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2022-04-03

英米に伝えられた攘夷の日本(7-2-1-4)

薩英戦争の責任問題を追及する1864年2月9日開催のイギリス議会下院の議論の続きです。幕府に10万ポンドも要求するのは恐喝行為、同様の事件がヨーロッパで起きたら、賠償金はその10分の1だと、イギリス政府の人種差別政策を非難する議論が展開されます。

 夜を徹して行われたのではないかと推測できるほどの長い議論が続きます。この時代のイギリス議会の議論がどんなものだったか、決議案に賛成・反対の意見表明をどう展開したのか、国会開催を拒み続けた菅政権(2020年9月16日〜2021年10月4日)と、説明責任を果たさなかった安倍晋三前首相(第2次〜第4次安倍内閣:2012年12月26日〜2020年9月16日)や自民党も1世紀半前のイギリス議会の議論から学べる点が多いと思えますので、興味深い議論は最後まで紹介します。

 スタンレー卿(Lord Edward George Geoffrey Smith Stanley:1799-1869)の意見表明は外務副大臣に宛てて、”you”の代名詞を連発して、責任の所在を明確にして、政府の対応を鋭く批判します。

幕府に10万ポンドを要求するのは恐喝行為だ

 外務副大臣に答えてもらいたい。女王陛下の政府が最初は大君の政府に、次に薩摩藩主に二重の要求をした正当性を理解できない。藩主を完全に独立しているとして扱うなら、あなた方[外務省]が取るべき道は明らかだ。あなた方が最初に大君に申し入れ、彼の答えが「薩摩藩主を罰することはできない」で、あなたが「それではこの件をあなたの手から引き取り、我々自身で罰する」と答えたかもしれない。しかし、薩摩藩主が殺害に責任があるなら、殺害を命令したのでない、責任のない、殺害を防ぐこともできなかった大君から10万ポンド要求するのは恐喝行為だ。

賠償金を二重に要求したイギリスは悪者だ

 一方、薩摩藩主が臣民として扱われるべきなら、我々が日本政府に賠償を求める権利があるのは確かだ。しかし、そうなら大名との問題を解決するのは[日本]政府に任せるべきだ。この件の性質から、一方の責任は他方の責任を除外するから、我が国のために交渉を行った者は二重の要求をしたことで、我々を悪者にした。

同様の事件がヨーロッパの国で起こったら、賠償額は10分の1

 また、要求額は私には法外で度を超えているように見える。人間の命に値段をつけるのは苦しいし難しいのは確かだが、このような事件がヨーロッパで起こったら、何がされたかで判断できる。もしイギリス人が同じような状況でヨーロッパの国で殺されたら、犯人を罰し、賠償を求めるだろう。しかし、15万ポンドもの額を要求しないだろうし、それ以上の価値の土地を獲得する要求へと進むことはしないだろう。この10分の1の額が十分だと考えられるだろう。

鹿児島砲撃はイギリスが友好関係を結びたいと思った市民階層を敵に回した

 本議会が検討すべきことがもう1点ある。政府の非人道性よりも非政策のほうが問題だと私なら言う。(中略)日本国民がこの事件について知るのは、外国が彼らの長と喧嘩して、町を破壊したということだけだ。それは大名たちを人々の本来の守護者の地位に据えるだろうし、そうであれば、あなた方の目的はこの二つの階層を分けさせるべきだ。あなた方がある長に反対したとしても、それは人々の権益のためだと現地人に示すべきだ。今回のあなた方の進め方で人々の心に悪印象を与えたので、それが消し去られるまでには非常に長い時間がかかる。外務省がやったことが大名に大きな影響を及ぼしたかは非常に疑わしい。(中略)あなた方は影響を与えたいと思う階層[大名たち]を恐れさせることはないだろうが、友好関係を結びたいと思う階層[市民]を敵にするだろう。(中略)

