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2019-11-18

英米に伝えられた攘夷の日本(6-6-15)

第2回日本遠征に向かうペリー提督が那覇から発した海軍省長官宛の手紙に、長官の指示によって自分の長い海軍人生が終わらせられるのかという訴えが綴られています。

日米開戦直前の米政府によるペリー評価

 前節で紹介した『ペリー提督日本遠征記』と主任通訳だったウィリアムズの『ペリー日本遠征随行記』の違いに注目し、『ペリー提督日本遠征記』は信用できないと示唆しているアメリカ政府刊行文書があります。アメリカ議会上院が開示を請求し、1855年1月31日に上院に提出されたペリーと海軍省長官との一連の通信文を通読するうちに、提出されていない通信文があることに気づき、外されている文書がないか調べて見つけました。『アメリカ合衆国の条約とその他の国際法 第6巻』(Treaties and Other International Acts of the United States of America, Vol.6、以下『アメリカ合衆国の条約』)という900ページ以上の大著です。アメリカ政府刊のこの膨大な文書は1852年から1855年の間にアメリカが条約締結した国と、その経緯を記録したものですが、日本に関してはペリーの日米和親条約と琉米修好条約について記録されています。日本に関しては227ページ、琉球43ページ、合計270ページにも及びます。

 この本の公刊は1942年ですが、編者の序の日付が真珠湾攻撃の3ヶ月前、1941年9月8日((注1), p.VI)です。編者はこの本ではハンター・ミラーとなっていますが、『エンサイクロペディア・ブリタニカ』などではデイヴィッド・ハンター・ミラー(David Hunter Miller: 1875-1961)となっています。条約を専門とする法律家で、1929年から1944年まで国務省の官僚で、国際連盟規約を作成したとされています。ミラーが編集した『アメリカ合衆国の条約』は全8巻で、1931年から48年まで続いた一大プロジェクトのようです(注2)

 日米和親条約について、政府ファイルに残っている和文・英文・オランダ語訳文・漢文等を掲載し、和文と英文条約を照合して違いを指摘するなど、詳細な分析をしています。条約までの経緯や日本側の反応なども様々な参考文献を紹介していて貴重な資料ですが、本節ではなぜ1853年11月14日付のドビン海軍省長官からの手紙(6-6-13参照)を全文引用しているのか見ます。

『アメリカ合衆国の条約』で指摘されたペリーの日本観と政府の見解の違い

 この本で強調されているように見えるのは、対日本に関するペリーと当時のアメリカ政府の見解の相違です。「ペリー提督の見解」という見出しの節は、「ペリーが予想していた自分のミッションについての見解は海軍省長官宛の2通の通信文に表されている。1番目は”Notes”と題され、日付はないが、ペリーが合衆国を出発する前に書かれた。2番目は1852年12月14日、マデイラ発の通信文である」と始まっています。1番目の論調は今まで見てきた『イラストレイテッド ・ロンドン・ニュース』の好戦的な記事とほぼ同じです。合衆国政府がどうすべきかを主張している箇所を抄訳します。

[日本が]文明国か否かにかかわらず、合衆国がこの異常な(extraordinary)人々を国々の家族に引き入れるリーダーとなることを「天命」(原文強調, Destiny)が決定づけているようです。世界がこの義務を我々に課し、我々がその仕事を引き受け、責任を持っている今、引き返すことはできません。我々が笑い者になり、非難されてしまいます。

 アメリカ政府はここまで来てしまったのだから後退することはできません。エネルギッシュな行動という我々の性質を維持するためにも進まなければなりません。たとえ出来事の流れや時代状況がそれ[日本遠征]を必要としていなくても。(中略)((注1), p.552)

 イギリス政府による中国の開港は今世紀にこの国が行った最も人道的で役立つ行動だと証明されています。そしてキリスト教ミッショナリーが達成した時代より、中国をキリスト教化し続け、中国人のモラルと社会状況を改善し続けるでしょう。(中略)

 したがって、合衆国が「できれば平和的、必要なら武力で」(原文強調)、この「奇妙な政府」(原文強調)の海岸を絶えず通るアメリカ国旗を掲げる多くの船や捕鯨船その他に避難場所としての港を確保することは緊急でのっぴきならぬ必要性です。(p.553)

 「天命」は「明白な天命」(Manifest Destiny)とも訳され、アメリカが太平洋岸と太平洋に向かって領土拡大するスローガンとして使われていた概念です(注3)。『アメリカ合衆国の条約』で、上記の書簡の次に掲載されている書簡(ミシシッピー号上、マデイラ発、1852年12月14日付)で、ペリーは「日本政府が本州の港を開港することに反対し、武力を使って流血なしには占領できないとしたら日本の南の島を艦隊の中継地とする」(p.554)と述べて、琉球諸島の中心的港の占領を示唆しています。

