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英米に伝えられた攘夷の日本(6-7-4-16-1)

英米に伝えられた攘夷の日本(6-7-4-15)

南京事件直後に南京に行き、取材をもとに事件前後の日本部隊の動きを描いた石川達三の『生きている兵隊』の記述と、当時の警視庁検閲課が問題にした点を見ます。 1188 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(6-7-4-14-2)

南京事件/虐殺はなかったという主張がなぜ日本でまかり通るのかの背景と、国内で戦争被害にあった自国民/市民へのドイツ政府と日本政府の対応の違いを見ます。 1186 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(6-7-4-14-1)

戦争犯罪への対応の仕方がドイツと日本で大きく異なる例を見ます。 1169 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(6-7-4-13-2)

日本兵の証言や被害者の証言、そしてNYタイムズの記事から、日本軍の残虐行為は南京以外でも広く行われ、太平洋戦争中にはインドネシアでもイギリス・オーストラリアの看護婦たちの虐殺もあったことが明らかにされつつあります。 1167 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(6-7-4-13-1)

ドイツではナチの残虐性を追求した小説とその映画(2019)が評判になり、日本でも公開されたのに、南京虐殺の記録を基にした映画(2009)は公開されず、日本の自国の歴史に向き合う姿勢が問われます。 1165 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(6-7-4-12)

1937年クリスマス・イヴの『ニューヨーク・タイムズ』に南京事件/虐殺の詳細が掲載されました。 1163 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(6-7-4-11)

1937年12月22〜23日の『ニューヨーク・タイムズ』は日本で反戦・反ファシズムの運動をしていた著名人を含む多数の人々を「平和の妨害者」と呼んで逮捕したと、戦争推進の日本政府・日本軍の矛盾を皮肉る記事を掲載しています。 1144 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(6-7-4-10)

1937年12月21日の『ニューヨーク・タイムズ』社説が日本の将来を予想しています。

『ニューヨーク・タイムズ』のパナイ号爆撃報道9日目:1937年12月21日続き(注1)

    「アメリカ人が中国で逃避中に立ち往生—女性と子どもたちが漢口から逃避中に揚子江上の防材で引き返す—日本は攻撃続行—ロンドンは新首都に安全地帯を求める—香港は不安」:AP通信、上海発、12月21日(p.19,「中国からのクリスマス・カードでサンタが戦闘地帯上空を翔んでいる」というキャプションのクリスマス・カード掲載)
    「合衆国軍は中国に留まるとハルが言った—現在の緊急事態では軍を撤退させないと上院議員に伝えた」:ワシントン発、12月20日(pp.1, 19)
 スマザース上院議員がコーデル・ハル国務長官に、中日紛争地帯から合衆国の船と国民を撤退させるべきだと主張する書簡を出し、ハル長官が返答した[12月18日付書簡全部を掲載]。
 現在の特殊な状況下で自国民の生命と財産を守る方法を主要列国は中国政府の承認のもとに作成し採用している。例えば、現在でも治外法権の管轄区があり、それに付随するものがある。アメリカ国民もその他の国の国民も数世代前に中国に行って、様々な職業その他の活動で暮らしてきて[訳者強調]、中国の状況の中で特権もあれば、不利益な面もある。アメリカ政府は他の国の政府と共に、様々な権利を受け、結果として様々な義務も負っている。現在のような状況が続く中で、彼らは突然この地を捨てることも、過去と切り離されることもできないし、アメリカ政府も義務と責任を捨てることはできない[訳者強調]。 アメリカ海軍の船と上陸部隊の小規模な分遣隊は、アメリカ国民の生命・財産・活動が影響を受けるような、特に地域的混乱や認定されていない暴力[訳者強調]から彼らを守り、秩序と安全を維持するために中国に駐留している。これらの船と部隊はどんな意味でも攻撃の任務に当たったことはない。アメリカ政府の長い間の希望と予想は、彼らの適切な機能が必要なくなったら、撤退させることだった。2,3ヶ月前に我々は撤退に好都合な時が近づいたと思った[訳者強調]。しかしながら、今はその撤退を実行する時ではない。
    「斎藤[駐米大使]の話が批判された—コナリーは斎藤のラジオ談話は政府から承認を得るべきだったと言った」(p.19)
    「日本の団体がパナイ号『救済』基金を支援」:東京発、12月20日(p.20)
 日本ではパナイ号事件で国民のアメリカへのお悔やみの表明が続いている。Y.M.C.A.、Y.W.C.A.、ミッション・スクール、大学、親善団体など、アメリカの支援を受けてきた東京の20団体がルーズベルト大統領にお悔やみの手紙を書くことと、救済基金の募金をすることを昨日決めた。(中略)人々のこの気持ちがあることが、当局が詳細を隠す理由だ。もし知られたら、国民の信頼を失うだろう。
    「日本が南京を攻撃する光景」[写真2枚掲載:燃える南京の町からボートで離れる日本軍、南京のアメリカ大使館の敷地内地面に空爆を避けるためにアメリカ国旗を置く人物]
    社説「中国における日本」(p.22)
 昨日、上海から『タイムズ』へ送られた記事は疑いようのない情報源に基づいたもので、パナイ号事件に重要な新たな光を投げかけた。この記事の概要は、アメリカの砲艦に機関銃で攻撃したのは、昨年東京で起こった陸軍の反乱で主導的役割を果たした大佐が下した命令によって行われたこと、その彼の懲戒処分の問題をめぐって日本の最高司令部の中で恐ろしい闘いがあったことだ。我が社の上海外電によると、外国が「日本陸軍の首脳たちはもはや信頼できない」という結論を出しはしないかと、「保守的な日本陸軍グループだけでなく、政府全体に不安が急速に高まっている」[訳者強調]という。

日本が中国で追及するのは利益を生むマーケットではないのか?

 これを信じる理由はいくつかある。少なくとも陸軍の作戦が中国で始まって以来、日本のあらゆる派閥が戦争感情で一致団結して以来、中国で何を追求するのかの適切な政策に関して、国民の意見と陸軍の意見の間に深い溝が広がった。日本が中国で何を必要とするかは何よりも日本製品にとって利益を生むマーケットだという事実を理解して、先見の明のある東京の文民リーダーたちは昨夏、賽が投げられる前は、和解政策を支持し、中国の親善を意図的に培おうとした。彼らのアドバイスは破棄され、日本の中国政策は実際は陸軍によって決められたことはその後の出来事の経緯から明らかである。 しかし、今上海からのニュースで現れているのは、陸軍自体の内部で長い間潜在していた闘争—伝統的な保守系の意見と昨年クーデター未遂事件を企んだ、いわゆる青年将校派閥の意見との分断—が中国を侵略した陸軍の規律に影響を与え始めていることだ。この場合、90万人もの部隊で青島、漢口、広東という広範囲を目的にした大規模な作戦が、揚子江で起きたような事件に似た事件が起きることに繋がることを恐れる理由は、なおさら今以上にある。