イギリスはヨーロッパの政府に対してしない横柄なことを日本政府にしている

 去年10月絹の貿易が減ったので、貿易業者の間で不安が大きくなった。減少の理由は何だったか? ニール中佐は日本の大臣にこう書いた。「絹の到着の制限に関して、事故や製品の欠乏ではなく、絹の主要取引業者の2,3人による組織的行為によって起こされたか、江戸の独占により、ヨコハマの商人コミュニティに大きな不安が広まった」。江戸の絹業者はマンチェスターやリヴァプールの商人が毎日やっていることをしたのだ。つまり値段を釣り上げようと製品を押さえている。我が国の代表者は非常に横柄な手紙を書き、日本政府が説明に呼び出された。これはヨーロッパのいかなる政府に対してもする行為ではない。私がこの手紙を参考にあげたのは、その他のことでも疑わしいことがあると光を当てるためだ。そして、これが日本政府とのやり取りで我々の感情と態度を示しているからだ。

 65歳のスタンリー卿の明快な政府批判の後は、39歳のロバート・モンタギュー卿(Lord Robert Montagu:1825-1902)の政府擁護論です。

薩英戦争はイギリスが過去10年間に行ってきた文明的戦争に反していない

 バクストン議員(7-2-1-1, 7-2-1-2参照)は我が国が日本でしていることは文明的戦争(civilized war)の慣例に反すると言いながら、過去2,3年に我々が同じことを3回行ったこと、他の国々は同様の方法で絶えず行動していると認めた。こう認めたことは、我が国の進め方は過去10年間広まっている文明的戦争の慣習に反していないということだ。(中略)

東海道は条約によってイギリスに開かれているから日本の慣習に従う必要はない

 道[東海道]は条約によって我々に開かれているので、リチャードソン氏と友人たちは傲慢な野蛮な貴族[大名行列]にひざまづくべきだと言うことはできない。(中略:事件の詳細、他の暗殺事件について)大君の政府は謝罪し、重大な犯罪が行われたと認めた。幕府は10万ポンド払うと同意した。一つだけ欠けている。犯罪者の処罰だ。大君の政府はこの犯罪者を罰する権限がないと言った。(中略)しかし、大君の政府は事実上このように言った。「貴国が優れた軍隊で行って、この大名を罰するのはご自由である」。

決議案と修正案の目的は日本人がイギリス人を自由に殺害してよいと宣言することだ

 日本の町は竹と茶色の紙とニスでできているから、我が国の砲弾がそのような家々に落ちれば、当然燃えるが、この犯罪を起こした領主の城は無傷で、その誇り高い壮麗さを保っていた。貧しい者たちを砲撃して、あの傲慢な封建貴族を逃すのは正当だろうか? 彼 [キューパー提督]が蒸気船で通り過ぎる時に、この城をまた砲撃したが、全く正しいことをした。その結果はどうだったか? 薩摩藩主は罪を認めて25,000ポンドを払い、犯人を裁きにかけると約束した。動議と修正案の目的は何か? この貴族に罪を認めたのが悪かったと知らせ、彼がイギリス人を自由に殺害して良いと宣言し、我が国の政府が彼に対して大きな恐ろしい損害を与えたと知らせるためだ。

戦争とは短気を起こしてするもの

 バクストン議員は我々が日本で文明国の慣習とは反対のことをしていると言ったが、オランダ・フランス・アメリカ・ロシアもみんな日本人に暴行を加えられ、みんな同じように賠償を要求した。バクストン議員は町の狭い路地について、逃げることのできない女たちの叫び声について言った。これは豊かな想像力のフィクションだ。(中略)このことでバクストン議員が証明したのは、戦争をする時、戦争のホラーが必ず伴うということだ。戦争は短気の調子で行わなければならない。

戦争は国に対して行うから、その結果、何も知らない国民が犠牲になるのは当然

 バクストン議員はまた、鹿児島の人々はリチャードソン事件に関係していないのに、なぜ鹿児島の人々が苦しまなければらないのかと我々に尋ねた。戦争は国に対して行うものだ。個々の犯人に対して行うことはできない。デンマーク国王がナポレオン皇帝と秘密協定を結び、デンマーク海軍がイギリスの海岸に来る可能性があるとイギリス政府が知った時、イギリス政府はネルソンを送ってコペンハーゲンを砲爆した[1801年]。コペンハーゲンの市民はこの秘密協定のことを知らなかったと言われたかもしれないが、それでも我々はあの艦隊を破壊し、あの都市を爆撃した。(中略:その他2例の都市砲爆)