 これらに対するアメリカ政府からの回答はフィルモア大統領政権が終わる2,3日前に国務長官エヴェレットから出された1853年2月15日付の手紙だとして掲載しています。ペリーの12月14日付の手紙は海軍省長官から国務長官に、そして大統領に提出され、以下の指示が大統領から出たと記されています(p.556)。

  • 日本の開港が武力行使なしに達成できない場合は、他の場所を探すべき。
  • 大統領は琉球でこの目的を達成するという貴官の考えに賛成する。
  • この単純で戦争を好まない人々に対する貴官の男たちの暴力と略奪を防ぎ、禁じること。
  • この人々の中に貴官が現れることが彼らにとって利益であり悪ではないことを最初から示すこと。
  • 武力は自衛のためと自己防衛でどうしてもという場合以外は決して使ってはならない。

COM・PERRY’S VISIT TO SHUI, LEW CHEWペリー提督の琉球・首里訪問((注4), p.189)

ペリーを絶望させた海軍長官からの指示

 フィルモア前大統領からも注意されたペリーが依然として強圧的対応を捨てていないので、ピアス大統領とドビン海軍省長官が1853年11月14日付の手紙(6-6-13参照)を送ったのですが、その手紙はペリーの第2回遠征の出発前に届かなかったと『アメリカ合衆国の条約』で指摘しています。理由は、当時ワシントンから香港への通信には56日かかるからとした上で、政府がどんな見解を持っていたか見るために掲載すると、全文そのまま掲載しています(pp.585-87)。そして、ドビン長官のこの手紙は江戸湾にいたペリーに物資輸送船サプライ号で上海から1854年3月19日に届けられ、ペリーの受領の手紙は1854年8月3日付マカオ発だとされています(p.585の注番号2)。ペリーの受領の手紙は1855年1月31日にアメリカ議会上院に開示提出された文書の中には見当たりませんし、どんな内容だったか『アメリカ合衆国の条約』は触れていません。

 『アメリカ合衆国の条約』には、その次にペリーからの長官宛報告書No.39(那覇発、1854年1月25日付)は掲載されているのですが、同じ日に出された報告書番号No.38は掲載されていません。非常に感情的な絶望と抗議の手紙と称することができるほどの内容ですから、政府公刊の記録書から外したということでしょうか。ペリーにこんな反応をもたらしたドビン長官からの指示は『アメリカ合衆国の条約』で言及はされていますが、掲載されていませんから、議会上院に開示された文書から抄訳します。

海軍長官からペリー提督へ  海軍省 1853年10月28日(注5), pp.76-77)
閣下:数ヶ月前、海軍省は中国の我が政府代表弁務官のために蒸気軍艦を1隻送ることができると予想していました。中国の革命軍の驚くべき動きに対し、弁務官が使命を達成する一助とするためです。その目的のためにアメリカ海軍蒸気艦プリンストン号が当てられましたが、失敗に終わりました。(中略)

 我が国の弁務官が中国政府と自由な交渉ができるようにするという興味ある企てに協力することで、貴官の日本遠征計画に深刻な支障をきたすことはないと大統領は信じています。中国との通商条約を結ぶ事はアメリカ国民に巨大な利益をもたらし、通商貿易史上、新たな時代を開くことになります。

 貴官が従事しているミッションには多くの称賛と期待が寄せられていますが、現在は中国史上の危機であり、多くの人は日本と同じくらいの関心と魅力を中国に感じています。

 貴官が日本との通商交渉を開かせることに自分の名前を残すというのは貴官の自尊心を非常に興奮させるでしょう。しかし、中国との関係で起こるであろう偉大な出来事に名前を残すことも名誉と光栄と考えられていると信じます。

 この書簡を受け取ったらすぐに、貴官の艦隊の蒸気軍艦1隻をマカオに送り、次の指示が届くまで、我が国の中国弁務官R.M.マクレーン氏(R.M.McLane: 1815-1898)の指揮に任せることが、貴官の計画に深刻な障害とならないことを希望しています。マクレーン氏は貴官に対するその他の指示を携えています。(中略)

 海軍省は貴官が日本と中国に関してさらなる名誉と名声が待ち受けていることを願いつつ。

J.C. DOBBIN

海軍省からの指示に落胆を表明し、自分の海軍人生を終わらせるのかと訴えるペリー

ペリー提督から海軍省長官へ

アメリカ海軍蒸気フリゲート艦サスケハナ号
香港、1854年1月14日(pp.105-106)