日本の中国政策の3つのリスク

 日本が現在追求している政策には、散在する中国軍部隊との遭遇という問題とは全く別に、日本にとって疑いないリスクが3点ある。最初のリスクはパナイ号沈没のような「事件」(原文強調)がもっと起きる可能性だ:外国に対する直接的侮辱はこれらの国々で憤りが徐々に高まりを生むのは必然だ。 2番目のリスクは日本政府の財力が陸軍が政府に課する巨大な事業に耐えられないことを証明するだろう。3番目のリスクは、たとえ最初の2つのリスクがうまく避けられたとしても、最終的に日本製品にとって不可欠なマーケットを破壊することで、取り返しのつかない被害を自らにもたらしたとわかるだろう。この関連で我が社の上海特派員の最近のコメントを思い出すのがふさわしい:戦争が長引けば長引くほど、破壊が大きくなり、中国通貨が完全に崩壊する日が近づき、日本にとって中国での好機はどんどん少なくなると戦争の最後に分かるだろう。[訳者強調](中略)

日本が求める鉱山と自然資源の開発は現実的に不可能だ

 日本の軍閥は中国マーケットをほとんど失っても、新たな「傀儡」[原文強調]政府[複数形]が立ち上げられた地方の鉱山と自然資源を日本が開発することで相殺される以上[の利益]だと希望しているのは明らかだ。しかし、この種の開発は途方もなく高いビジネスで、おそらく追い詰められている日本政府自体の力の及ばないことだ。そしてこのビジネスは外債という形の財政援助を必要とする。このような援助を日本はおそらく得られない。なぜなら、外国政府は満州の傀儡政府を意図的に承認していないのだから、万里の長城の南の傀儡政府を承認する、または、新たな「独立」(原文強調)政府にローンを認めると信じる理由は全くない。 我々の場合は、もしアメリカの銀行やわが国の商業的関心が、日本が中国国民から盗んだ資産の持続を確かなものにする行為をアメリカ国民が許すと、日本が一瞬たりとも信じるとしたら、日本はこの状況を酷く読み違えているのは確かだ。

『ニューヨーク・タイムズ』のパナイ号爆撃報道10日目:1937年12月22日(注2)

    「日本が英首相から警告—チェンバレンは強硬— [数々の]挑発によってロンドン[政府]の忍耐の限界がくると言った—誠実さの証拠を示せ—中国に戦艦を送れと自由党が求める—労働党はボイコットを主張」:ロンドン発、フェルディナンド・クーン・Jr.、12月21日(pp.1, 12)
今日の下院でネヴィル・チェンバレン首相(Neville Chamberlain: 1869-1940)とアンソニー・イーデン外務大臣が著しく慎重なスピーチをし、現在の英国の極東政策は注意深い経過観察だと言った。チェンバレン氏は日本に対して強い口調だったが、日本が香港を攻撃したり、最近の揚子江攻撃で英国市民の命を狙うような目に余ることを繰り返したりしない限り、強い行動はとらないという印象を与える内容だった。首相は「我々が今しているのは、日本政府がこのような事件を繰り返さないという決断と能力があるかの証拠を待っていることです」と述べた。[中略:非常に長い記事ですが、重要と思われる点だけ抄訳します]
 イーデン氏は、戦争準備としての制裁でない限り、いかなる制裁の考えを否定するとはっきり述べた。(中略)野党労働党党首のクレメント・R. アトリー(Clement R. Attlee: 1883-1967)は日本による英国とアメリカの戦艦攻撃は満州国併合直前に日本がロシア船を攻撃したことに「不吉な類似」(原文強調)があると主張した。「香港が本土から切り離され、上海は遺棄されるかもしれない」と予想して、英国政府は日本を抑止することに失敗していることに「政府自身の過去の行動の結果を得ている」とアトリー氏は政府を非難した。 野党党首は、日本が外国船を攻撃したのは、「その結果どうなるかを見るためで、中国内のその他の人たちの生命・財産・権益を完全に考慮していない」と言った。「日本はまるでフランコ将軍[原文注:スペインの反乱リーダー]のように振る舞い、英国商業はスペインの女子供と同程度にすぎない。日本は極東のヘゲモニー[覇権]を欲しているのだ」と言った。アトリーは国際連盟の権利と義務は「中国が侵略と戦うことを支持することだ」と締めくくった。
    「スティムソンは戦争国民投票に反対—ラドロー計画は国家の防衛システムを破壊すると主張」(p.1) 「中国は楽観的;ソヴィエトが援助—ロシアは外モンゴルが日本と戦争したら外モンゴルを援助すると見られている—山東省は侵入者を追い立てた—数万人が攻撃を恐れて青島、広東、漢口から避難」:ハレット・アベンド、上海発、12月22日(pp.1, 15) 「フランスは極東の地位を維持—権利を守るが戦争は避ける—西洋の威信運動に参加する用意」:P.J.フィリップ、パリ発、12月21日(p.13) 「白人支配の終焉を見る—スヴェン・ヘディンは日本が間もなく東洋を支配すると言う」:ストックホルム発、12月21日(p.13)
 日本の中国侵略と世界を揺るがしたジンギスカンとティムールの征服を比較して、スウェーデンの有名な探検家スヴェン・ヘディン(Sven Hedin: 1865-1952)は昨夜こう言った。「極東の白人種の統治はまもなく確実に終わる」。中央アジアの権威であるヘディン博士はスウェーデン王立アカデミーの講演で、最近の出来事は「警告だけでなく、白人の重荷[white man’s burden: 植民地を支配する白人の責任]がやる気のある日本にすぐに取って代わられるという最終信号だ。これがヨーロッパにとってどんな結果をもたらすか誰にも予想できない。世界全体が戦争精神異常の影響下にある。行き着く先は人類を目隠しのまま地獄に向かわせるようだ」と述べた。
    「上海は日本の動向に不安—過激派は中立国に対する敵意から問題を起こすと予想される—パナイ号審査は終了間近—海軍の船とその他のアメリカ船3隻の中国人生存者が病院に到着」:上海発、12月22日(p.15, 「東京部隊は無罪放免、原田熊吉少将」というキャプションで、原田少将の写真掲載)
 上海の中立国の高官は日本政府と揚子江地域の日本陸軍の過激派が優勢になったと信じている。中国に対して更なる懲罰的措置が必要だという東京の宣言は上海-南京地域の陸軍司令官である松井石根大将の中国を和平交渉に誘おうとする努力とは奇妙に矛盾する。中立国の旗と資産に対する侮辱の後の日本の態度のせいで不安が増している。悔い改めなしの謝罪、適切な保証なしの謝罪は急速に愚弄になっている。正式の昔ながらの国際間のエチケットは馬鹿げたものにされ、風刺漫画家の題材にされている。 パナイ号と蕪湖事件、英国砲艦レディーバード号の砲撃の責任を転嫁しようとする橋本欣五郎大佐、南京獲得後の権限の分裂、規律の崩壊などは命令をどの軍が実行するのか、どの軍が混乱を起こしているのか見極めることを難しくしている。

