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2019-06-12

英米に伝えられた攘夷の日本(6-4-4)

DISCHARGING OPIUM FROM THE “PEKIN.”(北京号からアヘンを荷揚げ)

出典:『イラストレイテッド ・ロンドン・ニュース』1857年7月11日(注1)

 アロー号事件に端を発するカントン攻撃は「アロー戦争」、あるいは「第二次アヘン戦争」と呼ばれていますが、以下の『ニューヨーク・デイリー・タイムズ』の記事でも指摘されているように、中国にアヘン貿易の合法化を求めることも戦争を仕掛けた理由だとされています。

アヘン貿易会社からの訴え

 『ニューヨーク・デイリー・タイムズ』にはアヘン密輸に携わるアメリカ企業からの要請文書が掲載されています。

1857年6月6日:第1面「我々と中国との関係/香港のアメリカ人商人とアームストロング提督との重要な書簡」(香港 1857年3月23日、(注2)

カントンのオーガスティン・ハード商会(Augustine Heard & Co.)、キング商会(King & Co.)、ラッセル商会(Russell & Co.)連名の手紙

  • アメリカはこの国[中国]との貿易をイギリスと同じくらい前から行っています。(中略)知っていただきたいのは、イギリスが過去12年間に、香港から上海までの入江と港を含め、中国の海岸線全ての測量を出版してきたのに、アメリカ海軍がこの国の海岸線に関して同様の貢献をしたとは聞いていません。ペリー提督が日本の新しい港とフォルモサ[台湾]の測量はしましたが。
  • 閣下に懇願したいのは、5港における領事裁判権の見直しの必要性を我が国の政府に訴えていただきたいことです。

訳者コメント: この前の文章には、アメリカ軍がカントンのアメリカ人を守ってくれないから、イギリス軍に頼るしかないという苦情があります。この後に同じ連名者から、海賊に襲われるアメリカの商船をアメリカ海軍に守ってくれという訴えもなされています。わかっている限りでは、この連名者の2商会(キング商会以外)はアヘン貿易に従事していたアメリカの貿易商だということです(注3)。そのアヘン貿易について、イギリス議会で問題になりました。

1857年6月12日:第1面「英国の政治とニュース」

(『ニューヨーク・デイリー・タイムズ』特派員、ロンドン、1856年5月29日:1857年の間違いのようです)

  • 昨日、貴族院の事務局が中国とのアヘン貿易に関する書類を発表した。1842年から去年1月までの書類である。H.ポッティンジャー卿[6-4-1の1857年2月12日に掲載された投書参照]の意見によれば、中国政府がアヘン禁止を実施する力がないので、アヘン貿易に関してイギリスが出来ることはなかったし、今後も何もできないだろうという。中国人はアヘンを欲しがっているし、中国役人の多くはアヘンが入ってくるのを黙認している。イギリス政府がインドでの生産を禁止しても、唯一の効果はインド産業の支店を自治王子たちの領地に移すことだけだ。
  • ジョン・ボーリング卿によると、アメリカの主要商社の多くがアヘン貿易を主に手がけていることは有名だ。アヘン貿易に関する限り、イギリス商人とその他の国の商人との違いはない。悪と犯罪の量がどうであれ、全商業界が等しく参加している。
  • イギリス全権大使とポッティンジャー卿は、中国政府がアヘン貿易を合法化するよう勧めている。

 カール・マルクスは、英印政府が中国へのアヘン貿易で得ている収入額が国家の全収入の1/6にも上ることが第二次アヘン戦争の前提にあると指摘しています。これが「キリスト教と文明[の嘘]を煽り広める英国政府の自己矛盾」だと批判します。自由貿易というのは21世紀現在の欧米列強のキャッチフレーズですが、この時代も「英国の自由貿易の性質をよく検討すると、『自由貿易』の底には独占がいたる所にある」(マルクスの記事「自由貿易と独占」『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』1858年9月25日、(注4))という批判がされています。

 本節の最初に掲載した『イラストレイテッド ・ロンドン・ニュース』の特派員による挿絵「北京号からアヘンを荷揚げ」を見た時は、アヘン密輸を非難する意図があるのかと思い期待しましたが、記事の文脈からアヘン密輸は正当な利権であり、当然すぎて弁明すら必要ないという思いが読み取れました。以下はこの特派員による挿絵の解説です。

スケッチ「北京号からアヘンを荷揚げ」では中国人人夫がアヘンの梱を懸命に荷揚げする様子を描いた。左端の帽子の役人は梱の数を記録し、セポイ[インド人傭兵]は石板にその数を書いている。船が出るとき、絹の梱が運び込まれる。(香港発、1857年5月12日、1857年7月11日号, p.28)

『イラストレイテッド ・ロンドン・ニュース』の特派員報道

『イラステレイテッド・ロンドン・ニュース』1857年7月18日

1857年7月からの『イラストレイテッド ・ロンドン・ニュース』報道の特徴的な部分を抄訳します。

1857年7月4日: p.19「中国」

 5月10日のOverland Mailによる中国からの最新情報。中国問題に関して母国[イギリス]政府が直面した反対のニュースは香港の[イギリス人]コミュニティに大きな暗雲を投げかけた。しかし、その後の情報で、中国におけるイギリスの利権を守るために取られた即座のエネルギッシュな手段は中国のイギリス・コミュニティを完全に安心させ、彼の国[中国]と我々の関係がようやく適切で確固たる基盤に置かれたという自信に満ちた希望を与えた。

