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2018-03-06

英米に伝えられた攘夷の日本(4-4)

1854年9月に長崎に来航したイギリス艦隊の軍医助手に対して、長崎奉行の役人が、イギリスはなぜ平和を好む国を略奪し、戦争するのかと質問をぶつけました。

幕府役人のイギリス人への疑問:なぜ戦争するのか?

節で箱館の役人とウィッティンガムが意見の相違をぶつけ合ったことを正直に書いているのを紹介しましたが、長崎の役人も軍医助手のトロンソンに対して鋭い質問をぶつけたことをトロンソンが正直に紹介しています。1854年9月7日〜10月20日の間に、奉行所役人の何人かが毎日のようにバラクータ号にやってきて、デッキの上の「銃・銃弾・ロープ・カトラス[船乗り用短剣]・数字・我々の制服の各部位の名称」などを英語で何というか聞き、熱心に英語を習得しようとしていたと述べています((注1), p.19)。この頃の長崎奉行所の役人たちの様子と、トロンソンの感想も興味深いので抄訳します。

彼らはどこに行ってもいいと許可されていた。扇子であおぎながら、覚えたばかりの英語を繰り返して、歩き回っていた。我々からの贈り物やお土産は断ったが、ワインを1,2杯飲むことには異論がなかった。飲むとすぐに顔が赤くなり、気が大きくなった。乗組員の一人がオランダ出身なので、通訳として私たちの話を訳してくれたが、彼らはとてもおしゃべりになった。

 一人のはっきり物を言う役人が言った。イギリスは西欧ではとても小さな国だが、強い海洋国で、平和を好む国々の船を略奪することで生きていて、全ての国に貢ぎ物を強要すると言った。この無知な友人を啓蒙するのに非常に苦労した。大英帝国が辿ってきた道を地図を使って説明した。ヴィクトリア女王の支配を認めた様々な国を列挙し、イギリスの使命は全ての国々に対して平和と友好を宣言し、権利を守り弱者を擁護し、世界中に文明を広めて、抑圧された人々を解放することだと説明した。この役人は、あなた方が言うことはすべてとてもいいことだが、それなら、なぜロシアと戦争するのか、イギリスとフランスが一緒になって1国と戦うのかと聞いた。我々もロシアとの戦争は望まなかったが、トルコは弱いし、我々の同盟国だから、トルコを守る必要があるのだと返答した。彼はアフリカの奴隷問題に関してイギリスがしたことを聞いたと言い、女王の心は「善意に満ちて広い」(good and large)に違いないと言った。次に彼はフランスについて聞いてきた。私はフランスの巨大な軍事力と国民性、進歩、法律、そしてエネルギッシュな支配者について語った。フランスとイギリスを隔てる海があんなに狭いのに、なぜ言語が異なるのか、彼には納得できなかった。日本人が探究心を持っていることがとても嬉しかった。それで、彼に毎日会いたいと言ったが、彼は二度とやって来なかった。次に彼に会えたのは、箱館港だった。(pp.20-21)

幕府役人の世界情勢把握

 トロンソンと応酬した長崎奉行所役人が「アフリカの奴隷問題に関してイギリスがしたことを聞いた」と言ったのは、具体的に何を指すのでしょうか。この時の長崎奉行所の役人達が共有していた『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』が何年のものかもわかりませんが、1854年以前のものを調べてみました。役人がヴィクトリア女王が慈悲深いに違いないとコメントしたことから、ヴィクトリア女王と奴隷というキーワードで調べると、とても興味深いことがわかりました。