「上海に秘密が指令された」

 パナイ号砲撃と英国砲艦への攻撃の影響が広がることに驚いて、日本当局は上海の公式報道官にこれらの事件について話すことを禁じた。今朝、パナイ号と蕪湖攻撃に関するニュース全ては今後東京からのみ発せられると発表された。これらの事件に関する調査は上海の松井大将の司令部で行われるのに、全報告書は極秘として東京に送られる。 橋本大佐、または陸軍の上級将校がこれらの事件の処罰として東京に召喚されたか、または日本海軍が三竝貞三少将を解任したようなことを陸軍もするのかという質問に、陸軍報道官は全く知らされていないと言った。12月12日の嘆かわしい出来事の責任が橋本大佐に決定されたのか質問すると、報道官は「そうだとも、そうじゃないとも私は言える立場にない」と言った。 現在、橋本大佐を放免させるために、彼は大将に南京に最終攻撃を命じられ、命令に従っただけだと発表するのだろう。もしこの政治的戦略が採用されたら、多分この大将は最終的な勝利の攻撃の栄光と軍事的名誉を剥奪されることを意味するが、それはまたその後の大量処刑、略奪、強姦に対する世間の非難から守られることになるだろう。 筆者は今朝、日本の公式報道官の一団に橋本大佐が12月12日と13日に南京全体の司令部からの命令で動いたのか、それとも、蕪湖地域で独立の命令を発する権限を持って彼独自の決定をしたのか質問した。答えは大将の名前は発表できないし、橋本大佐の権限がどの程度かも明かすことはできないというものだった。 12月12日に太湖を基地にしていた飛行機がパナイ号を爆撃したのか、その飛行機が橋本大佐の命令で飛んだのか、または海軍が南京と蕪湖の間の揚子江上の船全てを無差別爆撃するよう命じたのかという質問に、報道官は「陸軍が海軍に、南京から多くの中国船が逃げたと伝え、それを爆撃するよう依頼した。海軍が命令を出し、この依頼を実行するよう命じた」と答えた。(中略) 驚くほどの独創性のなさで、日本が立ち上げた北平の暫定政府は満州国によって大昔に陳腐にされた方法と無用の言葉を散りばめた言語を使っている。北平レジームは「日本政府に新国家が産業、財政、文化、外交問題に対処するために日本人アドバイザーを推薦するよう熱心に依頼している」(原文強調)。この必然の成り行きとともに来たのは、新たな東京の報道で、東京は北平レジームを正式に承認するという。これは中国政府を和平交渉に強制させるための脅しだと信じられている一方で、ここ上海ではもし和平が遅れれば、日本はこの脅しを実行すると認識されている。
    「合衆国は中国に感謝」:AP, 漢口発、12月21日(p.15)
 合衆国大使ネルソン・T.ジョンソンは国務省を代表して、中国政府に日本によるパナイ号爆撃の生存者を救助してくれたことを感謝した。
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英米に伝えられた攘夷の日本(6-7-4-9)

パナイ号・レディーバード号事件の調査に東京から来た中佐と上海の陸軍武官の証言の違い、前言の撤回などの混乱状態が『ニューヨーク・タイムズ』で報道されます。出典:国立公文書館アジア歴史資料センター(注1)

『ニューヨーク・タイムズ』のパナイ号爆撃報道9日目:1937年12月21日(注2)

    「東京の軍国主義者たちは合衆国が要望した保証を遅らせた;将官は部隊を弁護—日本の少将はパナイ号を非難したが、反駁の最中に撤回—陸軍報道官がついに[米国の]砲艦は東京部隊を砲撃しなかったと認めた—彼は機銃掃射した陸軍を無罪放免にした」:ハレット・アベンド、上海発、12月21日(pp.1, 20)
 昨夜、上海の日本陸軍武官、原田熊吉(1888-1947)少将が報告書の中で、12月12日にパナイ号が日本の空爆で沈没する前に「日本陸軍部隊に3発の大砲を撃った」(原文強調)と非難した後、今日その非難の1部を不承不承撤回した。しかし、彼は日本陸軍のランチがパナイ号の兵士たちが沈没する船から逃げる前にパナイ号を機銃掃射したということは頑なに否定した。 昨夜の彼の声明は、パナイ号の生存者たちが合衆国海軍査問委員会で証言した証拠のほとんどを断固として反対した。12月12日に蕪湖で英国砲艦レディーバード号が砲撃された件で、明らかに原田少将は認めることは不利だし、矛盾を避けようとしてか、彼は今日東京から電令を受け取ったと発表し、英国戦艦の事件については日本政府がロンドンと直接交渉しているので、この件について話すのは拒否せよとのことだと言った。 しかし、原田少将は12月12日に中国船が南京を出て上流に向かったという報告が蕪湖の日本軍司令部に届き、蕪湖の日本陸軍司令部は攻撃せよと指令したと言った。すると、蕪湖地域を指揮している橋本欣五郎大佐は「あらゆる中国船を攻撃し、破壊せよ」と命令したと原田少将は言った。この時、レディーバード号のハリー・ダグラス・バーロー少佐が橋本大佐から直接聞いた話として、橋本大佐が川のすべての船を攻撃せよと指令を出したと言ったことが指摘された。これに対して原田少将はバーロー少佐が橋本大佐の話を誤解した、橋本大佐は「すべての敵船を攻撃せよ」と言ったに違いないと回答した。しかし、これは橋本大佐の続く行動:海岸砲台をレディーバード号に至近距離で照準を当てていたことを説明できない。

「橋本について回避」

 この件の当事者、橋本大佐について身元確認を尋ねられると、原田少将は渋々、名前は欣五郎だと言った。この橋本は1936年2月の東京の反乱に関係した橋本かと尋ねられると、原田少将はイエスもノーも言うことを拒否し、この種の件について勝手に話せないと言った。原田少将の側にいた西義章(1898-1943)中佐が紹介された。パナイ号・レディーバード号暴挙を調査するために東京から飛んできたという。彼は昨夜遅く南京から上海に飛行機で戻ってきたが、「パナイ号が実際に日本陸軍部隊に3発の大砲を撃ったかは疑わしい」という新たな証拠を得たと言われている。原田少将は個人的にはこの点で非常に疑わしいと思い始めていて、西少佐が同意してくれたと言った。質問が鋭く畳み掛けられると、西少佐は突然立ち上がって、刀を取り、帽子を掴むと、東京行きの飛行艇に乗らなければならないので失礼すると言った。 西少佐は調査結果を説明する前に、彼の話は非公式であり、純粋に個人的意見だと断った。パナイ号が日本部隊に砲弾を撃ったという告発について、その部隊の指揮官の報告では「3発上空で聞こえ、砲弾が飛んで行くような音だったが、続いて爆発の音がしなかったというので、パナイ号からの砲弾についての指揮官の印象は正確ではないと自分は思う」と西少佐は言った。

「原田は西を否定」

 西少佐は去る前に、パナイ号が機銃掃射されたという非難は事実ではない、なぜなら、陸軍部隊のランチには重機関銃はなかったからだと主張した。しかし、西少佐が行ってしまってから、原田少将は鋭い質問をされると、ランチの日本兵たちは軽機関銃を持っていたと認めた。 原田少将も西少佐も、陸軍部隊がパナイ号に乗船する前に爆撃されたスタンダード石油のタンカー2隻の身元は知っていたし、アメリカ人の負傷者を救助したから、パナイ号がアメリカの砲艦だと完全にわかっていたため、パナイ号に乗船する前にパナイ号を機銃掃射する動機は全くないという主張を強調した。 昨晩の原田少将の報告は矛盾と食い違いに満ちていたので、橋本大佐をかばうためだとみなされる。筆者が最も確かな筋から聞いたところでは、日本陸軍のランチ[複数]は12月12日日曜の午後1時に蕪湖を出て、これらの船はアメリカのすべての証言によるとパナイ号を機銃掃射した。したがって、筆者は昨夜の記者会見で原田少将に尋ねた:この不慮の出来事は橋本大佐が認めた揚子江上のすべての船を砲撃せよという命令のもとに行われなかったのか。すると、会見にいた日本陸軍・海軍・大使館の代表者、9人の日本人全員が仰天した様子を見せた。原田少将はこの質問には現時点では対応できないと答えた。 同じ確かな筋によると、パナイ号事件全体の責任は海軍ではなく、日本陸軍にあるという。この事情は以下の通りだ。 問題の飛行機は上海所属でも海軍の空母所属でもなく、無錫(Wushing)近くの太湖(Lake Tai)を使っており、川を北に逃げる中国軍を邪魔する作戦を陸軍と共にするよう命令されていた。12月12日朝、彼ら[飛行士]は陸軍から蕪湖と南京の間の揚子江上の船全てを爆撃せよと命令を受けた。海軍の飛行士たちは大胆にこの命令に抗議したが、命令が厳しく繰り返されたので、従った。この事実は原田中将の調査では完全に無視された。飛行士たちに命令した陸軍将校の名前ははっきりとは確定しなかった。しかし、英国砲艦レディーバード号を4回砲撃した後、蕪湖で砲台の照準を船にあてろという命令を下したと橋本大佐がレディーバード号の司令官に認めたやり方と同じだ。

