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2017-07-02

英米に伝えられた攘夷の日本(2-4)

1854年10月14日に長崎で「日英約定」が調印された後、宴が催され、その様子を『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』は克明に伝えています。驚くべきことは、日本の役人達が『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』を持っていて、耳で聞いていたイリギスのニュースをこの新聞の銅版画で確かめたいと、イギリスの士官たちに尋ねたことです。

日英約定署名式の後((注1), pp.14-15)

約の署名式の後[1854年10月14日]、「ヨーロッパ式の素晴らしい夕食が用意された」と、食器についても詳しく述べられています。そして、食事は船上の士官たちにも運ばれたこと、夕食後に船に戻る頃には暗くなっていたけれど、「幕府の紋章のついた、美しい提灯を持つ男たちが通りに並んで」提督一行の足元を照らしたこと、水上を覆い尽くす多くの小舟が「これらの趣味の良い、優雅な提灯をそれぞれ数本かざして、その光景全体が斬新で鮮やかな効果をもたらした」と述べた後に、以下の文章が続きます。

 礼儀正しく丁寧だが、押し付けがましくない、控え目なもてなし方、惜しみない、敏感な気の配り方、称賛すべき秩序と規律、この奇妙な人々の良識は、彼らの客人たちを驚かせ、喜ばせた。この人々は自然で自発的な親切心を持っている。現在の状況は以前と比べるとなんという進歩だろう。2,3週間前にはイギリスの船は追い払われ、港に近づくことも許されなかった。投錨すると、監視船に取り囲まれ、厳重に見張られた。上陸も、補給物資を買うこともできず、彼らの言い逃れ、遅れ、言い訳が続き、疑いと不安に満ちていた。この不快な状況を忍耐強く耐えた結果、だんだんと改善していったのである。我々の側で払った細心の注意は、士官も海兵隊員もボートも、決められた境界線を越さないこと、現地人とコミュニケーションを持つことも、取引もしないことだった。これを守るようにという厳重命令が出て、皆気持ちよく陽気に従った。

 日本とかわされた条約には貿易は一切触れられていないが、この重要な点について将来の交渉に道を開くことだろう。この条約は暴力や威嚇なしに達成された。この条約は費用もかからず、不都合ももたらさなかったどころか、その反対に、4隻の船は1年のうちで悪天候の季節に長崎のすばらしい港に投錨することができ、安全と健康を手に入れることができた。新鮮な食料と水を与えられ、乗組員の健康は良くなり、6週間の滞在の間に1人の死者も出なかった。(中略)

 日本の役人たちは[我々が]彼らの法律に従い、彼らの権利を尊重したことを喜んだ。彼らは驚くほど敏感で、理解が速い人種だ。わずかの侮辱も本能的と言えるくらいに感じ取り、彼らの感じ方は過度に繊細である。ラフで荒っぽい扱いを受けると怯む。彼らが自由に、本当の善意で認め受け入れたことは、よく守り、完璧に行動する。威嚇によって彼らから強要したことは何であれ、公正を約束するかもしれないが、満足いく結果や長続きする結果をもたらさないだろう。そして、ジョームズ・スターリング卿が長崎で静かに行ったことは、江戸でアメリカ人がしたことより、価値においても耐久性においても、はるかに勝ることはほぼ確実である。アメリカ人の特別ミッションは世界に向かって大音声のトランペットで宣伝され、費用もかかっているにもかかわらずである。

 この条約が重要に見えるもう一つの点がある。日本人は傑出した島国という地位を有しているが、海の高速道路を走る蒸気船[を持つ国々]にとって、艦隊が休憩し、修理するいい港がある日本で、彼らの鎖国が不可能になる出来事が必ず起こると思い知らされたことだ。世界規模の関心が強大な圧力で襲っている中で、彼らは他国と同じように行動することを求められ、文明的慣習のランクの中に強制的に入れられなければならない。

 日本人にはロシアとヨーロッパの戦争について伝えられた。その戦争の原因と戦争が不可避であったこと、同盟国が早急に終戦を図っていることなどが示された。イギリスが今まで日本に介入しなかったのに、なぜ今任務を遂行しなければいけないか、敵が日本の寛容さを利用したり、攻撃的な戦艦や信用できない民間武装船などが日本の隔離された港に隠れることのないよう監視しなければいけないことを理解した。

この後、日本側から提督や士官たちに贈られた品の説明と、ジェームズ・スターリング卿が奉行に2本のリボルバー(連発拳銃)を贈ったこと、そのお返しに奉行から陶器の品々などが贈られたことなどが述べられています。「これらの贈り物は飛び抜けて美しいものだった」と記述されます。

 [1854年]10月20日、イギリス艦隊が長崎に到着してからちょうど6週間目に、艦隊は長崎港を出発し、6日後に香港に到着します。この記事は全部でA4サイズにびっしり書かれて、丸8ページもある長い記事です。長崎港の測量図、港と長崎市、日本の大型船、小舟が港を埋め尽くす絵、出島のオランダ商館、イギリス艦隊の一行が上陸する事、長崎奉行の屋敷、日本の様々なランクの侍の衣装の挿絵も掲載されています。最後の2段落に日本で調達したものの支払い金額が合計600ポンドで、オランダ人を通して海軍が支払った事、その内訳が、「豚2頭、豚肉、アヒル138羽」等々、細かく記されています。そして、以下の記述が続きます。

1850年代前半に日本で『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』が共有されていた!