 1850年11月23日号((注2), p.412)に以下の記事が掲載されています。

ダオメ王国の王女が女王に披露された

 英国軍艦ボネッタ号のフォーブス大佐が最近、ダオメ王から提供された若いアフリカの王女を我が国に連れてきた。女王陛下は状況を聞いて、寛大にもこの子どもを庇護するというご意思を示された。そして、フォーブス大佐と王女の披露を先週の土曜日に指定され、その日、大佐はこの興味深い預かり物を伴って、ウィンザー城の披露に出席した。まだ8歳ぐらいの王女は、プリンス・コンソート[王配、ヴィクトリア女王の配偶者]、皇太子、第一王女、その他のローヤル・ファミリーと王室の数人の前に披露された。フォーブス大佐がこの黒人王女を所有することになった経緯は奇妙なものだった。勇敢な大佐(ウィンザー近くのウィンクフィールドのフォーブス大佐の息子)はダオメ王国の奴隷港を終結させる目的で、ダオメ王と条約を交渉中だった。この興味深い子どもは高位の出だと考えられているが、ダオメ王が近隣の支配者と戦闘中に王によって捕虜にされた。低いランクの捕虜を殺すのがダオメ王の習慣だったが、この子どもはポルトガルやブラジルの奴隷売買人に渡すために監禁されていた。2年間も厳重に監禁された頃に、王がフォーブス大佐に特別な好意と尊敬の印として彼女を提供したのだ。この小さな王女がウィンザー城で女王陛下に正式にお披露目された後、フォーブス大佐と共にウィンクフィールドに戻った。女王陛下の支援で彼女の教育がされるため、その準備が整うまでウィンクフィールドに滞在する。彼女が我が国に到着して以来、英語の習得に目覚しい進歩が見られる上、音楽の才能に恵まれており、知性も並外れていることがわかった。彼女の髪の毛は短く、黒く、縮れていて、アフリカ出身であることをはっきりと示している。一方、顔は美しく気持ちの良い顔立ちで、マナーと行動は非常に穏やかである。

 ヴィクトリア女王(1819-1901)は年取ってからの写真しか見たことがありませんでしたが、このころの『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』には頻繁に挿絵が掲載されていて、若い姿がわかります。この時、31歳でした。以下の挿絵は1年後の1851年6月7日号((注3), p.522)に掲載されたヴィクトリア女王と夫のアルバート殿下、皇太子と王女の姿です。ロンドン万博(the Great International Exhibition)のクリスタル・バレス開会式(5月1日)のボランティアをした母親の子どもたちから皇太子と王女が花束を受けるのを許可したと説明されています。

PRESENTING A BOUQUET TO THE PRINCE OF WALES プリンス・オブ・ウェールズに花束を贈る

PRESENTING A BOUQUET TO THE PRINCE OF WALES
プリンス・オブ・ウェールズに花束を贈る

ヴィクトリア女王の庇護を受けたアフリカの少女

 この少女について、アフリカ系アメリカ人とその他の国のアフリカ系の人々の歴史のリファレンス・サイト、ブラック・パースト(BlackPast.org)に掲載されている内容(注4)を紹介します。この少女、サラ・フォーブス・ボネッタ(Sarah Forbes Bonetta: 1843-1880)は現在のナイジェリア南西部のヨルバ民族(Yoruba people)のエグバド族(Egbado clan)のプリンセスでした。西アフリカのダオメ王国のゲゾ王は奴隷貿易で悪名高く、1847年、サラが4歳の時に奴隷狩りをし、サラの家族はみな殺され、彼女だけが捕虜とされました。フォーブス大佐がゲゾに奴隷狩りと奴隷貿易をやめるよう説得しに行った時、サラの存在を知り、少女をゲゾ王からヴィクトリア女王への贈り物にしてはどうかと持ちかけ、救い出します。翌年まで、サラはフォーブスと共に西アフリカに残り、洗礼を受け、サラ・フォーブスという名前を付けてもらいます。フォーブスは「この少女は完璧な天才だ。今では英語が上手になり、音楽の才能もあり、同じ年頃の白人の子どもより勉学の適性があり、心も強く、優しい」と書いています。

 フォーブスが1851年に亡くなると、ヴィクトリア女王はサラの教育費を支援し、サラはウインザー城に度々女王を訪ねるようになります。イギリスに到着して1年ほどすると、咳が止まらなくなり、イギリスの気候のせいだと考えられたので、ヴィクトリア女王はサラの健康のためにシエラレオネのキリスト教系女学校に入れます。彼女は音楽でもアカデミック教科でも抜きん出ていましたが、シエラレオネでは不幸だったので、女王は1855年にイギリスに連れもどします。

 1862年にヴィクトリア女王の長女が結婚した時、サラは結婚式にゲストとして招かれます。同じ年にサラも女王の許可を得て、シエラレオネのビジネスマンと結婚します。ブライトンの立派な教会で結婚式を挙げました。サラは10台の馬車の随行団に伴われて教会に来たそうです。シエラレオネでサラは教師になります。最初の子どもが女の子だったので、ヴィクトリア女王の許可を得て、ヴィクトリアと名付け、1867年に二人でヴィクトリア女王を訪ねました。その後、サラは結核と診断されて1880年に37歳の若さで亡くなります。ヴィクトリア女王はサラの娘の支援を続けたそうです。