「陸軍に代わって謝罪」

 もう一つの奇妙な展開は、昨日の午後3時ちょっと前に原田中将が合衆国海兵隊のジョン・C.ボーモント(John C. Beaumont)准将を訪ね、パナイ号事件における日本陸軍の参加について深い遺憾と謝罪を表明したことだ。ボーモント准将との会話の中で、原田中将は日本のランチがパナイ号を機銃掃射したことを否定しなかったが、彼の謝罪と遺憾の意は暗黙のうちに罪を認めたことになる。他の公式ヴァージョンは陸軍は無罪だとみなしている。この種の矛盾について、上海の全外国官界の印象と感じ方では次のような見方が深まっている:日本政府は戦場の陸軍に対して、はっきりとした権限を確立する課題があり、明らかに[日本軍が]思い通りにするようになっている(訳者強調)。[中略:この後、非常に長く日米の主張を紹介] パナイ号が日本陸軍部隊に砲撃したという告発に関して、『ニューヨーク・タイムズ』のジェームズ・ソン(James Soong)が撮影した沈没してゆく合衆国砲艦の写真がパナイ号の2台の3インチ銃の位置をはっきり示している。海軍の人間なら誰でも一目でこの銃が発射されていないことがわかる。
    「東京は回答を遅らせる」:ヒュー・バイアス、東京発、12月20日(pp.2, 18)
 外務省報道官が今夜、アメリカとイギリスの日本宛文書への回答はまだ数日遅れると伝えた。その理由の一部は、事件当日の南京と蕪湖の間の揚子江に関する混乱が続いていることだという。アメリカの文書に回答するにあたり生じる困難は次第に明らかになるパナイ号爆撃の驚くべき特徴だけでなく、合衆国が要求している今後の[同様の事件を起こさない]保証の全面的な性質による。もし、戦争が続くと、日本政府は日本軍の行動を通してアメリカの権益[人命、資産、貿易など]に損害を与えないという全面的保証を与えることができないと考えられているようだ。 もし戦闘の継続によって中国軍の武器供給を切断するために日本軍が広東を攻撃することになれば、予期せぬ状況の中で新たな事件が起こらないと想定することはできないと指摘されている。残りのアメリカの要求、謝罪と補償はすでに認められた。

「日本軍を満足させなければならない」

 これらの躊躇は外務省がワシントンを満足させる意思がないことを反映しているのではなく、陸軍と海軍に受け入れやすくする方法を編み出す困難さを反映している。日本軍はパナイ号が沈没し、英国艦船4隻が攻撃された不運な日の出来事を説明するのに、大きな困難を経験している。陸軍と海軍の中国司令部からいまだに報告書が届いている。これらの報告書には一致させなければならない矛盾が頻出している。 東京の当局はレディーバード号砲撃の責任者だった橋本欣五郎大佐からの声明をまだ受け取っていない。彼は蕪湖を出て、審問は彼に届いていない。パナイ号事件に関する膨大な報告書が今日ようやく上海から外務省に届いた。 東京で今主張されているのは、海軍の飛行士がパナイ号と同じ場所で日本陸軍のランチの兵士たちが懸命に日の丸を振ったのにランチを爆撃したことだ。パナイ号に乗船した[日本]兵が沈没するパナイ号の乗組員に発砲したことは、日本の審問ではまだ確定していない。

「詳細は国民に秘密にされている」

 この事件の不吉な側面は日本国民には完全に隠されている。「衝撃的な事実」(原文強調)と呼ばれることは、陸軍のランチが友人である海軍の飛行士に爆撃されたことが暴かれないことだ。日本国民が知っていることは、ただアメリカの砲艦が沈没し、英国船4隻が戦闘の最中に誤って砲撃されたことだけだ。三竝貞三[Keizo Mitsunamiと名が間違ったローマ字化]少将の召喚はまだ隠されており、6人の飛行士が軍法会議にかけられたという上海からの噂は確認できていない。 この事件の説明が発された命令が川で動いているものすべてを攻撃せよというものだったか、飛行士と兵士たちが戦闘で興奮していたので、中立国と敵との区別ができなかったのか、あるいは、視界が悪くて彼らが判断できず闇雲に攻撃したのかという疑問に、東京に届いた情報は今のところ答えていない。

「広東[攻撃]の計画」

 [前略:日本軍が次に広東攻撃に向かうという予想について] 宣戦布告の問題がパナイ号事件で再燃した。宣戦布告した戦争状態だったら、日本陸軍と海軍の作戦は国際法のもとで行われていたはずであり、それは地域の外国戦艦すべてを支配するものであったはずだと指摘されている。
    「天皇との会議はなし」:AP通信、東京発、12月20日(p.18)
 消息筋は今夜、明日予定されていた裕仁天皇臨席のもとでパナイ号危機を話し合う大本営会議は開かれないと言った。情報通の人によると、この会議を開かない決定は、中国を徹底的に敗北させるか罰するまで戦争を遂行するという帝国の政策に変化がないからだ。 外務省は今夜パナイ号事件に関する記者会見を説明なしに取りやめた。外務省報道官は、日本の水上艇がパナイ号を砲撃したことを以前否定したが、それを翻し、日本軍部隊は自衛のために発砲したこと、戦闘地域におけるパナイ号の動きに関する注意が足りなかったことを日本の回答は主張すると言った。

「否定は撤回された」

 外務省報道官は今日以下のように言った。「私が[パナイ号が水上艇に砲撃されたという](原文注)報告を否定したのは、そういう情報を得て信じたからです。つい先ほど得た情報に基づき、声明を変えなければなりません。日本のボートがパナイ号の近くにいたのは事実です。今はっきりさせなければならない重要点は、どちら[パナイ号か日本のボートか]が最初に発砲したのかです。日本のボートに乗っていた陸軍士官はパナイ号が最初に発砲したと信じています」。 「どちらが先に発砲したか」という自分の質問もかかわらず、報道官は日本のボートがアメリカの船を機銃掃射したかどうか明確に言うのを断った。 続きを読む

英米に伝えられた攘夷の日本(6-7-4-8)

パナイ号事件について、中支那方面軍司令官・松井石根大将が『ニューヨーク・タイムズ』の特派員を呼び出して、米国の新聞を使って自分の地位保全を図る計画に協力を求めました。

『ニューヨーク・タイムズ』のパナイ号爆撃報道8日目:1937年12月20日 続き(注1)

