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2019-09-29

英米に伝えられた攘夷の日本(6-6-6)

1852年4月8日にアメリカ議会上院でペリー日本遠征の目的について情報を提供せよという議論があり、メディアでも目的についての批判記事が出たためか、1年前の遠征指令文書が新聞に掲載されます。同時期に日本遠征は軍事目的だという厳しい批判記事が報道されます。

 以下の指令文書がメディアに流され、解説なしに全文が掲載されました。長いので、原文にない小見出しをつけて抄訳します。

  • 1852年4月24日(NYDT):「日本遠征—オーリック提督への指示」((注1), P.1)
    国務省長官ダニエル・ウェブスターより、ワシントン、1851年6月10日火曜日
    ジョン・H・オーリック提督[宛]

カリフォルニアから中国への蒸気船航路利用には日本に開国させなければならない

 中国から東インド諸島、エジプトまで、そこから地中海を通って大西洋、イギリスへ、そこからまた我が国の幸多き海岸とこの偉大な大陸の他の地域へ、我が国の港から西洋の2大陸を結ぶ地峡の南部へ、そして太平洋の海岸から北へ南へ、文明が広がる限り、我が国と他国の蒸気船が情報と世界の富と多くの旅行者を運ぶ蒸気船の海洋航路チェーンの最後の輪が間もなく完成する。

 大統領の意見は、この偉大なチェーンの最後の輪を我が国の進取的な商人たちに提供するための手段をすぐに講じなければならないというものである。カリフォルニアから中国への航路を早く可能にするために、我が国の蒸気船が往復するのに必要な石炭を日本から購入できるよう日本の皇帝から許可を得ることが望ましい。外国の船に対して開港するよう申し入れてきたのを日本帝国が過去2世紀も拒否してきた警戒心は有名で、日本の鎖国政策を変えよという新たな試みも全て恥をかかされてきた。

 商業的関心から我々は日本の君主に再度アピールする必要がある。我が国の商人たちに日本の職人の製品や農家の生産物ではなく、あらゆるものの創造主が日本の島々の奥底に堆積させた天の恵みを人類家族のために、売ってくれと頼むのだ。

大統領から日本の皇帝への書簡と日本の漂流民の返還

 大統領の指示によって、日本の皇帝宛の手紙をお渡しする。それを旗艦で江戸に運ぶこと、艦隊の軍艦をできるだけ多く伴って行くこと(訳者による強調)、書簡の中国語訳はカントンの合衆国公使館で用意するので、香港かマカオに停泊した時に受け取ること。

 そこで、バーク船オークランド号に助けられた日本の漂流民数人を待たせているので、彼らを江戸まで連れて行き、皇帝の役人に引き渡し、通訳を通じて、アメリカ政府は我が国の海岸にたどり着いた日本の漂流民を親切に取り扱うと保証し、日本の海岸に漂着したアメリカ市民を同じく扱うことを期待していると伝えること。大統領の日本皇帝宛の手紙は日本の高官に手渡すこと。その人物に訪日の目的を伝えること。

日本は石炭が豊富だから拒否する理由はない;アメリカは他国の宗教に干渉しない

 日本には石炭が豊富に埋蔵されているから、日本政府は我が国の蒸気船に公正な値段で売ることに反対することはできない。この目的のためには日本(Niphon)の東の港が最も望ましい。しかし、日本政府が鎖国制度をあくまでも続けると主張するなら、日本の船で石炭を、蒸気船がアクセスしやすい近隣の島に運ぶよう日本政府を説得すること。こうすれば、日本人の多くと接触する必要性を避けられるだろうと。

 貴殿が接する日本の役人にあらゆる機会を捉えて、合衆国政府は自国市民の宗教に対する権力は持っていないので、他国の宗教に干渉すると心配することはないと説得しなければならない。

日本政府と合衆国間の友好通商条約締結の全権を与える

 大統領は日本政府がこれまでいかなる国とも条約を結ぶことを嫌っていることは十分承知しているが、貴殿がその思いを克服できると期待して、合衆国と日本帝国の友好と通商条約の交渉および締結の全権を貴殿に与えることが適当だと考えられる。

 合衆国と中国、シャム国、マスカット(オマーン)との友好通商条約のコピーを参考までに渡す。我が国の船舶が日本の港、1港かそれ以上に入港する権利と、高額な港湾諸経費なしに、船荷を売るか物々交換する権利を貴殿が獲得することが重要である。さらに重要なのは、日本政府がアメリカ人船乗りと彼らの所有物を保護する義務を負うべきことである。マスカットとの条約の第二項と、シャム国との条約の第五項がこれらの目的を述べている。