 王室コレクションのサイトに「サラ・フォーブス・ボネッタと家族」(注5)というページがあり、サラの写真と共に娘のヴィクトリアとその子供達の写真も掲載されています。上記の内容を縮めた解説が付けられていますが、サラがフォーブス大佐へのプレゼントか、女王へのプレゼントとしてフォーブスが要求したのかは「はっきりしていない」と書かれています。ボネッタという苗字は、大佐が自分の乗っていた船の名前を付けたとのことです。大人になってからのサラの写真がガーディアン紙の「隠された歴史—イギリスで写真撮影された最初の黒人たち」(注6)という記事に掲載されています。ヴィクトリア女王とサラの関係については長い間忘れられていましたが、テレビ・ドラマ・シリーズVictoria(NHKでは「女王ヴィクトリア:愛に生きる」)でこのエピソードが2017年クリスマス・スペシャルで放映されたそうです(注7)

 以下は『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』1843年5月20日号に掲載されたヴィクトリア女王の挿絵(注8)です。女王が24歳、即位して6年後の姿です。

THE QUEEN

THE QUEEN

イギリスの奴隷制度

 1854年に長崎奉行所の役人がヴィクトリア女王とサラのエピソードを知っていたというのが考えにくいとしたら、「アフリカの奴隷問題に関してイギリスがしたことを聞いた」というのは、1833年の奴隷解放令のことかもしれません。イギリスの奴隷貿易について、歴史家マリカ・シャーウッド(Marika Sherwood: 1937-)の論文「英国、奴隷制度、奴隷貿易」(注9)から抄訳します。

「邪悪な貿易」と呼ばれるようになった奴隷売買にイギリスがかかわるようになったのは、1573年にエリザベス一世の支援と投資を受けたジョン・ホーキンス卿(John Hawkins: 1532-1595)から始まった。不当な方法でもフェアな方法でも、英国は他のヨーロッパの競争相手を上回り、17世紀から1807年までで奴隷貿易の優位に位置していた。奴隷にされたアフリカの男女・子どもを英国はアメリカの植民地に送り込んだ。奴隷貿易は非常に儲かり、最初にブリストル、次にリバプールが富を成し、ロンドンも他の小さな港も奴隷貿易で儲けるようになった。奴隷を運ぶ特別な船が英国の造船所で作られたが、主にリバプールで建造された。奴隷船には人間と交換するための貿易品(銃・弾薬・ラム酒・金属・布)を積んで、「奴隷海岸」(”Slave Coast”)に航海して、奴隷にした人々をイワシのように満載して、大西洋を渡った。到着すると、生き残った人々にオイルを塗って健康に見せかけ、オークションに出した。航海途中で死んだ者の死亡率はわかっていない。一つの推計では、1840年代で25%と言われている。

 プランテーションや鉱山主がアフリカ人を買い、その過程で更なる死者が出た。英国の植民地では奴隷は人間として扱われなかった。彼らは「動産」だった。生かしておくより、新たな奴隷を買う方が安かったので、死ぬまで働かせた。人間として見られなかったにもかかわらず、女性はレイプされたから、少なくともレイプ可能な人間として見られたのである。奴隷をレイプしたり、死ぬまで拷問することに対する恥はなかった。英国の植民地の奴隷は人間ではなかったから、法的権利もなかった。彼らは結婚することも認められず、彼らの子どもは別々に売られた。

 歴史家のポール・ラブジョイ(Paul Lovejoy: 1943-)は、1701〜1800年までに600万人以上のアフリカ人奴隷の40%が英国の船で運ばれたと推測している(ただし、この数字は別の研究者によると、非常に過小評価していると言われている)。ラブジョイは1811〜1867年の間に200万人以上が輸出されたと推計しているが、この数字も実際はもっと高かったと言う人も多い。(中略)

 アフリカ人は法律も宗教も、そしてある学者や「観察者」によると、言語さえ持っていないから野蛮人であり、この理由でアフリカ人を奴隷にすることは英国では正当化された。奴隷はプランテーションで文明を得られるというのだ。