    「米国大使館は漢口から撤退の準備—日本軍の爆撃の最初の兆しでアメリカ人300人は市から逃げる予想—広東攻撃を東京は差し迫っていると見る」:AP通信、漢口発、12月19日(p.1)
    「陸軍内の亀裂が見られる—松井大将の軍隊内の規律強化の努力は無視された—全階級が影響を受ける—大将は攻撃が意図的ではなかったと示す報告を強調」(p.1)
 日本陸軍の幹部たちは、パナイ号を機関銃で掃射する命令が1936(昭和11)年の陸軍クーデターのリーダーだった橋本欣五郎[1890-1957]大佐によって出されたことを知った。彼の懲戒の問題をめぐって、陸軍最高司令部の中で厳しい闘争が進行中だ。彼は今まで処罰を逃れるために政治力を使ってきたので、今回もし逃れたら、規律が影響を受けると保守系将校たちが心配している。揚子江の日本海軍長谷川少将は調査の結果パナイ号の空爆は意図的ではないことが証明されたと言った。

レディーバード号号爆撃の首謀者は2.26事件の首謀者

    「日本軍の司令部に分裂」:ハレット・アベンド、上海発、12月20日(p.1)
 日本軍が中国軍と延長し続ける前線で戦闘している一方、陸軍最高司令部ではさらに厳しい戦いが繰り広げられている。この激しい戦いは12月12日に日本兵が発動機艇から合衆国砲艦パナイ号に機銃掃射した時に頂点に達した。なぜなら、これが橋本欣五郎大佐の個人命令で行われ、揚子江地域の最高司令官の松井石根(1878-1948)大将がこの大佐をあえて処罰するかを上級将校たちが疑い始める状況になっているからだ。 どの国の陸軍でも、大佐が自分の将軍の権力を試すことをあえてするとは、外部の人間には信じられないことだ。この危機的状況は橋本大佐が1936年2月26日に東京で起こった悪名高い陸軍クーデターの首謀者の一人だったということで説明される。この事件では内閣の数人が殺害され、日本の首都は数日間恐怖に包まれた。 実際には反乱となった蜂起が鎮圧された後の調査で分かったのは、橋本大佐が未遂のクーデターを計画したいわゆる若手将校の徒党の主要リーダーの一人だったことだ。橋本大佐はその役割で懲戒処分され、この初秋まで予備リストに入れられていた。50万人の兵士を中国に送ることになった時に、彼は現役勤務に呼び戻された。

「日本当局は危険を予想」(pp.1, 16)

 本記者が最高権威(訳者強調)から聞いたところによると、陸軍の保守派だけでなく、政府内全般でも、不安が急速に高まっているという。もし橋本大佐が少なくとも、パナイ号を空爆した海軍の飛行部隊長、三竝貞三少将と同等の処罰を受けなければ、日本陸軍の幹部にはもはや道理がないからルーズベルト大統領の例にならって、日本の天皇に直接抗議すると全ての外国政府が感じるだろうと恐れた。 橋本大佐が政治的影響力を使って地位を守ることは、陸軍の全階級における規律に破滅的な影響をもたらし、兵卒でさえも、将校たちが罰せられないなら、自分たちが略奪や強姦してもいいのだという態度を取ると言われている。松井大将を支持する保守派の陸軍将校たちは、南京占領に続く、規律の崩壊と惨状はこの状況から直接来ていると言う。彼らは規律を立て直す必要性を痛切に感じている。この将校グループは揚子江地域を指揮する長谷川潔司令官下の日本海軍は、パナイ号砲撃を懸命に償おうとしたが、陸軍は7日もたっているのに、責任回避と問題を曖昧にしようとすること以外何もしないと認めている。 [陸軍の]保守派将校たちは橋本大佐と彼の支持者たちが、パナイ号が砲撃され撃沈された日に英国砲艦レディーバード号を砲撃したことの弁解について「信じられない」と表現した。この遅れた説明は昨夜[12月19日]提供されたが、砲撃が起こった時、川には霧がかかっており、レディーバード号の煙突からの煙で、岸にいる者たちはこの船が中国砲艦で、北岸に逃げる中国兵を満載した多数のはしけとジャンクを隠すために川に煙幕を張ろうと確信していたという。 陸軍の報道官は昨夜、上海で、パナイ号事件の陸軍の役割に関する報告を文書として今日発表すると約束した。日本兵を満載した発動機艇がパナイ号砲撃前にパナイ号を止めて、パナイ号の司令官と発動機艇の司令官が名刺交換したと報道官が認めた。しかし、パナイ号の国籍を確認した部隊は揚子江北岸に向かい、浦口(Pukow)への進軍に参加したと報道官は言った。

橋本欣五郎大佐の経歴

 橋本大佐は興味深い経歴を持っている。1917(大正6)年にロシアの日本大使館武官だった。彼は大使館の窓から何日もロシア革命の市街戦を観察していた。彼は市街戦の技術的詳細に対する関心を長く示し、彼の敵によると、彼はロシア滞在中に革命思想に感銘を受けるようになったという。