 我が国の日本との貿易は拡大しており、最も価値あるものだ。その結果は何か? 外国人とイギリス人は日本に押し寄せる。これらの暗殺を止めなければ、さらに非攻撃的なヨーロッパ人が道路上で殺されるだろう。

日本人が崇拝するのは正直、正義、友好ではなく軍事力

 私は1862年に日本の使節団と財務大臣の邸宅で会った時のことを覚えている。何が一番印象に残っているかと大使の1人に聞くと、ウーリッジ(Woolwich: 王立兵器工場の地として有名)と答え、特にアームストロング砲を賛美した。これが示すことは日本人が崇拝するのは正直、正義、友好ではなく軍事力だ。彼らが弱小国やばかな国と対する時には、正義や公平などは無視するだろう。この国の封建領主たちは最も傲慢で高慢な人々だから、彼らとの取引で彼らに公正を求めるためには、不正に対する報復をするための軍事力があると見せなければならない。彼らが我が国の軍事力を感じた時に、我々を公正に扱うことを学ぶのだ。

文久遣欧使節団

 モンタギュー卿が財務大臣の邸宅で会ったという日本の使節団は「文久遣欧使節団」または「竹内遣欧使節団」と呼ばれ、第2回ロンドン万国博覧会に訪れた時の挿絵がILNに掲載されました。

The Japanese Ambassadors at the International Exhibition
国際博覧会における日本使節団(出典:ILN, 1862年5月24日, (注1), p.535)

 ILNの記事(1862年5月24日, p.535)「大博覧会」に「日本使節団は毎日のように博覧会に来ている」と記されています。この使節団派遣の背景を外務省のサイト(注2)から引用します。

幕府は、急激な物価上昇や攘夷の風潮の広まりを理由に、条約を結んだ各国の公使に対し、修好通商条約に定められた兵庫・新潟の開港と、江戸・大阪に外国人の居留を許可すること(開市)については、国内の政治・経済状況が安定するまで延期するよう求めた。これに対し英国公使オールコックは、開港開市延期は条約の目的に反するという意見を述べながらも、幕府が英本国をはじめとする各締約国へ全権使節を派遣し、直接交渉することを提案した。(中略)英国での開港開市延期交渉には、賜暇[しか:官吏の休暇]帰国中の駐日公使オールコックも加わってよく日本側を弁護したこともあり、(中略)新潟と兵庫の開港、江戸と大阪の開市を1863年1月1日から5か年延期することを取り決めた覚書(「ロンドン覚書」)に調印した。

『イラストレイテッド ・ロンドン・ニュース』で伝えられた文久遣欧使節団

 ILNでは使節団の最初の訪問地フランスに到着した時から、使節団の動向について詳しく報じていますが、肝心のロンドン到着後の記事がほとんどありません。フランスでの出来事から、日本使節団に興味を失ったかのようです。

1862年4月12日、p.361

 日本使節団がフランスに到着した。昨日、一行はマルセーユのプラド海岸、シャトー・ボレリー、動物園に行った。市長と担当の議員が随行した。夜はグランド劇場に行き、娯楽を非常に楽しんだようだった。証券取引所と劇場の前面は一行のために特別な照明がつけられた。リヨンのSalut Public紙は次のように述べている:

 「今日の一大イベントは日本の使節団の到着だ。使節団は5人の大使、12人の役人、数人の従者で構成されていた。一行の長は50歳ほどの男だ。日本人は知的な顔つきをしているが、その表情はあまり魅力的ではない。鼻は大きく平べったく、唇は厚く、目は斜め、肌は黄ばんでいて、頭は大きい。髪の毛は真っ黒で、頭のてっぺんに引き上げられている。この髪型は一行の若い者たちを後ろから見ると女性のように見せた。数人は頭を完全に剃っていたが、誰一人として髭は全くなかった。全員が暗色の簡単な服で、飾りはほとんどつけていない。シルクのチュニック(長い上着)と白いモスリンのズボン、黄色い皮のサンダルを履いている。全員が腰のベルトに短刀を帯びて、つける者の位か爵位などによって、刀には美しい彫金が施されている。頭にはわら製の中国の帽子のようなものをかぶっている。大使の帽子は内側に金箔が施されている。

 日本人はとてもしらふで、大抵リキュールか米の水を飲んでいる。食べ物に関しては、彼らは茹でた鶏肉を好んでいる。テーブルに座って、ナイフとフォークを使い、あらゆるものに胡椒とスパイスをかけて食べる。食べる時のマナーも、日常の習慣も驚くほど清潔だ。彼らが引き起こす好奇心に一切困惑していないようだ。彼らはホテルに着いた時、ホテルの王侯のような豪華さと、その1階の彼らの部屋の素晴らしさに驚いたようだった。夕刻にはホテルの至る所に輝くばかりに灯りがともされ、ホテルの前には大群衆が集まった。

—-使節団はパリに月曜[4月7日]の夜到着し、彼らのために用意されたルーブル・ホテルで降りた。リオン鉄道駅で一行は大使たちの紹介者Feuillet de Conchet(1798-1887)氏に出迎えられ、騎兵隊の分遣隊が一行をホテルまでエスコートした。彼らの部屋からは日本の旗がはためいている。

1862年4月19日、p.384「外国と植民地のニュース—フランス」

 [ナポレオン]皇帝は月曜日[4月14日]にチュイルリー宮殿で日本使節団を盛大に迎えた。団長は日本とフランスの間で結ばれた条約が両国間の友好関係を発展させるだろうと自分を褒め称え、使節団はフランス船で日本に送られるべきだと恐ろしいことを表明した。皇帝は返答として、使節団をフランスにお迎えするといい、彼らに与えられる歓迎会は文明国の最高の美徳と考えられているもてなしだと彼らに確信させるために計画されたと言った。皇帝は喜んで彼らの帰国の際にフランス軍艦を命じると言い、皇帝が日本帝国との友好関係を維持する希望だと明言した。

イギリス下院議会の議論(続き):モンタギュー卿の次の意見表明はフランシス・クロスリー卿(Sir Francis Crossley: 1817-72)です。主要点だけ訳します。

外国に住むということは、その国の人々と運命を共にすることだから、作法・慣習を尊重すべきだ

 我々は他国の罪はよく見えるが、自国の罪はなかなか見えない。鹿児島の焼失は恐ろしい作戦だったと思う。
 イギリス人が自身の欲得や快楽のために外国に住もうと思う時、彼らができることは運命を共にしようと選択した国の人々の作法や慣習を尊重することだとは全く考えない。リチャードソン氏と彼の友人たちは大名に十分な敬意を示さなかった。それはボディーガード[による殺害]を正当化しないし、我が国政府が賠償を要求したことを自分は責めない。

 しかし、外務省が提督に緩い指示を出したことは間違いだ。ラッセル卿は指示の中で、薩摩藩主がヨーロッパから高価な蒸気船複数を輸入したから、キューパー提督がそれらの船を拿捕してよいと言った。もし指示が、拿捕に失敗したら、島を占領してよいと続けていたら、その方がもっと人道的で効果的だっただろう。その代わりにラッセル卿は領主の城を砲撃せよと言った。

 キューパー提督は鹿児島から7,8マイルの所で3隻の蒸気船を拿捕し、報復として曳航する代わりに、銃を向けて「撃てるものなら撃ってみろ! 我々が地上で最初の国家だということを覚えておけ。お前たちは自分たちが文明国だと思っているだろうが、お前たちは野蛮人だ」と言った。これが交渉をする際の最も懐柔的な方法だとは自分は思わない。

次の論者、リデル議員(Henry Thomas Liddell: 1797-1878)は日本との条約は結ぶべきではなかった、「労多くして功少なし」だという趣旨の意見を述べます。