 貴殿もご存知のように、全ての条約の批准は上院にかけられることになっている。日本との距離の大きさと予想できない困難さを考えると、貴殿がこの目的を達成し、批准の交換の期間を3年間とするのが懸命であろう。

解説:アメリカが締結した条約のうち、「マスカット」というのは、1833年に現在のオマーンの首都マスカットでオマーンのサルタン国と締結した友好通商条約のようです(注2)。この書簡の下にオランダ大使からの口上書が掲載されています。

オランダ大使からの口上書:1851年4月30日

 日本帝国政府が日本から外国船を排除しているのは悪名高いですが、日本政府は1842年に、日本の海岸に嵐で漂着したり、水や燃料用薪を求めて寄港した船の場合は、求めに応じて許可することにしました。

 しかし、人道的配慮からなされたこの決定が間違った解釈を呼び起こす懸念から、日本政府はオランダ政府に対して、この決定が2世紀以上前に日本政府に採用された鎖国制度を侵害するものでも、修正を意味するものでも決してないことを他国に知らせて欲しいと依頼しました。この制度ができて以来、外国船が日本の海岸を探索することは禁じられており、それは今も有効です。

 オランダ政府はこの依頼に従うことに難色を示しませんでした。特に日本政府がこの種のコミュニケーションをする方法を持っていないからです。また、ハーグの内閣からの指示を遂行するにあたって、オランダ公使館は上記の事実を合衆国国務省長官に伝達することを光栄に存じます。

 この2日後4月26日の上院で海軍の「日本遠征」の目的について大統領に問いただすための決議を28日にしたいとボーランド氏が発言したと報道されていますが(注3)、予定の4月28日の上院の議題を掲載した『ニューヨーク・デイリー・タイムズ』の記事には「カリフォルニアの征服」という議題と、下院で「メキシコの要求」という議題が議論されたことしか掲載されていません。

 そして、5月1日の第一面トップ記事「日本」にはゴローニンの日本での経験(4.9参照)を長々と紹介しています(注4)。この頃のニュースには、ハワイの獲得、ネイティブ・アメリカンを武力で排除する動き、アフリカ奴隷貿易、キューバの買収等々が毎日のように掲載されています。この文脈の中ではアメリカ政府が日本を武力で獲得しようとしているのではないかと『ニューヨーク・デイリー・タイムズ』が不信感を顕にして警鐘を鳴らしている意味がわかります。

  • 1852年5月29日(NYDT):「日本とメディア」((注5), p.2)

 「日本遠征」のミステリーは最初の時からちっとも解決していない。最初は情報が全くないことに当惑した。今は知っているべき人々の間でも矛盾する情報や不確かな情報が飛び交っていることから起こる当惑である。大統領から将軍(Ziogoon)への友好の手紙には、遠征の目的がまだ完成していない中国蒸気船航路のために、日本のどこかに石炭を補充する港を1つ建設することだと述べられている。非常に丁寧な言葉でその許可を求めている。居丈高な表現や恐ろしい脅しは一つもない。割譲は皇帝(Emperor)の意志次第だ。(中略)

 ペクサン艦砲やブドウ散弾のことは一つも述べられていない。爆弾のことは知られていない。(中略)この航海はモリしか武器を持たない捕鯨船の航海のように平和的であることになっている。

 しかし、これをどう考えたらいいのだろうか? 太平洋横断航路で航行するアメリカ(原文は斜体で強調)船のための中継点を獲得することが、この遠征の唯一の目的だということがありえるだろうか? または単なる表敬訪問だというのか、あるいは、フランスやイギリスから、さらにはオランダの沼地からも我が国が受けているような蒸気軍艦やフリゲート艦のお祝い[の挑発]に示されたのと同じように、アメリカの軍事力の誇示を素晴らしい規模で行なって、遠征の結果をもたらそうというのか? 我が国の限定的な事業が海外で誤解されるのは必至ではないか?