「橋本は党派を結成—1936年反乱後に青年団体が創設された」

 橋本欣五郎大佐は過激でファシスト傾向を否定しているが、1936年の東京の陸軍蜂起以降の行動は陸軍内のより保守的グループと日本の政権内に相当の不安を起こした。(中略)予備リストに入れられた後、彼が1936年に大日本青年党を設立した時、この新たな動きについて「見ていてくれ。橋本はただじっと座って話すだけの人間じゃない」と周囲に語った。彼が強い関心をもって観察されていたことは言うまでもない。 彼の青年運動は急速に発展し、陸軍の青年将校たちは強固に団結し、橋本大佐は彼の支持者の間に大きな影響力を持つ進出勢力になった。彼の権力、または大胆不敵さが発揮されたのは、攻撃されたパナイ号救出のために英国砲艦ビー号が揚子江を航行していた時である。橋本大佐はビー号に警告を発し、もし航行を続けるなら、岸の砲台から攻撃すると言ったが、ビー号は警告を無視して、航行を続けた。橋本大佐は彼の部隊は英国国旗と中国国旗の区別ができないから航行は危険だとビー号の司令官に言った。後にAP通信によると、蕪湖での英国砲艦レディーバード号の砲撃に関して、橋本大佐は英国の抗議に対して、「川の船を全部砲撃せよ」と命令されていたと言った。 日本の政治におけるこの新たな人物は元トルコとロシアの武官だった。軍人としての彼は日本帝国中に知れ渡っていた。彼は一時、満州侵略の時の主要銃砲隊を指揮していた。1936年2月26日の反乱は1000人以上の青年将校たちが行った。この結果、岡田啓介[1868-1952]首相と3人の閣僚が殺害され、政府の建物と通信が占拠され、東京には戒厳令が敷かれた。反乱者たちは皇軍と数日間戦った後降伏したが、彼らはしようと始めたことを完遂した。 この反乱の目的はマニフェストによると、「日本の国家構造を破壊する反逆者を根こそぎにする。この悪の影響力を破壊することにより、反乱者たちは国家構造の栄誉を高め、正義を進めることを望んでいる」。
    「長谷川がパナイ号の証拠を提供—日本海軍チーフが飛行機攻撃は意図的ではなかったと調査委員会が示したと言う—遺憾の表明を広く強調—永野[修身おさみ:1880-1947]大将は悲劇的事件が合衆国との関係を改善する役に立つと希望」(p.16) 「アンターマイアーが日本のボイコットを提唱」(p.16)
訳者注:サミュエル・アンターマイアー(Samuel Untermyer: 1858-1940)はニューヨークの著名な弁護士・市民活動家・百万長者で、園芸に造詣の深かったマイアーがニューヨーク州ヨンカー市に敷地の一部を寄贈し、「アンターマイアー公園」と名付けられているそうです。また作曲家グスタフ・マーラーとも親交があり、これらの情報は「マーラー基金」サイトに掲載されています(注2)
    「90万人の日本部隊が満州と中国に」(p.16) 「ターヒューンが新聞に戦意昂揚を止めよと要求」(p.16)訳者注:ターヒューン(Albert Payson Terhune: 1872-1942)はアメリカの小説家。 「日本が中国と戦争について討議」(p.16) 「メキシコが日本漁業に関する嘆願を拒否—ロサンジェルスの組合に[日本]船団は合衆国の権益を損なわないと言う」(p.16) 「中国の危険地域(日本軍の戦闘地域の地図掲載)」(p.17) 「日本の政策は宗教から来ている—京都のニコラス司教は極東での行為は英雄崇拝から発していると言う」(p.21) 「ボイコットに警告—ニューマン博士がボイコットは日本のナショナリズムを強めると言った」(p.21) 昨日、ブルックリン倫理文化協会長のヘンリー・ニューマン博士がニューヨーク倫理文化協会で、日本製品のボイコットを組織するのは無垢な日本の人々を戦争リーダーたちに密接に結びつける危険性があると述べた。ニューマン博士は世界戦争から例をあげて、ヴェルサイユ協定後に外部の介入が起こり、ドイツとイタリアで強まった不条理なナショナリズムの例、そして、エチオピア危機で経済制裁の採用をあげた。戦争後の恐怖と不信感は世界の貿易と友好に有害な独裁政治と国家の自給自足に導いたので、日本ボイコットは逆効果になると主張した。
訳者解説:上海駐在特派員ハレット・アベンドが(Hallett Abend: 1884 -1955)インタビューした日本軍の「最高権威」というのは、中支那方面軍司令官・松井石根大将だと6年後にアベンドが出版した回想記の中で明かしています。パナイ号事件時の『ニューヨーク・タイムズ』特派員と日本軍との関係がよくわかる内容なので、該当箇所を抄訳します。また、このインタビューからアベンドは4編シリーズの日本軍内の「センセーショナルな」内幕を記事にしたというので、追って紹介します。この記事の中でも、回想記の中でも、2.26事件で岡田首相が暗殺されたと誤解したままですが、当時の『ニューヨーク・タイムズ』では1936年3月1日版で「岡田は生きている」という一面記事が出ていますので、アベンドが注意深く追っていなかったのか、松井が誤った情報を与えたのかわかりません。以下の翻訳は長いので、本文にない小見出しをつけています。

第12章「日本の最悪の『問題児』(Bad Boy)」((注3), pp.268-273)

[1937年]12月13日午前10時頃、日本大使館武官のT.本田[忠雄]海軍少将が息せき切って私のところにきて、日本の旗艦出雲に一緒に行ってくれるかと懇願した。日本の第三艦隊の司令官K.長谷川[清]中将が非常に重大な件で私に会いたがっているという。 本田の車で出雲に急行した。乗船するとすぐに長谷川中将の私室に招き入れられた。海軍の中国飛行作戦長の三竝貞三少将がいた。長谷川がすぐに「我々はパナイ号を沈没させた!」と言い出した。非常に正直で率直だったが、20分質問しても、中国における海軍の最高司令官から聞けたのは、日本は謝罪し、いかなる正当な補償も払うということだけだった。 私が責任の所在を示す詳細を要求すると、長谷川は最初、三竝少将が彼自身は落ち度はないのだが、日本の遺憾の意を示すために引退すると言った。「しかし、誰がパナイ号の砲撃を命令したのか」と私が言うと、三竝少将が不注意に「陸軍のBad Boyで、海軍の落ち度ではない」と認めた。その時、私は海軍を守るための架空か匿名の陸軍司令官だと思った。

松井大将が『ニューヨーク・タイムズ』特派員にお願いがある

 パナイ号の爆撃に関する事実全部は2週間後まで明らかにされなかった。事実は奇妙な方法で私の元に届いた。日本の高官、その名前は事件の6年後も明らかにできないが、その人物がある日曜に私の元にやってきて、「松井大将の頼みを個人的に聞いてもらえないか」と言った。「どんな頼みか」と私は警戒して聞いた。「松井が中国の司令官でいられるようにすることだ。事態が危機的状態で彼か別の将校を召喚して退役させるところまできたのだ。大将はもし『ニューヨーク・タイムズ』が事実全部を出版したら、ニューヨークから東京に電報が行き、そうすれば、彼は権威を回復することができるかもしれないのだ」。 『ニューヨーク・タイムズ』が日本軍内の確執に無意識な参加者として使われることを許すつもりはなかったので、何の約束もしなかったが、松井の本部に行って彼が言うことを聞くことには同意した。

松井大将との出会い

 松井石根大将は確かに私の友達だった。全くの偶然の幸運で、私は1935年の夏に彼をインタビューし、その時彼は私を気に入って、信用してくれた。私たちが最初にコンタクトを持ったのは、上海の日本語新聞の翻訳サービスに含まれている5行項目からだ。この小さな項目に引退していた松井大将が日本に戻る途中で上海に寄ったが、汎アジア主義運動に関心があり、インドシナ、シャム、マラヤ、ビルマを回った後に来ると書いてあった。 これはストーリーになりそうだ、電報で送るストーリーではないが、郵便で送って『タイムズ』が日曜版のどこかに入れ込んでくれるようなものだった。そこで私は日本総領事館に行き、松井大将とのアポを依頼した。下級領事は時間の無駄だ、松井は全く重要な人物ではない、「もう引退しているよろよろの老人で、今は政治的趣味に時間を費やしてる人物だ」と言った。 私は松井が好きになった。彼は快く、長く興味深いインタビューをしてくれた。そして私は彼を上海クラブのランチに連れて行った。私はこの小さなか細い老人が気の毒になった。彼は100ポンド(45.4kg)もないぐらいの体重で、右腕と顔の右半分が痙攣する中風に苦しんでいる。領事館員たちはこの気持ちの良い善意の老人を無視し、冷たくあしらいさえしていると感じた。 この後、1937年の戦争が来て、上海周辺で3ヶ月間の激戦があった。揚子江谷の全日本陸軍の最高司令官に松井石根大将が任命されたという発表で、名前が似ていることに私はちょっと不思議に思った。そして、私が初めて日本軍本部に行ったとき、全能の最高司令官が1935年夏の我が小さな中風の老人の友人その人だと知った。彼が2年前に失墜していた時に私が彼に対して礼儀正しく、フレンドリーだったことが、1937年の重要なスクープ・ニュースをくれることにつながった。