 1770年代に英国のクリスチャンのうち、この解釈を疑問視する者が現れ、(中略)奴隷反対の組織を作って、議会に影響を与え始めた。奴隷制度は罪だと宣言された。議会で奴隷廃止を訴えたウィリアム・ウィルバーフォース(William Wilberforce: 1759-1833)の動機は、ある研究者によると、天国に行けないという恐怖で20年以上も廃止活動を続けたという。

 1807年に英国人がアフリカ人奴隷の貿易にかかわることは違法だという法案が議会を通過した。これは20年以上も運動した末のことだった。(中略)アフリカ系英国人を含めて、英国人の少数は廃止に満足せず、奴隷の解放を求めて運動を始めた。これも長い闘いだった。もっとも強い活動家は女性廃止論者だった。男性から声を否定されてきた女性たちは自分たちの組織を作って、家を一軒一軒回って、砂糖やタバコなど、奴隷が作った製品を使わないように頼んだ。(中略)議会が1833年に解放令を通して、この闘いは勝利した。(中略)奴隷主は賠償金として2000万ポンド(現在の価値では10億ポンド)与えられたが、自由の身になった元奴隷が得たのは僅かの賃金で働く機会だけだった。

 この法令は西インド諸島・ケープタウン・モーリシャス・カナダの奴隷を自由にしただけで、その他の大英帝国の植民地では奴隷制度が続いていた。奴隷を英国植民地に輸入することも続いた。(中略)法令を遵守するための方策は何も立てられなかったため、奴隷商人は活動を続け、奴隷船の造船も続いていた。(中略)奴隷船の建造を続けただけでなく、英国は奴隷貿易に融資し、保険をつけ、乗組員も調達した。(中略)

 バートル・フリア卿(Henry Bartle Frere: 1815-1884)によると、インドでは1841年に900万人の奴隷がおり、1868年まで違法ではなかった。他の英国植民地では解放令が出た後も100年間認められず、マラヤでは1915年、ビルマ[ミャンマー]では1926年、シエラレオネでは1927年に解放された。(中略)

 1860年代のアメリカ南北戦争中に奴隷制支持が英国人から表明された。英国の中立が宣言されていたにもかかわらず、無視する英国人がいて、奴隷賛成の南部同盟に何百万ポンドの寄付をする者がいた。

21世紀に見つかったイギリス奴隷貿易の実態資料

 2010年にユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの研究グループがキューにある国立公文書館に180年間眠っていた1,631冊の奴隷「動産」の元帳を見つけて調べ始め、その発見を2015年BBCドキュメンタリー「英国の忘れられた奴隷所有者たち」(Britain’s forgotten slave-owners)で放送しました。このドキュメンタリーのプリゼンター、デイビッド・オルソガ(David Olusoga: 1970-)はナイジェリア生まれのイギリス人歴史家・映画製作者で、『ガーディアン』紙に「英国の奴隷所有者の歴史は隠されてきたが、その規模が明らかにされる:BBCの新ドキュメンタリーが語る、グラッドストーンやオーウェルの家族も含む46,000人の英国奴隷所有者の名前を記す資料」(2015年7月12日、(注10))という記事を寄稿しているので、紹介します。

 奴隷「動産」の元帳に記されているのは、1834年時点のイギリスの奴隷所有者46,000人の完全なリストです。上記のシャーウッドの論文にあるように、1833年の奴隷解放令の後に奴隷所有者は政府から賠償金を受けました。奴隷賠償委員会が詳細な記録を作成したことで、皮肉にも実態が明らかにされたといいます。そして、奴隷が「動産」として記録され、赤ん坊まで値段が付けられているそうです。この賠償額は1834年の政府の全支出の40%を占めました。最高額を受け取ったのは、グラッドストーンの父親で、2,508人の奴隷の賠償額が現在の価値で8,000万ポンドでした。オルソガは、だからグラッドストーンが議会初演説で奴隷制度を支持することを言ったのだと指摘しています。

