥーマンさん、今そのトランスクリプションのコピーをお持ちですか?D:いいえ、持っていません。 M:その放送で何が起こったか覚えていますか?D:私が非公開委員会で証言したのと同じです。(中略)強調されていたのは、日本が支えられる程度の小規模産業と農業、漁業です。 M:議長、このトランスクリプションは重要と考えられるので、記録に入れてください。(中略)((注2), p.735)訳者注:このブルティンが掲載されていますので、主要点を抄訳します。適宜、原文にはない小見出しをつけます。((注2), pp.736-743)

「国務省ブルティン 我々の日本占領政策」1945年10月7日

アナウンサー:ヒルドリング大将は財閥、日本のビッグ・ビジネスは解体されると言います。「我々は日本が大企業合同を再建することを許さない。日本の民主的グループが軍国主義狂信者たちに攻撃されないよう守ることを約束する」。 国務省のジョン・カーター・ヴィンセントは国家神道の終末を予測しています。「天皇制は根本的に修正され、日本の民主政党は集会と表現の自由を確約される」。 海軍のデニソン大将は日本は民間航空を認められないと言います。日本はやがて民主主義を受け入れると予測し、[アメリカ]海軍は将来日本を管理する責任がある(訳者強調)と強調します。インタビュアー:ここ数週間、我が国の日本占領政策ほど、新聞・ラジオ・世論がこれほど広く議論しているテーマはありません。この議論は非常に有益な目的に役立っています。数百万のアメリカ人に、7000万人が住む日本における我々の危険で複雑な仕事について気づかせました。我が国の基本的な日本政策に関するホワイトハウスの出版物(1945年9月23日号ブルティン)はこの議論にまつわる多くの混乱を取り除きましたが、同時に多くの疑問も起こりました。我が国の政策はどう適用されるのか。この疑問に答え、我が国の日本政策を解釈してもらうために、この仕事に直接関わっている政府機関、国務省・陸海軍の代表にお越しいただきました。 ヒルドリング大将、非常に多くの人が最近まで、マッカーサー将軍が日本政策を定める自由を持っていると思っていました。この政策がどう決定されるのかからお話し願います。ヒルドリング:私は政策作成ではなく、実行の補助をしているのですが、政策がどう作られるのかご説明します。国務省・陸海軍調整委員会、略してSWINCが基本的に重要な問題について政策を作成し、大統領の承認を得ます。軍事面では、統合参謀本部の見解が慎重に考慮されます。承認された政策の指令が書かれ、統合参謀本部がマッカーサー将軍に伝えます。我が国の日本占領軍の日本における最高司令官として、彼はその指令を実行する責任を負っています。彼はとてもよくやっていると思います。(中略)

マッカーサーと国務省の軋轢

インタビュアー:ヴィンセントさん、マッカーサー将軍と国務省の間に緊張関係があるのか知りたいのですが。ヴィンセント:そのような報道には全く根拠がありません。実のところ、マッカーサー将軍と国務省の間には直接的な関係はありません。マッカーサー将軍が非常に困難な任務を遂行するにあたって、我々の支持と援助を受けていると保証します。インタビュアー:マッカーサー将軍が民間アドバイザーを歓迎しないという報道がありますが。ヴィンセント:それも事実ではありません。民間の極東専門家がすでにマッカーサー将軍の司令部に派遣され、彼は非常に誠意をもって歓迎しました。我々は目下、日本の経済、財政などの専門家をリクルートしているところです。このような人々をもっと送る予定です。

アメリカ海軍が日本占領に深い関心を持っている

インタビュアー: 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(6-7-3-4)

ポツダム宣言の元となったユージン・ドゥーマンの草案が「太平洋問題調査会に関する公聴会」の議事録に掲載されていますので、公表されたポツダム宣言と草案の違いを検証します 1951年のアメリカ上院「太平洋問題調査会に関する公聴会」でのユージン・ドゥーマンの証言から、ドゥーマンがグルーに指示されて日本に降伏を勧める文書の草案を作ったこと、それが一部を除いてほぼ全文ポツダム宣言になったことがわかりました(6-7-3-3)。彼の草案が公聴会の議事録に掲載されています。ポツダム宣言原文(注1)とドゥーマンの草案((注2), pp.733-4)を比べ、違いを検証します。現代日本語訳は「安倍首相が『読んでいない』ポツダム宣言 現代語訳だとこうなる」(2015, (注3))を参照してください。

合衆国-イギリス-[ソヴィエト連邦]-中国の元首による宣言草案

原文注記:もしソヴィエト連邦が参戦しなければ、カッコ内は削除すること。(国務省で完成:1945年5月)

第1条について

    国名の順番が違うことと、ドゥーマン草案で注記されているように、ソヴィエト連邦をカッコ付きで入れている点が違います。ドゥーマン草案は、アメリカ、イギリス、次に[ソビエト連邦の総統][the Generalissimo of the Soviet Union]と挿入され、最後に「中華民国主席」(the President of Republic of China)という順番です。ポツダム宣言ではアメリカの次に「中華民国国民政府」(the National Government of the Republic of China)が置かれ、ソヴィエト連邦は入っていません。 もう1点の違いはドゥーマン草案が「戦争終結の機会を日本の人々に与える」となっているのに対し、ポツダム宣言では「日本に与える」となっています。それ以外は同じ字句です。

第2条について

    ドゥーマン草案では、第2条でもソヴィエト連邦が挿入されていますが、ポツダム宣言にはありません。それ以外、また、最後の文言の違い以外は全く同じです。 ポツダム宣言では、「日本が抵抗をやめるまで」(until she ceases to resist)とされているところを、ドゥーマン草案では「日本の降伏まで」(until her capitulation)となっています。

第3条:

一字一句同じです。

第4条について

    ドゥーマン草案は2文ですが、ポツダム宣言はそれをまとめて1文にしています。ドゥーマン草案の第4条の拙訳は以下の通りです。
身勝手な軍事アドバイザーたちの知性のない計算によって日本帝国を消滅の淵に追いやった人々のリーダーシップに盲従し続けるほど、日本の人びと(原文強調)は理性に欠けているのか? 日本人が破滅への道を歩み続けるのか、理性の道を選ぶか決定する時期が来ている。Are the Japanese so lacking in reason that they will continue blindly to follow the leadership
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