パナイ号事件の首謀者は橋本欣五郎大佐だ

 そこで、1937年のクリスマスの週に再び松井の本部でどんな個人的願いを私が叶えることができるか知ることになった。私がパナイ号の沈没を知った日に長谷川中将が率直だったのと同じように、松井も最初率直だった。なぜなら、私たちがお茶とフランスの最高ブランディーを前に座るやいなや、松井は吐き出したからだ。M:「事態は橋本大佐が召喚されるか、私が司令官を辞め、帰国しなければならないところまで来た」。A:「蕪湖の橋本欣五郎のことですか?」M:「そう、その男だ。あいつは傲慢で反抗的で暴動的ですらある。それに彼は無知で危険だ。あいつは日本が世界中と戦うことを望んでいる、今すぐにだ!」 そして松井大将は半時間ほどの間に信じられない話、翌日たやすく検証できたことを話した。その話で、私は4編シリーズのセンセーショナルな記事を電信で送った。それは12月12日に揚子江で起こったパナイ号沈没とその他の暴虐の責任者をついに明らかにした。(中略:この後、2.26事件の記述、ここでも岡田首相が暗殺されたと誤ったままです)。 揚子江上の船全部を爆撃しろと海軍飛行隊に命じたのは橋本で、飛行隊員は英米の船もいると反抗したが、橋本が激怒した。陸軍ボートからの機銃掃射も橋本が命じたと言った。 長谷川中将は何が起こったかを知っていたが、橋本の権力が強すぎて海軍の中将さえも、たかが陸軍大佐に反対することができず、海軍が責めを負うことを認め、世界に事実を知らせるより三竝中将を犠牲にした。 松井が南京に行って勝利入城式をしたとき、橋本は招待されないのに蕪湖から現れ、松井のすぐ後ろに、白馬に乗って入城行進をした。白馬は総司令官をしのいだ。松井はこの日、橋本が日本を合衆国と英国との戦争にすぐに巻き込む行動を意図していると言った。 
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英米に伝えられた攘夷の日本(6-7-4-7)

パナイ号事件から1週間経過しても、『ニューヨーク・タイムズ』は第一面から詳細に報道しています。駐米日本大使がアメリカのコマーシャル・ラジオでアメリカ国民に直接謝罪したこと、その文言が議会で問題にされます。

『ニューヨーク・タイムズ』のパナイ号事件報道7日目:1937年12月19日(注1)

    「裕仁がパネイ号の事実を知った;彼は大統領に答えるかもしれない;[日本の]文書は船が機銃掃射されたことを否定;合衆国はアメリカの権利に関する日本の明確な保証を求める—パナイ号爆撃をめぐって依然緊張状態—更なる合衆国船員死亡—青島の混乱がオーガスタ号を中国に留める」:ワシントン発、12月18日(pp.1, 38)
    「合衆国が攻撃をリストにする—日本は発動機艇はパナイ号を機銃掃射しなかったと回答するだろう—首相は謝罪を強調—陸軍は新たな[謝罪]文に反対—上海の司令官たちは今も公式データを持っていることを否定」:AP通信、東京発、12月19日(pp.1,37, 38)
 裕仁天皇は昨日、驚くべき閣議の後、近衛首相からアメリカ船の砲撃に関する詳細を受けた。政府高官によると、天皇は大統領の文書の概要は以前受け取っていたが、全容の詳細が天皇に提出されたのは初めてだ。

政府内の文民閣僚と軍閥閣僚との闘争

 政府の中枢で文民メンバーと軍メンバーとの間で闘争があるという兆しがある。消息筋が言うところでは、陸軍と海軍は合衆国を満足させるために十分したと主張している。広田弘毅外務大臣は孤軍奮闘して、政府が軍をコントロールする努力の直近段階でさらなる譲歩を取り付けようとしていると言われている。 内閣の全閣僚が近衛首相の公邸で2時間の会議をした。広田外相は事件について、アメリカの反応を含めて詳細な報告をし、閣僚たちは心配していたという。アメリカの抗議に対する日本の回答が準備され、広田氏は内閣にその内容を説明した。この会議は水曜と木曜[12月22,23日]の内閣と裕仁天皇が臨席する大本営との合同会議に必要な準備を終えた。

長谷川清中将が処罰される

 第三艦隊の司令長官であり、中国における海軍作戦チーフの長谷川清中将が、パナイ号を海軍の飛行機で爆撃した結果として、他のポストへの異動のため召還させられたと報告された。消息筋によると、長谷川中将は事件の「全責任」を取ると表明した通り、辞表を提出したが、受理されなかった。他の情報によると、長谷川中将はすでに、あるいは間もなく、司令長官から静かに外されるという。
    「南京の外国人グループの役割に賞賛—包囲の間中[南京に]留まり、生命の危険に晒されながら負傷者と避難民を救助—グループは[中国人の]市当局者が逃げた後、市政を担う—グループ長はドイツ人—流れ弾による被害」:F.ティルマン・ダーディン、上海発、12月18日(pp.1, 38) 「日本は南京暴虐を抑える—いまだに続いている虐殺を止めるため最高司令部が厳しい措置—部隊の行為を認める—責任将校たちは松井を蚊帳の外に置こうとする—文民政府は狼狽—外国人は虐殺の証人—日本の希望に打撃」(p.37) 「カメラマンが撮った多くのパナイ号[爆撃の]写真—砲艦攻撃の最中の『野外演習』の後の映画とスチール写真」(p.37) 「反日組織が中国の結集を求める—蒋介石が和平交渉決裂の結果、辞任の考えを放棄する模様」(p.37) 「日本が『詳細不足』—当局者は依然パナイ号に関する報告を受けていないと主張」(p.37) 「日本はフィリピン略奪を狙っていると見られる—ケソン[大統領]の政治的対抗者、ガンシー博士が合衆国の保護の継続を求める」(p.37) 「英国は軍艦を東洋に送る計画を否定—しかし中国に移動すればかなりの艦隊になる」(p.37) 「日本は次の動きの前の停止状態—空爆は南京を越えた揚子江沿岸で広範囲に続く」(p.37) 「[日本の]内閣の計画は秘密」(p.37) [アメリカの]市民グループが日本のボイコットを要求—50組織の会見で大規模デモも提案—世界的運動を提唱—消費者は特に絹製品全てを購買しないよう要求」(p.38) 「我が国の東洋との貿易は1936年総計を越えた—特に日本が燃料、潤滑油、その他の戦争に必要なものを以前より購入」(p.39)

『ニューヨーク・タイムズ』のパナイ号爆撃報道8日目:1937年12月20日(注2)

    「橋本大佐がパナイ号機銃掃射を命令した;1936年東京の陸軍クーデター[二・二六事件]で政治的影響力が首謀者の処罰を止めた」(p.1) 「青島の危機—日本の資産の破壊後に海軍の攻撃の恐れ—合衆国軍艦3隻が入港—港は封鎖と報道—綿工場の損失は2億5000万円」:AP通信、上海発、12月20日(p.1) 「パナイ号は機銃掃射されたと東京が認めた;駐米日本大使がラジオで謝罪—外務省スポークスマンがパナイ号撃沈前の機銃掃射を否定したことを撤回した—斎藤[駐米大使]が事件を『ショッキングな失態』と考える」:ヒュー・バイアス『ニューヨーク・タイムズ』特派員、東京、12月20日(pp.1, 18)
 外務省スポークスマンが12月12日に合衆国砲艦パナイ号が南京上流の揚子江上で機銃掃射され、沈没する前に日本軍兵士が乗船したことを金曜日[12月17日]に全面否定したのを今日撤回した。逃走する中国兵を捕らえるために蕪湖から来た陸軍の発動機艇が空爆されたパナイ号を機銃掃射し、沈没直前の船に日本兵が乗り込んだことをスポークスマンは認めた。掃射を始めたのがパナイ号か日本軍かはここ東京ではまだ確定していないと彼は言った。 この日早くにこのスポークスマンは別の陸軍発動機艇がパナイ号に行き、司令官が表敬訪問のためにパナイ号に乗船したと言った。スポークスマンによると、この事実が後の攻撃が意図的ではなかったことを証明する。上海の合衆国総領事クラレンス・E.ガウス[Clarence E. Gauss: 1887-1960]が12月11日正午にパナイ号の停泊位置の変更を日本総領事岡本季正に知らせたとスポークスマンは指摘した。前線は緊迫し混乱していたので、この情報が前線に伝えられる前にパナイ号が砲撃されたと彼は主張した。 彼は付け加えて、中国における海軍の飛行部隊長、三竝貞三少将の召喚が課せる最高の道義的処罰で、日本の将校全員にそう理解されると言った。