カントンでは極度な悲惨が続いており、コメは非常に高い。カントン川のイギリス船を爆破する試みが数回あり、(中略)1回は成功するところだった。船の15ヤードのところで爆破があったが、幸いけが人はいなかった。(中略)暑さのため、イギリス軍による作戦は10月まで行われない。

 以下の記事は、『イラストレイテッド ・ロンドン・ニュース』の特派員記者兼アーティストからの報告です。「中国でのスケッチ」と題した挿絵は、中国でスケッチする自画像のようです。

1857年7月11日:p.27-30「中国への途上で(本紙の特派員記者兼アーティスト)」

香港発、1857年5月12日
 ほとんどのイギリス人は今まで中国人が酷い国民だとみなしてきた。私たちは村々を回ったが、現地人からは注目と喜ばせたいという彼らの思い以外に出会ったことはない。(中略)

1857年7月18日:p.50「中国」

5月25日付China Mailより。[カントン川での戦闘準備について記した後] [カントン]市内では飢餓が続き、憂慮すべきレベルに達している。貴族階級はこことマカオに代理人を配置しており、スープ・キッチンに提供するためのコメを購入している。スープ・キッチンは被災者救済のためにカントン市内の色々な所に開かれている。

1857年7月18日:第2増補版, pp.73-74.

「中国より(本紙の特派員記者兼アーティスト)」

中国人は外国人嫌いでは決してない。これは偏見を持たない人や、中国に10〜12年暮らしたイギリス人から聞いた。彼らは内陸部や海岸部の現地人の中で暮らした人々で、中国について最も信頼できる事実を話す資格のある人々である。その上、彼らはカントンで商館を焼かれたのだから、中国人に対して苦々しい思いを抱いてもいい人々だ。彼らが言うには、中国人は好戦的な人々ではなく、本質的に貿易と商売をする国民で、自分たちを支配する国、むしろ、悪政で彼らを苦しめる国に対して特別な愛情を持っておらず、彼らの思いを占めているのはビジネスで、彼らほど勤勉な国民を探すのは難しいだろう。

 ジョン・チャイナマンを軽蔑すべきではない。いい政府のもとで、貿易が奨励されれば、ジョンは類のない忍耐心では、世界で最良の国民になるだろう。ヨーロッパがジョンをよく知れば、驚嘆するだろう。

中国人は我々[イギリス]がカントンを取ったことに全く反感を持っていない。現在香港はカントンの店主であふれている。彼らはここに来て暮らせることを喜んでいる。彼らはイギリスの植民者のうちでも、まともな人間と非常に親しくなっている。これは信頼していい。もし中国人が本当に反抗的だったら、ヨーロッパ人全員が大昔に殺されていただろう。

 [カントン]砲撃は10分毎に砲弾1個をカントン市内ではなく、町を超えた地点めがけて発射され、町は無傷だった。

「カントン」(特派員より)
カントンの商業基地としての重要性を過小評価した『タイムズ』は明らかに間違っている。「商人たちが望んでいるのは、失った財産の賠償金を得ることで、自分たちの会社を上海か別の自由港に移す事だ」と書いたが、正当性はないと思う。(中略)

 ここでの一般的意見は、最初にすべきだったのはカントンを取ることだった。この人々[中国人]に教えてやらなければならないのは、我々を責めるのではなく、我々を尊敬することであり、彼らが我々の軍事力に抗っても全く勝ち目はないことである。さもなければ、彼らが現在固く信じているのは、自分たちが武力でも芸術でも我々より優れているから、先の戦争で彼らが自慢していたように、自分たちが立ち上がれば、野蛮人[イギリス人]を絶滅できると信じ込んでいることだ。(中略)言葉と攻撃が必要だが、攻撃がまず先だ。

訳者コメント:『イラストレイテッド ・ロンドン・ニュース』の特派員報告は、一見人種偏見がないかのような書き始め方ですが、イギリス利権確保のために抵抗する中国を従わせるには攻撃ありきだと主張する内容に、人種偏見と欧米優越主義の根深さを感じます。カントン攻撃の正当性を訴える表現も、グラッドストンが議会で引用した海軍将校の報告と全く違います(6-3-2参照)。

 この後も毎号「中国における戦争」という題名の記事で、カントン川における攻撃作戦について「この勇敢な作戦行動」(1857年8月8日)、「中国の川で我が戦艦が素晴らしい列をなして進む」(8月29日)など、軍事的弱者の中国を攻撃するイギリス海軍に陶酔しきっているような表現が続きます。「中国」と題された記事の間に、日本に関する内容が記されているのは不気味です。読者は、日本が中国のように不平等条約に抵抗したら攻撃するという含みを読み取るでしょう。

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1. The Illustrated London News, Vol.31, 1857 July-Dec., p.212.
米国大学図書館協同デジタルアーカイブ、ハーティトラスト・デジタル・ライブラリー
https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=uc1.c0000066803
2. The New York Daily Times, June 6, 1857,
https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1857/05/06/issue.html
3. Hunt Janin, The India-China Opium Trade in the Nineteenth Century, McFariand Publishing, 1999, p.66.
4. Karl Marx “Free Trade and Monopoly”, New York Daily Tribune, September 25, 1858
https://www.marxists.org/archive/marx/works/1858/09/25.htm