 その他、ジョージ・オーウェルの曽祖父も現在の価値で300万ポンドの賠償金を得たし、小説家のグレアム・グリーンや詩人のエリザベス・バレット・ブラウニングの祖先、前首相のデーヴィッド・キャメロンの祖先の名前もあるそうです。オルソガが最も驚いたのは、奴隷所有が英国中に広がっていて、2,3人の奴隷を所有している中産階級も多いこと、全所有者の40%が女性、特に未亡人だということ、人口比ではスコットランドが最も多いことなどだと述べています。女性の奴隷所有者が多い理由は、「動産」なので亡くなった夫の遺産相続として記録されたからだそうです。

 英国が奴隷制に大きくかかわってきたことが長く隠されていた理由は、奴隷の存在が3,000マイル離れたカリブ海沿岸地のプランテーションなどだったからだと指摘されています。イギリス中で見られるジョージア王朝風建築には、「奴隷貿易商」ではなく「西インド諸島商人」という額がかかっていますし、英国人名辞典も同じく、「西インド諸島プランテーション所有者」などと記述している点で「有罪」だと述べています。

 「英国の奴隷所有のレガシー」(Legacies of British Slave-ownership)と題したこの研究プロジェクトは分析・整理したものを「英国の奴隷所有エンサイクロペデイィア」(Encyclopaedia of British Slave-ownership)としてデータベースにして、オンラインで無料公開しているので、誰でも祖先が奴隷所有者だったか調べられるそうです。奴隷にされた人々の記録は限られているそうですが、作業中とのことです(注11)。オルソガは『ガーディアン』の記事を、アメリカの公共サービス放送局PBSのFinding Your Roots[あなたのルーツみつけます]という番組制作中に見つかったハリウッド俳優ベン・アフレック(Ben Affleck)の祖先が奴隷所有者だったことから始めています。この番組は有名人のルーツを探る番組で、アフレックはこの事実を知って、祖先が奴隷所有者だったことは番組で公表しないでくれと依頼し、それがウィッキリークスで暴露されて、謝罪したそうです。

日本型奴隷制度

 これらの記事や論文を翻訳しながら連想したのが、現代の日本型奴隷制とも呼べる2種類の制度です。「”現代の奴隷”外国人実習生に頼る黒い企業」(注12)と題する記事で指摘しているのは、1993年に始まった外国人技能実習制度が「外国人を低賃金でこき使う現代の奴隷制度」と批判されている問題です。

 『ニューヨーク・タイムズ』も大きく取り上げ、「移民を制限した日本が今や労働力不足」(注13)という長文記事で、「トランプ大統領が選挙中に攻撃したアメリカの現状ー低スキル・低賃金の仕事は不法移民が占めているーを、日本は大昔に達成している。日本は不法移民がほとんどおらず、ブルー・カラーの仕事を求める人々に閉ざされた国だった」と説明しています。しかし、近年は労働力不足に悩む企業の要望に応えて、「技能実習生」という名目で入国できるようにし、2016年には総数が100万人に達したこと、それでも労働力不足が補えずに、日本政府はこれまでの3年期限を5年に延長し、対象職種も増やす技能実習法を公布したこと[2017年11月1日施行]と解説しています。外国人実習生が抱える問題は低賃金の時間外労働や休日なし労働だけではなく、ヴィザ取得のためにブローカーに支払った金額が日本での過酷な労働と低賃金では返済できないことだと記事は指摘しています。

 技能実習制度が「人身売買」の温床になっていることを、アメリカ国務省が2011年のレポート(注14)で報告していることも紹介しているので、このレポートを読んでみました。「強制労働と性的人身取引の対象とされる男女子どもにとって、日本はその目的地・源・中継国である」と始まっています。以下に外国人技能実習制度に関する記述を拾ってみました。

外国人技能実習プログラムにおいて、多くの労働者が強制労働を示す虐待の十分な証拠があるのに、日本政府は強制労働の犠牲者を特定することを怠った。強制労働の犠牲者を守る政策はなく、日本政府は労働人身取引の犠牲者を特定したことがない。(中略)2010年7月に日本政府は外国人技能研修プログラムの規則を改正し、このプログラムにおける強制労働を防ぐため、そして参加者に対する法的救済を増やすために、最初の年の参加者が労働基準監督署にアクセスできるようにし、保証金と無作法に対する罰金、あるいは早期解雇を禁止した。日本政府は保証金禁止を強化する取り組みを報告していないので、実習生を受け入れている組織による違法件数を減らすことに、この新たな規則が寄与しているかは不明である。