物議をかもした斎藤博駐米日本大使のラジオ談話

訳者注:ヒュー・バイアス特派員の記事の最後に、斎藤大使が12月19日(日曜)にワシントンからNBCラジオでパナイ号事件に関する日本政府の見解を語ったスクリプトが掲載されています。この放送に対し、上院議員が問題にし(12月20日)、また、『ニューヨーク・タイムズ』の投書欄(12月23日)に反対意見が掲載され、それに対してラジオ・プログラム製作会社の社長の反論が12月25日の投書欄に掲載されました。それらの主要点をここで紹介します。日本に報復すべきという世論も大きくなっていたような時期の論争です。

12月19日:

 斎藤大使のスピーチは次のように始まっています。「先週日曜日の日本海軍の飛行機による揚子江上のアメリカ砲艦パナイ号とスタンダード石油の船3隻への攻撃はショッキングな失態(shocking blunder)でした。日本政府と国民はこの不運な出来事について、言葉に表せないほどの悲しみを感じています」。この後は日本政府に代わって謝罪する、失われた命は取り返せないが、補償と今後同様の「失態」が起こらないようにあらゆる方策を取る、攻撃した責任者は処罰されるという内容です。 ただ、このスピーチの始め方が「失態」または「ヘマ」という意味の言葉を使ったことは、日本側の内輪の視点が先に来たスピーチという印象で、アメリカ人にはカチンと来るだろうなと思いました。案の定、これが取り上げられ、『ニューヨーク・タイムズ』に以下の記事が載りました。

12月20日:「斎藤[駐米大使]の話が批判された—コナリーは斎藤のラジオ談話は政府から承認を得るべきだったと言った」(ワシントン発、12月20日、12月21日掲載、(注3), p.19)

 テキサスのトム・コナリー上院議員は、日本大使齋藤裕が昨夜短いラジオ談話の中でパナイ号攻撃を「ショッキングな失態」(shocking blunder)と言ったことの適切性を問題にした。「このような声明を政府の部署のチェックを得ずに外国の大使が我が国の国民に直接話すというのは非常に珍しい手順だ」。

12月21日:「投書欄—外交的不謹慎—その他、繰り返しを防ぐ方法」(12月21日付投書、12月23日掲載、(注4), p.20)

 「市民として私は日本大使によるラジオ放送に抗議したいと思います」と始まる投書が問題視しているのは、大使の談話の最後がアメリカ国民に直接訴えている点です。12月20日に掲載されたスクリプトによると、斎藤大使は「上海の航空隊の指揮をしている海軍将校は解任され、母国に召喚されました。その他の必要なことは全て採られましたし、今後も採られますから、今後、外国人全ての安全と権益の保証が確約されます」と締めくくっています。 この文章を投書者は大使がアメリカ国民に直接保証したと読み取り、アメリカ世論に影響を与えて正式の交渉に損害を与える目的であることは明らかだと非難しています。投書者はアメリカ政府が大使に対して何かのアクションをすべきだと言っているのではないと断りながら、国務省に確かめたところでは、この放送の前に原稿が国務省の許可を得るために提出されていないと指摘します。「大使の不謹慎な行為について昨日(20日)の上院で呟かれた慎重なコメントは、国務省が『疑いなく全く立派で、本当に疲れ果てている紳士』(原文強調)に厳しく対応する気持ちはないことが反映しているかもしれません」と述べた上で、NBCラジオとコマーシャルのスポンサーは法律違反の対象だと批判します。引用している法律によると、合衆国との紛争に関して外国政府、その官僚やスパイとの通信や話を外国政府の行為か手段に影響を与える意図で放送することを禁じていると主張します。そして、放送局とスポンサーが「他国の大使が論争になっている問題についてコミュニケーションを発するために、政府の機能を奪ったのはためにもならないし、不法だ」と非難しています。

12月23日:「斎藤大使のスピーチ—ラジオ・プログラムのプロデューサーが自己の見解を述べる」(12月23日付投書、12月25日掲載、(注5), p.14)

[以下は抄訳です]
 アメリカの商業放送スポンサー制度がヨーロッパの一部で行われているような政府の独占より望ましいかどうかについて、ここで論じるのは的外れです。我々のエナジン・ニュースリール・プログラムは商業ラジオ制度の元に運営しています。この放送をその日のニュースの鏡とするために、斎藤大使はこのプログラムに登場するよう招待されました。これは、ある程度話す新聞であり、脚色やごまかし、または改ざんは一切ありません。なぜなら、ニュースの唯一の目的は実際の当人に自らの声で自らの見解を述べてもらうことだからです。 斎藤大使の謝罪は多分アメリカ世論に影響を与える目的だったでしょう。この国の外交官が出す声明のほとんどはその意図があります。その声明が新聞で広まるにしろ、ラジオ・プログラムやスポンサー付き商業放送の一部として広まるにしろ。(中略)ヴァン・アンダ氏[12月21日付投書者]はお気づきになっていないかもしれませんが、大使の話のすぐ後に以下の声明がアナウンサーによって読み上げられました。(中略:ハル国務長官の日本宛抗議文と、アメリカ政府はまだ日本から公式の返答を受け取っていない事実) 我々のアメリカ放送システムの下では、外国大使、アメリカ政府の閣僚、あるいは国民にとって関心のある内容を話す人は誰でも、コマーシャル・プログラムに登場することによって大多数の人の耳に届きます。彼らの登場がその時間を払っている製品の推奨を意味するものではありません。(中略)日本大使の声明を彼の口を通して放送するのと、新聞で引用するのと、あるいは、ニュース映画のサウンドトラックを劇場で聞くのと、法的にも道徳的にも基本的な違いがあるとは感じていません。
訳者コメント:斎藤大使のラジオ放送がアメリカ人に違和感をもって受け止められた一つの理由は、「ショッキングな失態」という表現だったようです。パナイ号事件の重大さを知れば、この斎藤大使の言動にはアメリカ人でなくとも驚きです。日本軍内部では「失態」と理解されても、被害国に対しては「見誤って爆撃してしまい、申し訳ない」という趣旨の広田外相の謝罪文にしておけば良かったのに、言葉の選択で更に事態を悪化させてしまったようです。これ以前に斎藤大使の対応で驚いたことがあります。事件発覚当初に斎藤大使がハル国務長官に謝罪に行く時の写真を見た時の違和感です。12月14日付『ニューヨーク・タイムズ』のp.18に大きく掲載されているのはハル長官のオフィスの外のソファにふんぞり返って座り、手にタバコを持ち、足を組んで、微笑んでいる斎藤大使です。キャプションは「日本大使がハルに謝罪するために待っている」というので、このボディー・ランゲージはないだろうなと思いました。 続きを読む
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