将軍がフランスとイギリスの新聞を読んだら、日本は大混乱になる

 [フランスの新聞]Journal des Débatsは大統領の書簡を読めなかったかか、読んでからか、信じることを拒否したに違いない。ロンドンの『タイムズ』はその手段が有益だと大きく誇張している。我が国の政府によって許可された特別装備によって、東インド会社とイギリス経済全体にどんな現生的利益が返ってくるのだろうか? 中国との貿易から逃げるため? オランダ政府も祝意と航路の指示を出した。まるで石炭補給所を獲得することがオランダと人類全体に利益になるとでも言うかのようだ。

 大統領が別の書簡を書くべき時が来た。将軍がカーペットにしゃがんで、お茶とヨーロッパからの6ヶ月遅れの新聞を手にし、Débatsと『タイムズ』を開いて、その扇動的社説を読んだら当然感じるだろう不安を取り除くためだ。帝国主義の狂信的信奉者のCourier and Enquirerは江戸でも読まれているに違いないが、これが同時に手に入ったら、もちろん悲しむべき大混乱になる。野蛮人大統領(the barbarian President)、あるいはCacique[スペイン植民地の中南米の先住民族の長]、Sheik[アラブの長]、将軍など、日本の陛下がフィルモア氏をいずれで呼ぶにしろ、南蛮人(barbarians)の最も尊敬されている3紙はフィルモア氏の平和的意図を信じないとけたたましく論じている。あの艦隊全部に運ばれなければならない小さな誓願書[billet:軍隊の宿泊を要求する命令書]が野蛮新聞の一致した保証に対して、どう役立つのだろうか?

 これらの新聞が「遠征の目的」(原文強調)を誤解しているのか、大統領が全く何も知らないのかは十分に明らかだ。大統領はノーフォークで行われている重装備と乗組員の募集と交戦準備が完全に平和的目的のためだと明言した。江戸湾で銃が二重に装填され、狙いをつけられ、モーターが上げられ、甲板が軍事行動のために片付けられるのを見たら、この反対を信じる者は地球上に1人もいない。(中略)我々はこれから行く船のための石炭ドックが一つ欲しいのだ。そしてそれを請願し、借り、併合する意図である。このような暴力的祝賀にしては間違いなく狭隘地だ。

訳者コメント:「小さな請願書」を運ぶためだけに威圧的な艦隊で行くという疑問・批判は、艦隊が浦賀に到着した時に最初に応対した浦賀与力の香山栄左衛門が感じた疑問・批判と同じです。香山はペリー側に「大統領の書簡を運ぶために、なぜ4隻も船をよこしたのか」とはっきりと尋ね、「皇帝に敬意を表すため」という回答に納得しなかったとペリー遠征の首席通訳が記録しています(1-2参照)。

  • 1852年9月10日(NYDT):「日本遠征」((注6), p.2)
     ペリー提督の日本遠征はキャンセルされる、少なくとも当分はという噂がある。政府がこの事業を正当化できるだけの十分な数の軍艦をさくことができない。
  • 1852年9月27日(NYDT):「日本への遠征」、ワシントン発、9月25日((注7), p.1)
      日本遠征は最高の蒸気軍艦3隻で構成されることが決まった。ロング艦長に率いられるミッシしピー号は11月1日から10日の間にニューヨークを出航する。ペリー提督に率いられるプリンストン号は旗艦としてミシシッピー号と帆走し、今ボイラー設置のためにバルティモアにいる。3番目のアレガニー号(Alleghany)は目下ゴスポー海軍造船所[現ノーフォーク海軍造船所]で修理中だ。この3隻の軍艦は出発に向けて準備が進んでいる。
  • 1852年9月29日(NYDT):「日本遠征」、ワシントン発、9月28日((注8), p.1)
     政府は日本遠征を熱心に進めている。

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1 ”The Japanese Expedition—Instructions to Com. Aulick”, “Note from the Dutch Minister”, The New York Daily Times, April 24, 1852, p.1.
https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1852/04/24/issue.html
2 “A Guide to the United States’ History of Recognition, Diplomatic, and Consular Relations, by Country, since 1776: Oman”.
https://history.state.gov/countries/oman
3 ”XXXIId Congress. . . .First Session.—Senate . . . .Washington, Monday, April 26.” “Japan Expedition”, The New York Daily Times, April 27,
1852, p.1.
https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1852/04/27/issue.html
4 ”Japan”, The New York Daily Times, May 1, 1852, p.1.
https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1852/05/01/issue.html
5 ”Japan and the Journals”, The New York Daily Times, May 29, 1852, p.2.
https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1852/05/29/issue.html
6 ”The Japan Expedition”, The New York Daily Times, September 10, 1852, p.2.
https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1852/09/10/issue.html
7 ”The Expedition to Japan”, The New York Daily Times, September 27, 1852, p.1.
https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1852/09/27/issue.html
8 ”The Japan Expedition”, The New York Daily Times, September 29, 1852, p.1.
https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1852/09/29/issue.html