 この報告は「日本は2000 UN TIP議定書に参加していない」と締めくくられています。 これは「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約」を補足する議定書の一つで、正式名称は「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を補足する人(特に女性及び児童)の取引を防止し、抑止し及び処罰するための議定書」、略称「人身取引議定書」(注15)です。国連のホームページで批准国を調べたら、2018年2月27日時点で、参加国173のうち、日本は下から2番目に批准が遅く、2017年7月に批准となっています(注16)。他国より15年遅い批准は何を意味するのでしょうか? 2017年6月に与党が強行採決した悪名高い「共謀罪法」が必要だと主張する理由として、国際組織犯罪防止条約がテロ処罰を義務付けているからだというのです。共謀罪を成立させてからでないと、この条約も人身取引議定書も批准できないという主張は、国際組織犯罪防止条約の立法ガイドを作成した刑事司法学者によって「テロ防止を目的とした」条約ではなく、「新たな法案などの導入を正当化するために条約を利用してはならない」と否定されています(注17)

裁量労働制をめぐる議論

 2018年2月の国会で安部政権が通過させようとしている裁量労働制に関する国会審議を聞きながら、新たな奴隷制度を日本の全労働者に適用しようとしているのかと思いました。裁量労働制の問題点を『東京新聞』(注18)が簡潔にまとめています。この制度は「仕事の進め方を労働者の裁量に任せ、残業代を定額で支払う」もので、「企業にとっては、労働者がいくら働いても残業代を上乗せする必要がない」ので、長時間労働につながると指摘されています。その一例が野村不動産による違法な裁量労働制適用です。この制度適用が認められていない営業職の600人に適用し、この中から2016年9月に過労自殺した社員が出て、労災認定が2017年12月に出されたため、東京労働局が労働実態調査を始め、野村不動産に是正勧告と特別指導をしたという報道があります。過労自殺した人は、1カ月に180時間超の残業を強いられ、「長時間労働が原因で精神障害を発症し、自殺に至った」と労災が認めたとのことですが、会社側が申告していた時間は「大幅に少なかった」と報道されています(注19)

 一方、裁量労働制が正式に認められた職種の問題を「裁量労働制ユニオン」の代表が証言しました。すでに裁量労働制を導入している企業が月100時間を超える残業をさせた結果、「深夜に会社で昏倒」して病院に搬送された社員が適応障害になり、退職したそうです。問題は、労働基準監督署に駆け込んでも、裁量労働制のため対応してもらえないことです(注20)。勤務時間の記録がないので、労災申請のための証拠さえ残さない制度なのでしょう。

 安部首相はこの制度によって働く時間が減るのだとアピールしてきました。ところが、国会審議で明らかになったのは、その根拠となるデータがデタラメだったことです。この事実を突きつけられて、安部首相は2月14日に「働く時間が短い」という答弁を撤回し、謝罪しました。また、国会答弁で、安部首相が裁量労働制は労働人口の4割を占める「契約社員」にも「最低賃金労働者」にも適用可能だと述べたこと(注21)も危機感をもたらしました。その上、政権側の答弁で、この制度を導入するにあたって労働者の健康チェックとメンタル・ケアを強化するというので、過労死多発を予想しているのでしょう。

 野党が「過労死促進制度」と批判する裁量労働制の拡大運用が企業側に有利なことは、経団連会長が「裁量労働拡大を期待」し、施行延期をほのめかしている政府に対し、計画通りに施行するよう訴えていることに現れています(注22)。一方、労働者側の連合(日本労働組合総連合会)会長は「裁量労働制の拡大あってはならない」と訴えています(注23)。裁量労働制の弊害はフランスでも問題視され始めているという報告があります(注24)。労働人口の9割が正規雇用で、長期バカンスを楽しむ国柄なのに、2000年に導入された「包括日数労働制」という制度によって、長時間労働が拡大し、警戒心が高まりつつあるそうです。

 ここまでまとめたところで、「裁量労働制 今国会断念」(注25)というニュースが飛び込んできました。野党の頑張りと、若者たちが声を上げ始めたこと(注26)の効果でしょうが、強行採決を連発する安部政権に油断はできません。