 日本の市場価格を知りたい読者には、この明細は興味深いだろう。品はどれも第1級の品質で、卵の一つに至るまで素晴らしい。日本人は『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』のことを知っていた。彼らは挿絵を見せてくれと言った。イギリスが世界最大のスクリュープロペラの軍艦を建造したと聞いたから、その絵を見せてほしいと言った。イギリスの士官たちが持ってきた『イラステレイテッド・ロンドン・ニュース』のファイルに、「ウエリントン公号」(the Duke of Wellington)の見事な銅版画を見つけると、彼らは非常に喜んだ。日本の役人たちが奉行の屋敷の廊下にしゃがんで、銅版画の数々を食い入るように眺める姿を見ると、この素晴らしい新聞がいかに広く評価されているかの嬉しい証拠である。イギリスの士官たちは銅版画の説明を熱心にし、日本人はそのほとんどの銅版画の意味を実際によく理解していた。このようにして、地球の半周を超えて1国家の国益が生み出されたのである。

英国海軍ウェリントン公号、1854年3月4-5日(H.M.S. Duke of Wellington, March 4-5, 1854)


製作者:L.トライプ艦長(Capt. Linnaeus Tripe , English, 1822-1902) (注2)
提供:ポール・ゲティ美術館(L.A.)Courtesy of The J. Paul Getty Museum, Los Angeles

 この時、実際に日本人側が見た『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』掲載の「ウエリントン公号」の絵は、ウィキペディアの”HMS Duke of Wellington (1852)”(注3)に掲載されています。この時代の日本人がこの新聞を知っていたというのは驚きですが、『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』の1855年4月28日号に、そのエピソードが語られているので、抄訳します。この記事は「最近の日本遠征(特派員より)」と題され、1月13日の記事が読者に非常に関心を持たれたので、日本滞在中の見聞録を紹介すると、A4サイズ丸3ページの長い記事です。この記事の最後に『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』を持ってきた日本人について、以下のように述べています。

 ある時、数人の役人が私のところに『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』の大きな束を持ってきて、何度も熱心に「ウエリントン」という名前を言った。そして彼の肖像画を見たいと身振りで伝えた。しばらく探すと、この高齢の公爵の顔が見つかった。No, No—と彼らは言った。彼らが見たかったのは我々の大きな船だったのだ。我々が世界一大きな蒸気船の軍艦を造ったことを彼らは知っていたのである。その見事な船の美しい銅版画を掲載している『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』を見つけ、彼らに見せると、彼らは大喜びした。「無知の目は耳よりずっと知識がある」(”The eyes of the ignorant are more learned than their ears”)ということで、この人々は我々の言語は知らなくとも、銅版画は我々の巨大な力と進歩を示したのである((注1), p.20)。

 最後のことわざのような文はシェークスピアの『コリオレイナスの悲劇』(The Tragedy of Coriolanus)の台詞のようです。1922年刊の『コリオレイナスの悲劇』(注4)の解説によると、この作品はシェークスピアの後期、1608年から1609年作とされ、その根拠としてあげられているのが、作品中に描かれている食糧難が実際にイギリスで起こっていたこと、1607-1608年にテームズ川が凍り、氷の上で火が燃やせたこと、また、イギリスの政情(国王ジェームズと議会の紛争)などです。

 1852年に進水式が行われた「イギリス海軍ウエリントン号」について、1854年に長崎の役人達が知っていたこと、その銅版画が掲載されている『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』の束を持っていたというのは驚きです。

   [ + ]

1. Terry Bennett (編), Japan and the Illustrated London News: Complete Record of Reported Events 1853-1899, Global Oriental, 2006.『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』 1855年1月13日号
2.
掲載の写真はポール・ゲティ美術館から許可をいただいています。
http://www.getty.edu/art/collection/objects/33718/capt-linnaeus-tripe-hms-duke-of-wellington-english-march-4-5-1854/
3. :”HMS Duke of Wellington (1852), Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/HMS_Duke_of_Wellington_(1852)
4. The Tragedy of Coriolanus (the Works of Shakespeare), edited by W.J. Craig and R.H. Case, Methuen and Co., London, 1922
http://warburg.sas.ac.uk/pdf/emh81b2456895.pdf