閣下:日本に向けて出発する夜、1時間以内に全ての準備が整い、私の軍事力の大部分が出発した今、私は昨夜届いた海軍省からの10月28日付の書簡を前にしています。中国に関する政府の見解のもとに、海軍省が私の指揮下にある蒸気艦の1隻を最近中国の弁務官に任命されたR.M.マクレーン氏に使わせるようにという指示を受け取りました。

 このようなことは私の計画にとって深刻な不都合をもたらし、非常に有害です。計画はすでに開始し、現時点で艦隊を大混乱させることになります。(中略)しかし、私の義務は従うことですから、たとえ現時点で私のミッションの成功に深刻な影響をもたらさずにはおかないとしても、蒸気軍艦1隻を江戸湾から離し、マカオに送ります。この船の喫水では中国の川に上ることはできないので、弁務官の使用にしか貢献できません。(中略)私には選択の余地がありませんが、私が置かれている状況に深い落胆と屈辱を表明せざるを得ません。

 この命令が私の希望を大きくくじいたことを告白しなければなりませんが、ベストを尽くします。

M.C. PERRY
東インド・中国・日本の海域のアメリカ海軍最高司令官

報告書番号No.38 ペリー提督から海軍省長官へ

アメリカ海軍蒸気フリゲート艦サスケハナ号
琉球 那覇、1854年1月25日(pp.106-108)

閣下:(前略)この[10月28日付の]予期せぬ命令が私の心に起こした困惑(embarrassment)の中で、海軍省の意図が何か私が推測したことだけを見、命令にいつでも従う私の義務を考えると、これらの考慮に役立つと私が考える方法を採用することにしました。同時に、もともと日本に向けられ、その一部はすでに出航している艦隊から突然1隻引き離されることの深刻な影響をできる限り防ぎます。

 海軍省があの国[日本]に前回私が訪問したときの報告書をまだ受け取っていないことを知っているので、私の皇帝宛の手紙から抜粋します。私の外交的資格において、私が全権を行使でき、実際に行使して誓約したことがわかるでしょう。(中略:来春もっと巨大な艦隊でくると書いてある箇所の抜粋)

 これら全てを私と将校たちが日本に伝えた後に、オランダ、ロシア、その他の国々も来春アメリカのより大きな艦隊が日本近海に現れると伝えています。ですから、誠意をもって約束したことを守らないことと、[艦隊]縮小のもっともらしい理由を言うことは私には難しいでしょう。それでも、私にできる範囲でベストの方法をとるのが私の義務でしょう。確かに、侮辱を罰するには十分[な数]ですが、非常に利口な国の人々を威圧するには不十分です。

 合衆国と中国帝国の外交関係で中国弁務官に私が協力することに関する海軍省のコメントについて、私の指示はあの役人と同等の権限と影響力があり、私がすでにもっている地位に一致するものだと信じてよろしいですね(”I may trust”)。これは友好的な協力に不可欠です。なぜなら、私自身と全指揮が、いかに賢い人物だとしても、私よりはるかに若く、外国との公的交渉の手順に関する経験もはるかに少ない紳士の管理下に置かれるとされるとは私には考えられないからです。実のところ、大統領に正式に認められた私の外交任務は日付の点で私に優位性がありますが、[海軍省の]指示の範囲と主旨によると、私の方により大きな権限を認めていません。

 私の45年という長い在官人生が私の海軍の誇りに対する叱責という形で終結するのだとは、一瞬たりとも想像することを自分に禁じています。このようなことが[海軍省の]意図であるはずはないと確信していますが、事態の流れはそのような推測に向かっているのかもしれません。

M.C. PERRY
東インド・中国・日本の海域のアメリカ海軍最高司令官

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1. Hunter Miller (ed.), Treaties and Other International Acts of the United States of America, vol6, Documents 152-172: 1852-1855, Department of State, 1942. Hathi Trust Digital Library
https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=uiug.30112101711627
2. ”David Hunter Miller”, Encyclopaedia Britannica
https://www.britannica.com/biography/David-Hunter-Miller
3. Jeanne T. Heidler, David S. Heidler, ”Manifest Destiny”, Encyclopaedia Britannica, Oct.21, 2019.
https://www.britannica.com/event/Manifest-Destiny
4. Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan, Performed in the Years 1852, 1853, and 1854, Under the command of commodore M.C. Perry, United States Navy, by Order of the Government of the United States. Compiled from the original notes and journals of commodore Perry and his offices, at his request and under his supervision, by Frances Hawks with numerous illustrations. Published by Order of the Congress of the United States, Washington, 1856. インターネット・アーカイブ、
https://archive.org/details/narrativeofexped0156perr
5. [Documents relating to the foreign relations of the United States with other countries during the years from 1809 to 1898] , v.41 (1855), United States, Department of State, Washington, 1809-1898. Hathi Trust Digital Library
https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=nyp.33433081796033