イギリス政府の日本における平和政策の開始が鹿児島砲撃と1,500人も殺すことだったのは驚きだ

 外務省は条約を結ぶ時にもう少し注意深くあるべきだった。ヨーロッパでも東洋でも、この国[イギリス]が条約を結ぶときはいつも混乱した。(中略)本議会には日本事情に詳しい者はいない;日本との条約は喫緊の外交課題ではない;外交の軽率なものだ;しかも、日本の作法も習慣も法律の知識も全くないまま条約交渉に入ったのだと、立ち上がって言う者はいない。議会は法律の権威から、この国の法廷ではリチャードソン氏の殺害者を殺人罪(homicide)以上には問えないと知らされた。日本の法律では、宗教的性格も帯びている行列を邪魔することは禁じられているとも知らされた。したがって、日本の観点からこの問題を見ると、(中略)哀れな無知の日本人はリチャードソン氏を幹線道路で殺したことの正当性があると思ったかもしれない。さて、我々はこの人々から賠償金を要求し、彼らの町の一つを破壊し、1,500人殺した。当然、外国人に対して攻撃的な日本人がこの行為で和解するだろうか? 政府の日本における政策は何か? 政府の政策は平和だという答えが返って来るだろう。しかし、平和政策の開始が首都を砲撃し、財産を破壊し、1,500人も殺すというのは驚くべきことだ。

金の崇拝は暴力と戦争が伴う

 ニール中佐の政策は貿易であり、市場の人気のある品物は絹で、それも日本の絹だ。しかし、その絹貿易を促進するために、イギリスに対する恐怖と嫌悪を増強させる行為を犯す必要があったのか? 我々のミッションは東洋でキリスト教を広めることだといつも言ってきた我々は、アメリカ人が「万能のドル」(almighty dollar)と呼ぶものを今や崇拝するというのか? この崇拝に伴うのは暴力と戦争だ。我々は東洋の国々における我が国の政策を見直す時ではないか?なぜなら、東インド、中国、日本でこの政策は正当化もできず、誇ることもできない行為によって維持されているからだ。

外国人の存在のせいで、日本は革命の淵に立っており、当局はどうしていいかわからない

 日本は100年間も独自に幸せで繁栄していた。しかし、今や外国人の存在のせいで、社会的革命の淵に立っており、外国関係を担当している御老中(Gorogio)はその結果を予測することができない。イギリス政府が元々は非常に急いで交渉に入った条約の条項の実施を押し付ける。イギリス政府の専制的恣意的で正当化できない手法の結果に、日本当局はどうしていいかわからず困り果てている。現在、我々は御門(Mikado)がいったい誰か、日本の最高権威が誰の手にあるのか確かめられていない。政府は大君によって行使される権威のことを語ったが、最近の出来事では、最高権威が大君を超えたところにあるように見える。なぜなら、外国との条約が調印されたと御門が最近知らされ、大君は御門に答えるために呼び出されたからだ。

政府に「暴力的でない、専制的恣意的でない政策を採用する」と言ってほしい

 我々が急いで作った条約は日本の法律と慣習をよく知っている者たちと共に修正すべきだ。この条約は今のままではうまくいかないのは確かだ。御老中は言った。「もしヨコハマの貿易の継続が主張されたら、現状(革命)[原文注]が悪化し、貿易が困難になり、結果的に消滅するだろう。そうなれば友好は破壊される」。もし女王陛下の政府が貿易の繁栄を望んでいるなら、条約を再検討すべきだ。政府には今夜本議会で言ってもらいたい;政府が最近日本で行った政策よりも暴力的でない、専制的恣意的でない政策を採用すると言ってもらいたい。