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https://archive.org/details/personalnarrativ00tron
2. The Illustrated London News, vol.17, 1850, Jul-Dec.
https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=mdp.39015031404612
3. The Illustrated London News, vol.18, 1851, Jan.-June.
https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=mdp.39015027902827
4. ”Bonetta, Sarah Forbes (1843-1880)”
http://www.blackpast.org/aah/bonetta-sarah-forbes-1843-1880
5. ”SARAH FORBES BONETTA AND FAMILY”, Royal Collection Trust
https://www.royalcollection.org.uk/collection/themes/trails/black-and-asian-history-and-victorian-britain/sarah-forbes-bonetta-and-family
6. ”Hidden histories: the first black people photographed in Britain”, The Guardian, 15 Sep. 2014.
https://www.theguardian.com/artanddesign/gallery/2014/sep/15/hidden-histories-the-first-black-people-photographed-in-britain-in-pictures
7. ”How Queen Victoria adopted an African slave girl whose parents were murdered will be revealed in ITV’s Christmas special”, Daily Mail, 9 Dec. 2017
http://www.dailymail.co.uk/news/article-5161773/The-remarkable-story-Queen-Victorias-adopted-princess.html
8. The Illustrated London News, vol.2, 1843, Jan.-June.
https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=mdp.39015006972882
9. Marika Sherwood “Britain, slavery and the trade in enslaved Africans”, Institute of Historical Research, University of London
https://www.history.ac.uk/ihr/Focus/Slavery/articles/sherwood.html
10. David Olusoga “The history of British slave ownership has been buried: now its scale can be revealed”, The Guardian, 12 Jul 2015
https://www.theguardian.com/world/2015/jul/12/british-history-slavery-buried-scale-revealed
11. “The Database”, Legacies of British Slave-ownership.
http://www.ucl.ac.uk/lbs/project/details/
12. 村上敬「”現代の奴隷”外国人実習生に頼る黒い企業」PRESIDENT Online, 2017.11.7
http://president.jp/articles/-/23493
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https://www.nytimes.com/2017/02/10/business/japan-immigrants-workers-trump.html
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15. 「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約(略称:国際組織犯罪防止条約)」外務省、平成29年8月22日
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https://treaties.un.org/Pages/ViewDetails.aspx?src=IND&mtdsg_no=XVIII-12-a&chapter=18&lang=en
17. 「『共謀罪』崩れる政府根拠 『条約はテロ防止目的でない』」『東京新聞』2017年6月5日 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201706/CK2017060502000127.html
18. 「裁量労働、問題運用が横行 対象外に適用 課題業務を命令」『東京新聞』2018年2月15日 
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2018021590070121.html
19. 贄川俊、千葉卓朗「裁量労働制を違法適用、社員が過労死 野村不動産」『朝日新聞』2018年3月4日
https://digital.asahi.com/articles/ASL33458LL33ULFA001.html?iref=comtop_list_pol_n02
20. 田中龍作「【裁量労働制】月100時間超の残業 死ぬ寸前でも労基署は『証拠がない』」BLOGOS, 2018年2月27日
http://blogos.com/article/280506
元の記事が削除されています。記事内容はこちらでhttp://tanakaryusaku.jp/2018/02/00017636
21. 「答弁本文情報 平成三十年二月六日受領答弁第三七号 内閣総理大臣 安倍晋三 衆議院議員山井和則君提出営業活動に携わる労働者の具体的事例への裁量労働制の適否等に関する質問に対する答弁書」衆議院
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b196037.htm
22. 「裁量労働拡大を期待、施行延期けん制 経団連・榊原会長」『財経新聞』2018年2月27日 
https://www.zaikei.co.jp/article/20180227/428566.html
23. 「『裁量労働制の拡大あってはならない』連合会長」NHKNEWS, 2018年2月26日
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180226/k10011343601000.html
24. 永田公彦「フランスでは裁量労働制で長時間労働が拡大している」DIAMOND online, 2018.2.28 
http://diamond.jp/articles/-/161587
25. 「裁量労働制 今国会断念 働き方法案 首相、削除を指示」『東京新聞』2018年3月1日 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201803/CK2018030102000134.html
26. 古関俊樹「裁量労働制 対象拡大反対の緊急デモ 1000人が訴え」『毎日新聞』2018年2月25日 
https://mainichi.jp/articles/20180226/k00/00m/040/041000c