我々から何もいらないという国との条約が非現実的なら、議会は「骨折り損」と言うべき

 本議会では鹿児島の日本人の苦しみについて聞いたが、日本で暮らさざるを得ない我が国の国民と公使館の人々が不安と不安定さで苦しんでいることについて誰も話してない。来る夜も来る夜も、公使館が攻撃され、家々が燃やされ、殺人が行われている。([外務副大臣]レイヤード議員:ヒヤヒヤ!Hear hear![そうだ!そうだ])これらは日本人の敵意をさらに増やすことでは止められない。下院はこれを止めるべきだと主張する。もし、我々から何もいらないという国、我々が強制するまでは幸福で繁栄していた国との条約を進めるのが非現実的だとわかったら、議会はle jeu ne vaut pas la chandelle(「骨折り損のくたびれ儲け」に相当)と言うべきだ。

 そして、あのような驚くべき伝統と不可解な法律と習慣の中で閉じこもっている国、我が国との貿易を望まず、それなのに我々がこの貿易を求める中で貴重な公僕の命に我々が危険を及ぼさせ、我々を高くつく喧嘩に関わらせる国との関係を続けるのが賢明か考えるべきである。

訳者コメント:この議事録でも議場からの野次と誰が発したのかまで記入されています。

 ”le jeu ne vaut pas la chandelle”というフランス語の慣用句は、1世紀半後の現在、またもや日本に関連して使われました。新型コロナで世界中が苦しんでいる最中に東京でオリンピックを開催するというので、欧米メディアが反対の声をあげますが、『ル・モンド』紙が2021年5月31日の記事の題名に使っています。“《Sauvez des vies plutôt que les Jeux》: pour les Japonais, les JO n’en valent pas la chandelle”(オリンピックより命を救え:日本人にとって東京オリンピックは骨折り損のくたびれ儲け、(注3))。

 1864年時点でイギリスの政治家たちが、日本がイギリスから何もいらないと言っていると理解していたことは、清朝皇帝がイギリスの使者に言ったと伝えられていることと同じです。現代アメリカの著名な知識人、ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky: 1928-)が19世紀の欧米とアジアの関係について、2021年9月16日のインタビュー記事「誰がアジアを支配しているか?」(注4)で以下のように述べています。

 18世紀までの世界史を見れば、アジアは世界文明の中心だった。ヨーロッパはアジアの外の野蛮人集団だった。18世紀にイギリスの使者が中国に行って、皇帝に謁見が許されたとき、皇帝は「貴殿らから欲しいものは何もない。我々は必要なもの全て持っている。我々は貴殿らより遥かに進んでいる。望むなら、貴殿らが我々の規則を守れる場所に交易所を作ってもよろしいが、貴国が提供できるものは何もない」と言った。インドも同じだ。インドはイギリスよりも遥かに豊かな発展した社会だった。

 ヨーロッパ人が唯一有利だったのは、残忍さだ。ヨーロッパ人は戦争においてはるかに進んでいた。軍事歴史家が指摘するのは、ヨーロッパが戦争を科学に変えたことだ。ヨーロッパ以外の世界はそれを持っていなかったから、ヨーロッパは残忍性という有利なものを使って、アジアを侵略し、インドを破滅させ、脱工業化させた。イギリスはインドの高度なテクノロジーを盗み、インドを脱工業化させ、破壊し、中国を暴力で侵略した。ヨーロッパ人は暴力という大きな方法を持っていた。アヘン密輸、アジアは人類史上、外部の力に屈し、苦しんだ。

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1 The Illustrated London News, Vol. 45, 1864 July-Dec. Internet Archive.
https://archive.org/details/illustratedlondov45lond
2 「開港開市延期問題と文久遣欧使節団派遣」外務省
https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/j_uk/02.html
3 Guillaume Loiret “《Sauvez des vies plutôt que les Jeux》: pour les Japonais, les JO n’en valent pas la chandelle”, Le Monde, 31 Mai, 2021
https://www.lemonde.fr/m-le-mag/article/2021/05/31/sauvez-des-vies-plutot-que-les-jeux-pour-les-japonais-les-jo-n-en-valent-pas-la-chandelle_6082129_4500055.html
4 Jenny Li “Who Rules Asia?: an Interview with Noam Chomsky”, New Bloom, 09/16/2021
https://newbloommag.net/2021/09/16/chomsky-interview-transcript-eng/